M−press .180  2012.1.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『画竜点睛(がりょうてんせい)』
― 今年の成長と飛躍を願って ―
 
新しい年を迎え、早20日が経過しようとしています。
光陰矢のごとしと申しますが、1年の内の18分の一の日数が既に終わったともいえます。
今年1年が皆様にとって、『有意義で充実した1年だった』と振り返って終えることができるように願っております。
昨年の兎年のスタート時に、『脱兎のごとく走る』、『跳躍の年』、『二兔を追わず一兎を』とウサギの諺を使って書きましたが、振り返ってみて皆さまは跳躍できましたでしょうか。
脱兎のごとく走れたでしょうか。
今年は辰年です。
昨年跳べた方も跳べなかった方も、跳躍どころか天にまで駆け昇る飛躍の年にしたいものです。
新年第1号は辰に因むお話からスタートします。
さて、タイトルの諺は、最後のもっとも大切な部分を仕上げて、全体を立派に完成させることの意味で使われます。
ちょっとした言葉や行為によって全体を引き立たせることができた時などに用いられます。
また、ものごとの最も肝心なところそのものを指して使われることもあります。
『画竜』は絵に描いた龍のことで『睛』は瞳の意味です。
中国の古典『歴代名画記』の故事に基づく諺だそうです。
梁の国の時代に、著名な絵師が寺の壁に竜の絵を描いたが、瞳を入れると竜が飛び去ってしまうからといって、最後まで目には筆を入れなかったそうです。
しかし、それを人々は信じないので、目を書き入れてみせると、竜はたちまち天に昇ったという逸話が載っています。
最後の仕上げの良し悪しで、仕事や作品の完成度が驚くほど変わってくることがあります。
仕事のできる人はそんな勘所をしっかりと押さえることができていて、少しの違いなのに大きく出来栄えが違って見えることもあるのではないのでしょうか。
それをこだわりと呼ぶのかも知れませんが、納得感や充実感を味わえることを繰り返していって、満足できる一年にしていきたいものです。
 
《画竜点睛を欠く》
 
反対に、最後の大事な仕上げが不十分だったり落ち度があったために、全体が不完全になってしまったり、引き立たなかったりした場合に使われるのが、『画竜点睛を欠く』です。
近い諺では、『仏作って魂入れず』があります。
苦心して作った物が肝心なところを抜かしたために何の役にも立たなくなること。
仏像を作りながら肝心の魂が入っていない意味から使われます。
つまり、竜の絵の最後の目を書き忘れたり、死んだような輝きの無い目を書き入れてしまったりするようなものです。
英語では、『Plowing the field and forgetting the seeds.』(耕したのに種を蒔き忘れる)と表現されるようです。
今の世の中は、良い製品を作ってもそれだけでは拡がりません。
良くできた製品というのは当り前で、それは最低限の条件にしか過ぎないと思います。
そこに仏に魂を入れる行為、竜に活き活きとした目を入れるような行為が必要だと思うのです。
一昔前には、それを付加価値と呼び、宣伝方法やパッケージ、キャッチコピーやポップ、セールストークや販売形式や制度の整備、ご紹介のスキルの教育などが必要とされていました。
現在は、そういった仕組みの良し悪しだけでは拡がっていかないと思うのです。
時代が変わってきていると思えるのです。
小生の考えでは、人の言葉や一手間をかけることで、自分は大切にされているのだという感動や共感を得て、人が初めてアクションを起こすように、何らかの人を介在とした動機が必要だと考えているのです。
以前の、みんな買っているから、みんな持っているからというマジョリティ(大多数)の購買行動は起こりにくくなっていて、私の夢を叶えてくれる私のこだわりの品(ヘアスタイル)といった、特別なもの(オンリーワン)を探し求めていく姿勢がはっきりと消費行動に現れて来ている気がしてならないのです。
それは、物質的なものではなくて、心の動きであり、個人ひとりひとりの心の中に存在するものだと見えるのです。
インターネットの発達による新しい人と人の触れ合いは、本当は極めて人間的な信頼感での結びつきであり、現実の生活が忙しくて追いたてられた人々が、他の人との親密感を持ちづらくなった社会構造の代わりとして、結びつきをインターネットに求めている結果だと思うのです。
ですから、インターネットでの信頼できる方からのご紹介や、ご推奨などのナマの情報で、一人の個人としての心が動いた時に、消費者の心が動く可能性もあると思うのです。
私達の様な商事会社であれば営業の場面で、サロンビジネスであれば技術や店販の時点で、そのお客様のお気持ちを察して差し上げ、そのお客様に独特で特別な何かをひと手間かけて人間臭く提供してあげることが大切と思うのです。
竜の絵に書き込む目、仏に入れる魂とは、相手の心に寄り添う気持ちではないかと思うのです。
 
《登竜門》
 
竜門とは黄河の上流にある急流のことだそうです。
この難所を乗り切り、登ることのできた鯉は竜になれるとの伝説に基づいた諺で、中国の古典・後漢書に登場します。
出世の糸口になる関門のたとえで使われます。
竜になるためには命がけで向かっていかなければ、本気を出して泳ぎ切らなければといっているように小生には思えます。
川には、広くてゆったりとした流れのところもあります。
そこは悠々とゆったりと気持ちよく泳いでいれば良いのです。
そこは餌になる藻や苔もたくさんあるし、小魚もたくさん住んでいるかもしれません。
しかし、そこは居心地が良い場所かもしれませんが、よどみやすい場所でもあるのです。
『流水は腐らず』の諺通り、勢い良い急流は腐らずに清い流れなのです。
竜になる目標を立てたとしたら、急流に向かっていく本気度が必要なのではないでしょうか。
一度で登れない鯉は何度も何度も竜門にアタックし続けます。
スタミナとしてはダメージを受けても、急流で徐々に筋力が上がり、泳ぎ方の対応能力を徐々に身につけて、登竜門突破の鯉が出てきます。
鯉が竜に変身するがごとくに、大きく変貌する為には急流をものともせずに向かっていく全力の姿勢が必要なのです。
向かい風を帆に受けて全速力で進むヨットのように、向かい風を受けて滑走路を全出力で飛び立つ飛行機のように、全力で真っ向勝負を挑むから成長があると思うのです。
それでも登れない鯉がいるかもしれませんが、舞台に上る前提条件は全力で命がけの努力をすることで、それが無ければ登竜門にアタックできるチャンスは無いのだと思うのです。
結果は『天命を待つ』ことになりますが、天命を受けて文字通り竜は『昇天』できるのではないかと思います。
今まで通りにじっとしている状態では急流を登れない社会環境、経済環境なのだと肝に銘じておきたいと考えています。
 
《竜頭蛇尾》
 
頭は竜のように立派だが、尾は貧弱なただの蛇のようになってしまうといった意味から、はじめは勢いがすさまじいものが終わりになると、さっぱり振わなくなることのたとえで使われる諺です。
これも中国の古典・五灯会元から出たそうです。
近い諺ですと、『頭でっかち尻つぼみ』があります。
英語では、『Going up like a rocket and coming down like a stick.』(ロケットの様に上昇して、棒の様に落下する)と表現されるようです。
年の初めには皆さん目標を立てられたり、初詣で願をかけられたりします。
しかし、最初の勢いは何処へやら、声高らかに宣言してきたことが徐々にトーンダウンしていって、達成できないどころか目標すら忘れてしまうなんてケースもあるのではないでしょうか。
子供たちが小さい頃にお年玉を渡す際に今年の抱負や目標を語らせてから渡しておりましたが、12月になって「どうだ、目標通りにいったのか?」と尋ねると本人たちはコロッと忘れていて、親しか覚えていないなんて年もありました。
達成できた年とできない年の違い、できる人とできない人との違いはどこにあるのでしょうか。
まずは、思いの強さだとも言われますね。
絶対できない訳はないと、できると信じてできる為の手段を常に意識して考えて修正を加えながら目標に向かっていく強い思いです。
できないかなぁって思って立てている目標は、できないものなのです。
ノミは自分の体の100倍近い跳躍力を持ちながら、透明なふたをされた容器の中に入れられ続けると、跳んでも頭をふたにぶつけてそれ以上跳べないので、自分はそれしか跳べないと思いこみます。
そうすると、ふたを外して自由に跳躍できる環境になっても、しばらくはふたをしていた高さの下ぐらいまでしか跳ばないのだそうです。
アジアゾウは子供の頃から飼いならされるので、後ろ足片足を鎖と杭につながれます。
初めてつながれた時は暴れて杭を抜こうと抵抗するそうですが、無理だと判ると諦めて抵抗を止めます。
巨大でパワフルな大人の象になって、杭や鎖を抜いたり引きちぎったりできるような力を持っても、大人しく子供の頃の杭につながれるそうです。
抜けないもの、引きちぎれないものと思い込んで成長してしまっているのですね。
こんな思い込みをしてしまっている人達に、経営者や上司、先輩が、低いフタをしてしまっていたり、鎖につないだりしている場合もあると思うのです。
本当は、大きく飛躍できる潜在能力を持ちながら、周囲がそれにブレーキをかけてしまっている場合もあるかもしれませんし、ご本人が気付かずに自分でフタをしてしまっているものを、周囲がフタを外してあげて自信を持たせる必要がある場合もあると思います。
自分で自分のことが一番分っているように思えますが、実は一番自分自身の良いところが見えづらいという面もあります。
次に、思いを念じて何度も人に語り、それで自らの思いが強くなり、人からの後押しや応援で実現可能性が高まるという面があります。
思いを伝える回数と、伝える人の人数で達成可能性が高まるといわれています。
叶うという文字は口に十と書きます。
1人の人に自分の叶えたい目標を最低10回はその目標を聞いていただくと、何とかしてあげたいと聞いた側は強く思い、応援を得られるので実現可能性が高まるといわれます。
それを最低10人に話すと、計100回以上目標を口にすることになり応援者の後押しも拡大します。
何よりも自分の思いを100回以上人に語ることによって強固になり、自分の深層心理に深く埋め込まれて、実現のための行動を無意識にしていくようになるとも言われています。
さらに、100回以上公言しているのですから、引っ込みがつかなくなる上に、応援もあるので、自己の強い達成意識が芽生えます。
ただし、弱気な言葉は吐かずに、前向きな姿勢で語ることがポイントです。
叶うの文字は、口にプラス(+)とも読めるのです。
これにマイナス(−)言葉が入ると、吐く(±)という字になってしまいます。
吐くは、グチだとか弱音だとか、良くないものが口から出る場合に使われる言葉の様です。
もうひとつ、目標を具体化してプロセス管理するということもポイントです。
例えば、年末までに15s減量しようという目標を立てたとします。
では、それを達成する為には明日から何をして、一週間後にはこのラインまで行く為に何をするか?…2週間後、3週間後…一ヶ月後、2ヶ月後…そして目標の12月末までと、具体化、進度チェック、実行方法の修正といったプロセス目標を意識していくことです。
1か月経過時の目標に1s足りなければ、ジョギングの距離を計画より増やしたり、サウナに行く回数を増やしたり、晩御飯のカロリーをもう少し減らすといった修正を図るのです。
漠然とこうなりたいという願望は誰もが描きます。
15sの減量は誰でも口にできるのです。
これを結果目標と呼ぶそうです。
しかし、強い思いがあるかないかの差は、どうしてもそうなる為に、細かく中間目標を立てて、そのために何をやるかを計画化し、達成度を追いかけて修正していくプロセス管理が必要です。
勿論、習慣化させることがまず一番大切で、中間達成のご褒美や楽しめるやり方など、やらなければならない義務感ではなくて、ゲーム感覚の様な楽しめるやり方が習慣づけには必要です。
そして、人間ですから決意が折れることもあるので、肩をたたいたり声をかけてくれたりする仲間をつくっていくのもポイントだと思います。
皆さまにとって本年が、『竜頭蛇尾』にならぬよう最後まで『画竜点睛』な一年となって、『登竜門』を越えて、天にまでも登れるような、思いが叶う年となりますようにお祈りいたします。
 
M−press .179  2011.12.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『切磋琢磨』
― 一年を振り返って思うこと ―
 
今年最後のコラムとなりました。
一年間、長い文面にお付き合いをいただきまして、ありがとうございました。
今号では、一年間一番申し上げたかった点をまとめてみたいと思います。
タイトルの諺ですが、中国最古の詩集「詩経」に載っている言葉だそうです。
「切」は、骨を切ったり尖らせたりすること。
「磋」は、象牙を削ったりみがいたりすること。
「琢」は、玉(美しい石)をノミで削ること。
「磨」は、石をみがくこと。
…いずれも硬い素材を加工する方法で、これを人間の修養にたとえた諺です。
意味は、@懸命に努力し勉励すること・研鑽を積むこと・修養、修練によって向上すること。
A志をひとつにする仲間どうしが、互いに励まし合い競い合って向上すること。
どちらかといえば、近年はAの意味で用いられることが多いと思います。
いずれにしても、私達ビューティサロンビジネスの世界は、この諺の意味の通り、学問・技芸・道徳などを練りみがくことに直結していると思っています。
知識とテクニック、そして人としての成長という三つが必要だと思うのです。
その為になにが必要なのかを考えながら、当コラムでは一年間書いてきたつもりです。
 
《人は人によって磨かれる》
 
講演会や人材育成のセミナーなどで良く耳にする言葉です。
企業研修やコーチング、講演会等で幅広く活動されている上田比呂志氏が、今年10月に発刊した著作『ディズニーと三越で学んできた日本人にしかできない「気づかい」の習慣』(クロスメディア・パブリッシング刊)の中で、この言葉をディズニーの精神の柱として語っています。
上田氏は料亭の息子さんとして育ち三越に入社、企画や店舗開発をしたのちに三越からフロリダのディズニーワールドに派遣されディズニーウェイを勉強して三越に戻り、その後米国ディズニーで250名のスタッフ養成をされたそうです。
ダイヤモンドの原石は硬いのでダイヤモンドでしか輝かせることができず、それと同じように人は人でしか磨けないという意味の主張です。
10年前の2001年に三浦綾子さんが致知出版より出版された著作に『人は人によって輝く』もあります。
中国の古い漢詩から残った諺では、『君と一夕話(せきわ)、読むに勝る十年の書』というのがあるそうです。
十年間読書で勉強するよりも君子(優れた人)と一晩話した方が良いという意味の諺です。
素晴らしいたくさんの人々との出会いの中からたくさんのことを学ばせていただく、これこそが正に人は人によってのみ磨かれるということだと思います。
サロンビューティビジネスの世界の醍醐味は、こういった多くの人との触れ合いの中で自分が磨かれて、成熟した人間として大きく成長できるといったことなのだと思います。
厳しい社会情勢になればなる程、私達の業界は人の触れ合いを通して成長できる素晴らしい仕事になると申し上げたいのです。
 
《棚から牡丹餅》
 
思いがけない幸運が労せずして転がり込んでくるたとえで使われる諺です。
棚の下に寝転んでいたら牡丹餅が落ちてきて、たまたま空いていた口に上手い具合にストンと落ちるという都合のいい話をネタにした諺です。
略してタナボタとも言います。
英語では、『He thinks that roasted larks will fall into his mouth.』(焼いたひばりの肉が口の中に落っこちてくると彼は思っている)と表現されます。
一見ラッキーとしか思えないような諺ですが、とりようによっては棚の下に行って寝転ぶアクションがあったからこそタナボタになれたとも思えます。
状況察知能力や、近未来を予知予測する能力、さらに言えば牡丹餅が落ちてくるように誘導する能力が現代の経営では不可欠ではないかと考えるのです。
そんな、時代を読んで先取りする力と、変えていく柔軟性の大切さを一年間語ってきました。
現在、トヨタがドラえもんの実写版のTVCMを放映中です。
CMの最後にのびたが免許を取るんだと決意を口にします。
トヨタのCMであるにもかかわらず車を紹介して売り込むのではなく、『免許をもって車に乗ることができないと、愛しのしずかちゃんをスネ夫に取られてしまうぞ』と免許取得を若者に訴えかけています。
日本の若者の車離れは凄まじいものだそうで、新成人免許取得が5割を切っているとの話で、20代男性全体で8割を切っているのではないかとの噂です。
まして若者人口が減ってきている中でのことですから、自動車メーカーにとっては深刻です。
小生の時代では運転免許は就職にも必須で、憧れもあり就職前に取るのが当たり前との認識がありましたが、時代は変化したものです。
若者の楽しみ方や遊びが多様化してきたことや、若者の所得の伸び悩みなどもあって、車を持つどころか、免許取得をためらう若者に車そのものに興味を持ってもらおうとすることこそが、トヨタは大切だと思っているのだと思います。
サロンビジネスでも同様に、お客様の需要を創造する必要があり、その必要性を訴えかけていく必要があるというのが、今年行ってきた主張です。
今までのメニュー構成で待っているだけでは難しい時代だと思うのです。
もうひとつ、最近セブンイレブンで『人生ゲーム』『エポック社の野球盤』など、ロングラン人気ボードゲーム類が販売されているのをご存知でしょうか。
クリスマスやお正月シーズンで、人が集まる機会が増えるのにともなって、訪問する側が持っていく需要や、招く側が購入して待つなどの需要を見込んだと想像しています。
業界の境目なく、お客様の喜ぶことを何でも取り入れていくというご時世なのです。
ネイルテーブルは美容室のみならず、ブティック、宝石店、ウィッグ専門店等に並び、ネイル技術がメニュー化されています。
美容室でも、ウィッグ&セットサロン&メイクアップ、着付けサロンの様な、シザーを使わない業態も現われています。
お客様の喜ばれる事なら、法律に反さない限りは業種をクロスオーバーしていく時代のように思います。
時代の感度を敏感にして、柔軟な頭で対応していきたいというのも今年の主張でした。
 
《絆》
 
「絆」は今年を表す漢字に選ばれました。
大震災の後、忘れていた心のつながりの重要性に改めて気付き、人と人との関係性の強化を考えた人が多いといわれます。
サロンビューティビジネスの様な、長時間滞在型のサービス業は、特にお客様とのつながりについて考えなければならない点が多かったとも思います。
今年は日本でもツイッターやフェイスブックが急速に利用者を増やしていきました。
それ以前より発展していたMIXIなども含めたSNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)の爆発的な普及です。
北アフリカエリアのイスラム国であるアルジェリア・リビア・エジプト等の市民革命や騒乱にはフェイスブックやツイッターが市民の情報源として市民の連帯の強化につながって、それらが無ければ旧体制は崩れなかったともいわれます。
人対人のつながりは、フェイスtoフェイスで直接向き合うのが、一番大切で基本ですが、暫く会えない時の絆をどう保つか感じ合えるかが長年のテーマだったと思います。
昔は手紙、そして有線の電話、さらに携帯電話、少し前までは、電子メールと発達してきました。
電話は一対一の独占コミュニケーションで、お互いの触れ合い度は高くても、それ以外の人とは同時接触ができない方法の上、相手の時間を拘束するものです。
電子メールは時間的拘束については無くしましたが、友達への拡がり感は少ないツールでした。
お店に来店された時間は濃密な関係が築ける技術者とお客様との関係が、一か月〜三か月の次回来店の間までに、密接な関係性が徐々に薄れがちだったものを、フェイスブック等はお互いに情報交換や日常会話が気軽にできるようになったことによって、その間に親密感をさらに深めることを可能にしたのです。
社員、スタッフの相互の関係強化にもつながるようです。
@ 現在を知りあう
A 過去を知りあう
B 未来を語り合う
といったことが組織の関係強化に必要と言われてきましたが、会議や勉強会、食事、レクリエーション等の旧来手段の他に、時を選ばないで日常のお互いを理解し合って認め合うSNSという、親密感を深め合う手段が増えたのです。
お客様とスタッフとの密接なつながりをどのように深めていく=「絆を深める」かが今後の課題と考え、一年間執筆してまいりました。
一年間お読みいただきまして誠にありがとうございました。
新年度もさらに充実した一年となりますようにお祈り申し上げます。
 
M−press .178  2011.11.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『船頭多くして船山に上る』
― 目的と手段を認識する重要性 ―
 
前号同様、船の諺で考えます。
タイトルの諺は、指図する人が多すぎて統一がとれず、目指すところと全く違う方向に進んでしまったり、とんでもない方向に進んでしまったりするたとえで使われます。
船乗りを指揮する船頭が何人もいると、めいめいが勝手に命令をしたりするので、目的地どころか山にまで登ってしまうかもしれないとの戒めで使われます。
類似した諺では、「船頭多けりゃ岩に登る」「船頭多けりゃ沖に乗り出す」というものもあります。
英語では、「Too many cooks spoil the broth.」(コックが多すぎるとスープが出来損なう)と表現されるようです。
大きな組織のみならず、少人数の集団であっても、互いの捉え方が違っていると船は違う方向に進み出します。
人の考え方、捉え方は千差万別で一人一人違うことが当たり前なので、同じ指示を受けたり、同じ勉強をしたりしたとしても、一人一人が行うことは違ってしまうことは当たり前なのです。
そういう違う受け止め方をした上司や先輩(=船頭)が指示をそれぞれ出せば、船は蛇行をし始めてしまいます。
そこで皆が意思疎通を図って統一しようと動くのですが、ここで陥りがちなのは船の操縦法のような、手段ばかりを統一しようとしてしまい、目的地や海図といったような大切な目標や中間目標を見失ってしまうといった罠にはまってしまうことです。
店舗や企業の理念といったものが、その目的地に当たります。
たとえば、理美容サロンであれば、「お客様に最高の輝きを与える」とか「最良の時を過ごして頂く」、「笑顔でお帰りいただく」と言った理念をお持ちになっていることと思います。
そういった組織の目的地を見失わずに、しっかりと全員が腹に落とし込んでいれば、その目的に添った手段として、手法的な違いはあっても各人が同じ目的に向かって建設的な意見交換ができてくるものなのです。
 
《船頭のそら急ぎ》
 
実はちっとも急がないのに、人をせき立てて、まるで急いでいるようなふりをすることのたとえで使われる諺です。
船頭が「船が出るぞ」と言って客を急がせ船に乗せておきながら、なかなか船を出さないことから出て来た諺です。
船頭がまだ出航しないのに無理に仕事をつくっているようで、嫌な響きも感じてしまいます。
船長、副船長、航海士、副航海士など、船がさほど大きくもないのに役職者をつくり過ぎていくと、自ら自分達の役割をつくっていこうという人達が出てきて、複雑怪奇な余計な仕組みをつくってしまう恐れがあります。
シンプルに目的地を目指して協力していく航海から離れ、人を動かしたり、組織を維持したりすることを目的と勘違いする者達が出てくる場合もあります。
ご批判を覚悟の上で敢えて述べると、日本の官公庁や政府の中でもこの様な体質によって、立場や組織を守ることに注力してしまうような無駄が出ているようにも見えてしまうのです。
或いは護送船団方式とも呼ばれるような、日本独自のスタイルで権益を守る為に過去に創られてきた、ある面社会主義国以上の閉鎖的な保護貿易主義が、現在の国際化の流れに合わなくなって、制度的に疲弊しているようにも感じてしまうのです。
野田総理が外圧に屈したなどの批判を受けているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の参加交渉も、以前から引きずってきた日本の制度的組織的な古い体質が現状に適合できていないひずみとなって現れているようにも小生には見えてしまいます。
お話をサロンビジネスに戻すと、満足感や感動を与える為の仕事のはずが、接客技術や施術方法のテクニック論の充実ばかりが独り歩きしてしまうと、目的を見失ってしまいがちになります。
目的を見失うと、手段や方法の充実面ばかりに目がいってしまい、おもてなし心の本質からかけ離れてしまう心配があります。
私達商事会社の立場の場合では、サロン様がそのお客様に愛され、喜ばれて繁盛する店舗にしていくお手伝いをしていく目的を忘れると、目先の商売に捉われる勘違いした船頭が増えてしまい、自社の売上高だけに目をとられてしまって、企業理念からかけ離れた行動をとってしまう社員が出てくる恐れがあります。
「船頭のそら急ぎ」にならない様に、船頭(達)が理念(目的)通りの仕事になっているか、経営者が自ら水先案内人となって導いていかなければなりません。
 
《船は船頭に任せよ》
 
この諺は、『もちは餅屋』『芸は道によって賢し』『海の事は漁師に問え』等と同じ意味で、「ものごとは、どんなことでも、それを専門とする者に任せたほうが上手くいく」というたとえで使われます。
現在、読売巨人軍の経営陣の内紛劇が報道をにぎわせています。
球団代表の清武氏が球団会長で読売グループの総帥である渡辺恒雄氏を公然と批判したことで、両者の中間役職的立場にある、球団社長で球団オーナー職でもある桃井氏から逆に解任発表されるという事態になっています。
今後の人事では、読売新聞の社長で渡辺恒雄会長に近いとされる白石氏が球団オーナーも兼務して、球団経営に就くとの噂もあり、大荒れの内輪もめに発展しています。
渡辺恒雄氏が過去に発言した「巨人は一番であるべきだ」に代表される球団への強い思いが、船頭を多くしてしまった球団指導体制と相まって、乗組員の頭(ヘッドコーチ)人事にまで介入してくることになって、揉めているように小生には見えます。
船頭が多くなり、乗組員への指示が二転三転していては、荒海に乗り出して命を懸ける船員達の士気も上がらずに、踏ん張りも効かないものだと思います。
逆に、日本シリーズで熱戦を繰り広げた優勝のホークスと準優勝のドラゴンズの両チームは、どちらも練習量ではどのチームにも負けないと豪語する厳しい練習を春季キャンプから積み重ねて、チームがひとつになって戦ってきたように見えます。
シーズンに入ってからは、監督とコーチはそんな選手達を信頼しきって、持ち味を発揮できるように適材適所で起用して、伸び伸びとプレーさせているように小生には見えます。
お金をたっぷりかけて人を集め、監督・コーチの首をすげ替えるだけでは優勝はできないのです。
 
《乗りかかった船》
 
かかわりを持ってしまった以上、もう途中で手を引くわけにはいかなくなってしまうことのたとえで使われる諺です。
一度乗ってしまい、海に出てしまった船からは、もう途中で降りることはできないのです。
英語の諺ではもっと過激に、『He that is out at sea, must either sail or sink.』(海に乗り出した上は、進むか沈むかしかない)と表現されるようです。
経営者が事業を起こす際に「腹をくくる」とは、正にこういう心情なのかとも思います。
ブラッド・ピット主演で、11月11日から日本封切りされた映画『マネーボール』もプロ野球が舞台の映画です。
以前は米大リーグの有力球団だったものの、選手年俸が高騰した1990年以降低迷を続ける資金難チームのオークランド・アスレティックスを、強豪チームに変身させ、2002年には20連勝というとてつもない大リーグ新記録まで樹立させるまでにした敏腕ジェネラル・マネージャーのビリー・ビーンをピットが演じています。
今シーズン、松井秀喜が在籍したチームです。
ビリー・ビーンは、野球ライターで野球史研究家・野球統計の専門家でもあるビル・ジェームズが1970年代につくったセイバーメトリクスと呼ばれる、統計学的見地から客観的に分析し、選手の評価や戦略を考える分析手法を大胆に取り入れ、選手の評価をし直したそうです。
年俸の高いベテラン有名選手の評価を落とし、そういった選手が次々と退団をすると、他チームで居所を無くした大きな欠点もあるが大きな長所を持つ選手達を、統計学的評価に基づいて補強し、特長部分のみを生かす役割分担起用法を確立しながらチーム作りをし、常勝球団に育て上げたと言われています。
米国プロ野球の世界では、背広族は嫌われているそうです。
球団社長、編成部長、ジェネラル・マネジャー(GM)等、ユニフォームを着てフィールドに立たないのに、人事や戦略につべこべ口を挟む連中のことです。
ビリー・ビーンはGMなので、普通なら憎まれ役にされそうなところですが、映画の主役です。
ただし、ビーンはヒーローでもアンチヒーローでもない設定に。脚本家はビーンを「半端者」に設定し、野球選手として挫折を体験し、いつまで経っても自身の弱点をなかなか克服できない半端者として描いています。
そんな男がGMという権力者の立場になり、その周囲にも複数の半端者が登場します。
イェール大学出の秀才だが野球の体験がないピーター・ブランドや、実力はありながら、従来のデータ分析では過小評価を余儀なくされてしまうたくさんの地味な野手や投手達です。
彼ら半端者の意識変革によって組織が劇的に変化していきます。
彼らは吠えず、嘆かず、悪びれず、運命や弱点に押しつぶされそうになりながら、くじけずに戦いつづけていきます。
弱点の多い登場人物達が、難局を強行突破し生まれ変わっていく姿は、人は誰でも自己の持ち味を発揮したいと望めば、変身できるものだと気付かされます。
日本のプロ野球でも野村再生工場と呼ばれた、ピークを過ぎた熟練選手の残る才能を引出して活躍させる監督が存在しました。
巨人軍の現場と経営陣の不協和と比較すると雲泥の差の様です。
教訓としては、船頭を多くせずにリーダーの水先案内が大切と思いますが、いかがでしょうか。

…映画.comの芝山幹郎氏の寸評を一部引用しました
 
M−press .177  2011.10.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『船は帆でもつ、帆は船でもつ』
― 風向きや流れる方向を見極める大切さ ―
 
モーターやエンジンなどの動力が無い太古の時代には船は風任せでした。
飛行機や鉄道、自動車も無い時代に人間が創った文明の利器のシンボルだったことでしょう。
この諺は、帆があるから船は走れるし、帆は船というものがあるからこそ存在価値があるということから、つくられました。
『世の中はもちつもたれつ、互いに助け合ってこそうまく成り立っていくものだということ』の意味で使われます。
船をサロンや会社、帆をスタッフや社員に置き換えてみても諺が成り立ちます。
また、帆をお客様や仕入元などの取引先に置き換えても諺の意味が成立します。
飛行「船」がエア「シップ」、飛行機が登場しても空「港」(エア「ポート」)、搭乗「橋」(ボーディング「ブリッジ」)など、船の時代を受け継ぐ単語が空の世界にもたくさん使われます。
諺の数についても、船を使うモノが大量に存在します。
今回は船に関する諺から、現在のビジネスに有効な考え方を探してみたいと思います。
 
《舟は帆任せ、帆は風任せ》
 
帆掛け舟の進み具合は帆次第、その帆は風次第で、自力でなんともしようがないという意味からできた諺です。
「ことのなりゆきにすべてを任せて、なすがままに身をゆだねる」ことを表し使われます。
どちらかと言えば、良い意味で開き直り、運を天に任せる場合に使います。
投げやりの様にどうにでもなれと身をゆだねることではないと思います。
しかし、舟の上に身を任せ、風に任せているだけでは、当然経営は成り立ちません。
戦後の高度成長期には、現在の中国と同じように日本の経済は発展しており、物価も上昇し所得も上昇し続けていました。
理美容サロンにもまさに追風が吹いていた訳で、「順風満帆」という諺通りの時代だったのです。
時の流れに身を任せていれば、大きな冒険さえしなければ、安定した成長が計算できる業界状況にあったのかも知れません。
では現在はどうかというと、日本の経済状況そのものも向い風の上、業界にも逆風が吹いていると言われています。
ですから、「帆任せ、風任せ」では、進むどころか、どこへ流されていくのかわからないという状況なのです。
やはり、最初にご紹介した『船は帆でもつ』のほうで、お互いにもちつもたれつ助け合いながら、チームプレーに徹していかなければならないと思います。
帆船やヨットは帆の操り方次第で、前から吹いて来る逆風を受けとめて、勢い良く前へ進むことが可能なのだそうです。
むしろ強い横風の時の方が操縦は難しく、それ以上にも更に困るのが無風の時なのだそうです。
強い逆風の時は頭を使って、巧みな帆扱いで前進推進力に変えることが可能なのです。
 
《呉越同舟》
 
中国の春秋時代、呉の国と越の国の両国は仲が悪く、しばしば戦っていたそうです。
呉の人と越の人が同じ舟に乗り合わせましたが、その舟が嵐に巻き込まれ、両者は互いに助け合って危険から逃れたそうです。
この話を基にして、敵と味方が同じ場所に居ることの例えとして使われるようになりました。
また、敵と味方や仲の悪い者同士が、共通の利害から力を合わせることの例えでも使われるようになりました。
10月19日からスタートしたギンザファッションウィーク(GFW)で、呉越同舟そのもののような形が見られました。
銀座中央通りの同じサイドで、銀座4丁目と3丁目、徒歩30秒の至近距離で並び建つ、銀座三越と松屋銀座が合同プロモーションを構えたのです。
日本橋を本店として創業した三越が銀座に支店を出店した昭和5年以来、80年以上も競合関係にあった、ライバル同士が初めて手を組んだのです。
両店より有楽町駅に近い数寄屋橋交差点近くに、阪急メンズ館ができ、10月28日にはルミネ有楽町店がオープンすることもあり、交通至便な有楽町に対抗して、銀座ブランド復活と銀座の活性化の為に三越と松屋が手を組んだのです。
両店は共同のキャンペーンばかりでなく、バッグ等の共通ブランド品を開発したとのことです。
大阪では阿倍野地区の再開発で今春オープンしたキューズモールの開発主体である東急グループが、長年天王寺阿倍野エリアの中心であった近鉄グループと手を組み、阿倍野地区活性化計画をスタートしています。
大阪市内では初の大型開発を行う東急グループが、近鉄グループと手を握ることによって、梅田エリアや難波エリアに負けないもうひとつの核エリアとして、天王寺・阿倍野地区を活性化させたいという思いが、このジョイントを結実させたようです。
梅田エリアでは阪急百貨店と阪神百貨店という長期間のライバルが実質的合併ともいえる経営統合もありましたし、伊勢丹と経営統合した三越が、三越伊勢丹名称の初ブランド名店舗を今年大阪駅にオープンしました。
この他にも松坂屋が大丸と合併して発足したJ・フロントリテイリング梶Aそごうと西武とが合併したミネニアムリテイリングを更にセブン&アイ・ホールディングスが吸収合併した上、自社のもっていたロビンソン百貨店を経営統合するなど、江戸時代や明治時代から続く老舗百貨店の経営統合が進んでいます。
「昨日の敵は今日の友」の世の中になってきているのです。
理美容業界の大手美容室チェーンの経営統合や合併についても、数多く出てきています。
しかし、そこまでいかずとも、三越と松屋の同地区での共同キャンペーンのように、近隣エリアで理美容室同士が共同歩調を取ってお互いの活性化を図ることは可能だと思うのです。
業界内の進歩的経営者団体では、同エリア内の加盟サロンの活性化策として、踏み込んだ合同キャンペーンや共同オリジナル商品の企画製造もされています。
もはや、近隣の同業者は敵ではなくて、一緒に高め合っていくパートナーとして、見なさなければならないとも感じます。
 
《入船あれば、出船あり》
 
港に入って来る船があれば、反対にこれから出ていく船もあるように、世の中のことは色々、さまざまであるということの例えで使われる諺です。
近い諺では、「片山曇れば、片山日照る」というものもあります。
こちらは、一方で悪い事があれば、もう一方では良い事があるものだという意味で使われます。
auが、今まで日本ではソフトバンクが独占していたi‐Phoneを4Sから取り扱いするようになりました。
一気に携帯通信業界が熱く動き出しました。
auは今まで推奨してきたアンドロイドとウィンドウズphoneに加えてMacOSを手に入れて、唯一3つのOSを全て持つことになりました。
日本の携帯通信システムは、半官半民の国策企業だった電々公社を民営化してNTTができ、その後携帯電話が広まっていく際に、外国からの参入を阻むような障壁となる規制を設け、NTTドコモが独占スタートしたようにも取れる歴史があります。
後には外圧によって、複数の通信会社が参入できる様になり自由化されましたが、世界共通の仕様からは、かけ離れたガラパゴス的な片寄った進化で仕組みが作られ、発展してきました。
例えば、日本の携帯を海外に持ち出すと思うように使えなかったり、外国から持ち込んだ場合も国内で思うように使えなかったという様な進化の状況でした。
国際的に圧倒的に優位だったCDMA方式の通信方法をauしか積極推進しなかったということもあるようです。
今回のi‐phone4Sは2種類のアンテナを持ちその場所で最適な電波を携帯端末側が自動的に判断して、どちらかの方式の受信をするというものです。
今までの日本仕様のi‐phoneは、日本国内でのみソフトバンクの電波を受信できれば良いものを販売していました。
今回はCDMA方式のアンテナも、もうひとつ内蔵して発売するということですので、日本国内で使用する場合でも、ソフトバンクとauでは、知らぬ間に違うアンテナで送受信をしていることになります。
元々、音質が良いとされてきたCDMA方式でエリア拡張を計ってきたauの通信エリアと、ソフトバンクの通信エリアの違いなどによる利便性の勝負になるのかも知れません。
NTTドコモ側もじっと見ている訳ではなく、たくさんのスマートフォンの発売を発表した上に、水面下ではi‐phoneの取り扱いも視野に入れて交渉中との噂もあります。
圧倒的シェアをかつて誇っていたNTTドコモは自社に優位な独占的制度の撤廃による、本当の意味での自由化を迫られてシェアを奪われてきました。
ソフトバンクの「お得」制度で首位を明け渡し、「着うたフル」や「音質」でauにトップシェアを奪われた時期もありました。
i‐phone攻勢で更にシェアを落とすとも見られたドコモですが、官僚的体質を改めるべく、大幅に社内体質を改革し、民間の血を入れて消費者ニーズを探り、沢山の新製品発売とサービス向上を図って、トップシェアを奪い返してきました。
官の代表格のようにも見えたドコモが完全に民に変質してきたと見る専門家もいます。
民の代表格として、ゼロから叩き上げてきたソフトバンクグループの孫正義氏と、京セラを起こし、現在はJALの立て直しまで請け負う、現代の民間を代表するカリスマ経営者KDDIグループの稲盛和夫氏と、ドコモを交えた政治力の戦いのようにも小生には見えるのです。
稲盛氏は元々国際電話を扱う国電々がDDIに完全民営化された後も、官僚体質を引きずっていたのを改め、さらにトヨタなどにも出資を呼び掛けて民の結集としてauをつくりました。
auはトヨタ系カーディーラーや、有線放送企業など沢山の資本グループ下のネットワーク企業から販路を拡大してきました。
携帯電話は携帯電話の会社から
のみ販売するものではないという新しい考えでの戦略です。
 
《渡りに船》
 
法華経から出た諺だそうです。
川を渡ろうとしていたところに、都合よく船が来るという意味から、「あることをやろうとしているときに、都合のよいことに思いがけず出会う」ことのたとえで使われます。
同業者は決して敵ではなく、活性化のパートナーとして手を組み、合併や経営統合すらも考えられる運命共同体と捉えるという発想転換をしてみたらというご提案をしてきました。
また、携帯電話のお話では、変化に対して柔軟に対応する姿勢の重要性について触れました。
10月20日付日経に、一年前に通信販売の総合売上で日本一となったジャパネットたかたについてのニュースが載りました。
同社はテレビショッピングやラジオショッピングで有名ですが、折込チラシ、カタログ送付、インターネット、メールマガジン等、できる手段はすべて活用する複合型通販企業なのです。
二年連続で通販Nо1企業に輝いた同社ですが、本年度は通販サイトが47%の大幅な伸び率を示して、今まで一番の売り上げだったテレビショッピングを超え、ネット経由がテレビを抜き去ったのです。
高田社長のかん高いトークで有名になりテレビ通販の印象が強いだけに、そして色々な媒体を使う同社の中でネット経由が一番になった事実をしっかりと受け止めておくべきだと思います。
同社は、高田社長の実父が長崎県佐世保市郊外で開いた小さなカメラ販売店(有)たかたカメラが前身で、1974年に就職先から戻った高田明氏が、12年後に独立して(株)たかたにしたのが始まりとのこと。
それから25年で、1161億円の売り上げの会社を九州の西端で創ってしまったのですから凄いことです。
通販業界では伝統的なカタログ販売が減少傾向にあるそうです。
その代表格であったニッセンが、携帯電話やスマートフォン経由の売り上げを大きく伸ばし、カタログの不調をITでカバーして2位だった千趣会を抜いて、3位から2位に上昇しています。
現在は驚異的なスピードで登録会員を増やしているフェイスブックやツイッターなども、顧客とのつながりを深め、顧客の要望収集、そして情報発信の為の有効な手段となってきています。
ジャパネットたかたは小都市のカメラ店から、ラジオやTVショッピングのチャンスをものにし、そこに経営政策を集中し成功していきました。
しかし、次々とあらゆる手も打ち、一度購入された顧客にインターネットを使ってフォローして、遂にはネットサイト経由が最大の売り上げになりました。
これは過去のTVなどの成功例に縛られず、近づいてくる「チャンス」に対して「渡りに船」と認識し、船に乗っていくことを続けたからだと思います。
ITは販促に使うというよりも、お客様との親密な人間関係を創りファンになってもらうこと、そして店のブランド構築の要素の方が強いと思います。
その為にサロンサイドとしては、i‐Phone等のスマホやi‐Padなどのタブレット端末の活用、そしてフェイスブックやツイッターといったコミュニケーションツールの活用等、船に乗り遅れずに、それらを「渡りに船」のチャンスと思えるかどうかにかかっているかと思いますが、いかがでしょうか。
船の運航(経営)は、決して風任せ(景気次第 )ではないということは、経営者としてしっかりと認識しておきたいものです。
 
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『流水は腐らず』
― じっと我慢するより大切なこと ―
 
中国の秦の時代に呂不韋(りょふい)という人が、高名な人達を招き、その話を本にしました。
その書が『呂氏春秋』(ろししゅんじゅう)で全26巻あります。
その書の中に出てくる『流水不腐』が諺になったものです。
常に流れている水は、よどんで腐ることがなく、それと同様に常に動いている『モノ』は、沈滞したり腐敗したりすることがないというたとえで使われます。
ここで『モノ』とカタカナで表現したのは、個人としての「者」ばかりでなく、組織的な「人の集団」や「物」としてもこの諺が成り立つからです。
近い意味の諺としては、『転石苔を生ぜず』があります。
ころがる石にはコケは生えないというものです。
英語では「A rolling stone gathers no moss.」(回転する石にコケは付かない)と表現されます。
経済活動でも生活面でも、「厳しい時にはじっと我慢しろ」、「動くな」、「慎重に」と周囲から次々と現状維持論に近いメッセージが飛んできます。
私の考えでは、低迷した時期に遭遇した時に、どの様なアクションを取るかが経営者としての腕の見せどころだと思うのです。
もちろん、慎重に構えて考え抜くことが必要な局面もあるのでしょうが、ただじっとこらえているのではなく、次に動く準備を着々と進めたり、すでに次のアクションの為に動き出したりする必要があると思うのです。
今回は、経営資源である「人・物・金・情報」の各視点から、水を流すことによって清流をつくり、さらに川を太くする方法を考えてみたいと思います。
 
《情報とは》
 
経営の三要素については、皆さま学校で勉強されたと思います。
それは、「人・物・金」でした。
近年は四要素と呼ばれるようになりました。
加えられたものが「情報」ですが、小生が社会に出た三十数年前には既に四つ目として語られてはいたものの、インターネットの普及でここ数年飛躍的に重要度が増しているようです。
30年前には、仕事でも携帯電話はほとんど使われておらず、ポケットベルで呼び出され、公衆電話で連絡を取っていました。
PCの普及、インターネットの大衆化、携帯電話の浸透、携帯メールの一般化と進み、ツイッターやフェイスブックの登場となって、人と人とのコミュニケーションのあり方が大きく変化してきているのです。
待ち合わせで遅れ、捜し廻っても会えずに苦労した時代から、携帯電話で直接連絡することもできる時代に変わったのです。
メールで、今どこで何をしているかも分かり、ツイッターやフェイスブックで大勢に呼びかけて意見を聞いたり、情報発信ができたりするまで変化しました。
GPS(全地球測位システム=Global  Positioning System)機能付の携帯であれば、持っているだけで、その人が今どこに居るのかが判明します。
また、ナビゲーション機能に携帯をつなぐと、迷子になったとしても目的地に導いてくれます。
調べものをする時は、以前は百科事典で調べたり、図書館に足を運んだりしていましたが、現在はインターネットの検索サイトで、瞬時に大量の知識を得ることが可能になりました。(いつでも調べられるので、覚えようという気持ちが少なくなる弊害もあるかも知れませんが…)
モノを購入するにもインターネットで調べ、食事をするにも、美容の様なサービスを受けるにも、事前にPCと向き合う方は確実に増えていると思います。
人と会いに行くお互いの手間を省きたい場合は、ツイッター、フェイスブック、グリー、ミクシィなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)を使って、触れ合いたい人同士がチャット連絡を取ることも可能ですし、一方的に現在の近況報告をつぶやくことも出来ます。
さらに電話も、スカイプを使ったインターネット回線で、二人以上の人達で同時に無料会話ができるようになっており、webカメラを付ければ、テレビ電話が無料でできる時代なのです。
もちろん、ミーティングや本支店間の会議もスカイプででき、離れた場所でのイベントの実行中継さえ、素人でもできてしまう世の中なのです。
インターネットは、米国ユタ州で1961年に起こったテロが発端になって生まれてきたとされています。
三ヶ所の電話中継基地が爆破されたことによって、一般電話回線と同じ有線の仕組みを使っていた、米国国防総省の回線もストップしてしまいます。
危機感を持った国防総省は核戦争時にも耐え得る通信手段の開発に着手します。
これがインターネットの始まりだといいます。
1964年の東京五輪で初めて世界に、衛星同時TV中継が行われる三年前に、さらに新しい仕組みの構築が始まっていたことになります。
通信情報の分野は、日進月歩であり、次々と新しく安価で便利な仕組みが生み出されています。
頭を柔軟にし、アンテナを張り巡らして、情報技術を一早く使いこなしながら、より有用な活用法を自らが生み出す気持ちが今の時代は大切だと思います。
「人・物・金・情報」のうち、情報の占めるウェイトは確実に増し、「金」の部分のウェイトは減ってきていると思います。
今までは資本力に対抗しづらかった経営も、IT(情報技術=インフォメーションテクノロジー)の上手い活用によって、投資を少なくしながら、顧客との親密なつながりをつくって勝負できる可能性が増しています。
「情報」とは、「情け」に「報いる」と書きます。
機械的にスマートに発信することが情報ではないと考えます。
人間臭く、親密に、フレンドリーに、感情に訴えかける発信で、特別なサプライズを与え続けてこそ、インターネットを最大限活用していくことになるのではないかと捉えています。
中小企業のインターネット活用は、大手にできない感情を揺さぶるモノでなければ効果が無いといったら言い過ぎでしょうか
 
《感動》
 
情報とともに現代の経営資源として重要度が高いのは、「人」だと小生は思っています。
特に理美容の様なサービス業種で、技術職でもある職種は特にその重要性が高いのは当然です。
人を育てるということは、一朝一夕にはできないことです。
だからこそ繰り返し人を育て続けていくしぶとさが必要であり、満足感が存在せずに、さらに高みを目指すものだと思うのです。
教えながら教える側も成長でき、接客しながら接客する側も、される側も感動できるのがビューティサロンビジネスの一番の魅力と言えるのかもしれません。
IT技術を使って、いかに親密感を創るかという点を前項で述べましたが、対人関係は直接面談するフェイスTOフェイスが最善最良の方法です。
それがあって初めて、IT技術は成り立つものだと考えるべきだと思うのです。
「感動」とは、相手の「感情」を「動かす」ことです。
「喜怒哀楽」と人の感情を表現しますが、「怒り」と「哀しさ」を除いた「喜び」と「楽しさ」を店内でお客様に味わっていただくよう努力すべきだと思います。
お客様の「喜」と「楽」の「感情を動かし」て、感動を生み出していくのです。
人間の意識には常に自分で感じ取れる顕在意識と、普段は意識していないが何かのきっかけで気付く可能性もある潜在意識、そしてさらに深いところには意識することも困難な無意識の層があるそうです。
近年の学術研究によると、以前には10%以上はあると言われていた、顕在意識(本人が認識できるもの)は4%未満とか、学者によっては2%も無いなどといわれるようになってきています。
人は、意識しないでも、感情だけでも動ける動物なのです。
人間は感情の動物という表現は、そんな意味では正しいのです。
感情とは鏡の様なもので、楽しそうな人を見れば見ている自分も楽しくなってきます。
悲しい顔を見れば悲しく、辛そうな顔を見れば辛く、不安そうな顔を見ると不安になります。
しかめ面や泣きっ面を見ると心配になり、怒った顔を見れば攻撃的になったり、反対に防御の姿勢を取ったりします。
すべて、無意識に自分の感情が動き、自分の体をそうさせるためのホルモンがかけ巡ります。
不安や憤りのホルモンや緊張のホルモン(例えば、アドレナリンやノルアドレナリン等)です。
笑顔が大切なのはそんな理由からなのです。
笑顔を見るだけで、喜びや楽しさを感じ、快楽のホルモン・ドーパミンが分泌されるのです。
感情を動かす感動のサービスには、お客様の期待感を超えた、想像以上のサプライズ(驚き)サービスが必要です。
技術でも接客でも、期待を超えた感動を与えたいものです。
来店時にそこまでの感動を与え、来店されない期間には、IT技術を駆使して、親密感を維持強化するといったイメージではないでしょうか。
 
《労働の価値》
 
「金」の要素については、サービス業では人に対する投資が大きな割合を占めます。
理美容業では特に固定費の大部分を人件費が占めます。
初期段階の資本主義では、労働の価値は時間が大きな要素だったといわれます。
「Time is money」そのものだったのです。
単純労働では、どれだけ時間を労働に拘束されて、自分の時間を差し出すかにより時間に対し給料が支払われる考え方でした。
重労働であれば、拘束時間に労働力、あるいは人手としての価値が高まり支払われる賃金が上昇するという考え方でした。
ある意味、人の労働を頭数で見て、能力的には差を見出さないという考え方でした。
発展途上、そして戦後の高度成長期までは、日本でもその考え方は底流にありましたが、バブル期や不況期を経て、大きく考え方が変化しました。
仕事の内容、結果によっての評価で賃金が決定する考え方です。
拘束時間や頭数や人手という見方ではなく、個人の仕事振りで評価が決定づけられるのです。
豊臣秀吉は農家から、足軽として信長の家来になり、そこから大出世を遂げたといわれます。
逸話として語られる中に下足番として、自らの判断で、寒い日に信長の『ぞうり』を自分の懐で温めたと語られています。
与えられた役割の中で、独創性をもって目立った活躍をそれぞれの段階で重ねたからこそ、天下人になれたと思うのです。
できる人は周囲の人が「下足番」のままにしておかないのです。
下足番の時に、人のやらない努力や一所懸命さを見せると、上司や周りの人はそのまま放って置かずに次の役職を与えるものだと思うのです。
著名な実績あるスーパースタイリストは、アシスタント時代にも、人のやらない努力をして際立つ、スーパーアシスタントだったのではないかと思うのです。
接客と同様に、人の期待以上の働きをすると賃金も上がっていくという、人物評価基準主体の時代になっていると考えます。
活き活きと明るく積極的に、新しいモノを生み出す結果を出す働き方が大切な時代と思います。
 
《変化の価値》
 
最後に「物」についてです。
サロンは、非日常を楽しんでいただく空間です。
自宅リビングでくつろぐより安らげないとか、入店するお客様がワクワクできないようではいけません。
お客様にワクワク感を抱いて入っていただく為や、新しいお客様に期待感を持っていただく為に、入口面(ファザード)だけのプチ改装でリニューアルするのは、お客様に喜んでいただくための良い策だと思います。
逆に既存のお客様に一層充実した時を楽しんでもらう為に、中だけを改装する方法もあります。
狭い間隔で、セット面をたくさん準備していたサロンが、セット面を減らしてお客様間のスペースを拡げて、リラックス志向の空間にリニューアルしたり、明る過ぎた照明を安らげる照度に落としたり、LED照明で省エネを兼ねるといった改装です。
お客様の回転効率で運営するサロンから、長い時間滞店していただき、ヘッドスパなどのリラックスメニューやフェイシャル、ネイル等で総合サロン化する様な動きも見られます。
PCによる顧客サービス強化や、ipadを活用したお客様スタイルの提案なども重要です。
経営上のじっと我慢とは、何もしないのではなく、次に向かっての準備をしっかりしていくことが重要で、変化を拒んでいては経営が成り立たない時代と考えますが、いかがでしょうか。
 
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『成らぬ堪忍するが堪忍』
― 歴史をつくっていくこととは ―
 
どうしても我慢できないことを我慢するのが、本当の意味での忍耐であることを示した諺です。
「堪忍」は、こらえる・我慢することの意味で使われています。
これに近い諺では、『韓信(かんしん)の股くぐり』という『史記』を起源とする諺があります。
「韓信」とは、漢の天下統一に功績のあった名将で、彼が若い頃に町のごろつきに喧嘩を売られたが、韓信は大志を抱く身であったからごろつきと争うことをぐっと堪えて避けたそうです。
その際、言われるままに、ごろつきの股の下をくぐらされるという屈辱をあえて受けたが、その後韓信は大成し、天下統一のために活躍したそうです。
将来に大望のある者や大志を抱く者は、目の前の小さな侮りを忍ぶべきという戒めや、そういう人は屈辱にもよく耐えるというたとえで使われる諺です。
英語では、『Patience is a flower that grows not in every garden.』(忍耐の花は、全ての庭に咲くわけではない)と表現するようです。
さて、今年7月の、女子W杯ドイツ大会でなでしこJAPANが歴史的快挙を成し遂げました。
なでしこの選手の皆さんも、夢を持って、大好きなサッカーを続けながら、沢山の我慢を重ねてきた歴史があると感じます。
今回は、スポーツから参考になる点を考察したいと思います。
 
《雨垂れ石をうがつ》
 
一定の場所に落ちる雨だれは、長い間に下にある石に穴を明けてしまうという意味から、小さな力でも根気よく続ければ成功できるたとえで使われる諺です。
英語では、『Constant dropping wears away the stone.』(水も不断に落ちれば石をも磨り減らす)と表現されます。
今回のなでしこJAPANのW杯制覇の過程は、正にこの諺の通りだと思います。
実は、小生は以前少女サッカーの関係者でしたので、今回の活躍には万感の思いがあります。
娘二人がサッカー少女になり、特に長女は小学校入学前からサッカーボールと戯れていました。
リフティングも男の子達の数倍〜十数倍回数ができたり、空中でドリブルしながら地面に落とさずに自陣ゴールから敵陣ゴールに運んでシュートといったスキルもあったりもしたので、男子チームの中でも中心選手でした。
特に、小学校高学年になると、一般的な少年選手より身体能力も少女選手のほうが上なので、少年チームの中心選手に女子選手が1〜2人いるチームは良く見受けられました。
ですから、娘も男子クラブチーム、少女だけのチーム、そして県の少女選抜チームと掛け持ちで練習・地域大会・遠征を繰り返すといった、文字通りサッカー漬けで休みがない状態でした。
キャプテンの澤選手始め、なでしこの全選手が少女時代は同じ様な体験をしていたと思います。
当時は、少年期の公式大会に少女は登録制度上出られないことになっており、市民大会やクラブ主催のカップ戦、練習試合にのみ少年チームに少女選手が出場できる状態でした。
公式試合に出たい少女選手は、女子サッカーチームを求めて遠くまで出かけて参加し、そこに登録して出場機会を得る活動をしていたのです。
小生が当時活動していた神奈川県は少女サッカーに対して古くから力を入れていた地域でした。
川崎に読売ベレーザ、平塚にフジタマーキュリーという女子サッカーリーグのトップチームを抱え、ユース世代やジュニアユース世代でも、横須賀シーガルズ等の全国制覇した有力チームが数チームありました。
小学生の少女世代でも、清水草サッカー大会や全国大会を制したチームが多数あり、15年ほど前には県内で30チーム程の少女クラブチームがありました。
その中でセレクションされた選手達が、神奈川県の選抜チームである『やまゆり』として全国大会に遠征していくのです。
今回のなでしこJAPANには、その神奈川県選抜チーム出身の7名の代表が入っており、他に1名が神奈川県のクラブチーム所属だったので、間近で見てきた選手たちが世界一になったことは感慨深いものがありました。
特に、川澄、上尾野辺、永里の各選手は長女と県選抜で同時期を過ごしたメンバーでしたので、よくもここまで成長したなとの特別の思いがありました。
 
《思う念力岩をも通す》
 
一心に思いを込めて事に当たれば、どんなことでも成就するということを表現した諺です。
集中させた精神の偉大さの意味も伝えていると思います。
小生も少年、少女、県選抜のコーチとして、審判、大会役員、父兄として遠征にドライバーも兼ねて帯動してきましたが、どんな逆境もはねのけて続ける意思がなければ、世界一になるまで彼女達がサッカーを続けることはできなかったと思うのです。
前述の通り、近隣のサッカークラブチームでは、男の子達に混ざって中心選手になっても公式試合に出られない壁があります。
少女サッカーが盛んな地域でも、少女チームでプレーする為には、車でかなり遠方まで親御さんが送り迎えしなければなりません。
中学へ進むと女子クラブチームは激減し、盛んな神奈川県でも5チームに満たない状況でした。
中学校の部活となると県内に2校程度しかありませんでした。
したがって、中学校に進んだ女子がサッカーを続けるためには、授業終了後に電車やバスなどを使って、独りで遠くまで足を運び、夜遅くに戻ってくる生活を覚悟しなければならないのです。
この段階で有望な女子選手の大半が、学校スポーツにある競技に転向し、サッカーから遠ざかってしまいます。
小生の長女も迷った挙句にバスケットボールに転向しました。
高校も中学と似たり寄ったりの状況で、この時点でまた続けられない状況の選手が増えます。
この段階まで仮に続けられたとしても、クラブチームで遠方から集まって練習できるのは、週に1〜2回が精一杯の様で、ナイター照明のあるグラウンドを借りるのも難しく、本当に好きで続ける強い意思があり、家庭の協力もないと出来ない状態が当時の環境だったと思うのです。
その頃の日本女子サッカーリーグ(JLSL・後のLリーグ・更に後のなでしこリーグ)には、企業スポンサーのクラブ、フジタ工業、松下電器LSC、日興証券ドリームレディス、日産レディース、読売西友ベレーザ(現・日テレ)等がありました。
その後も田崎真珠、シダックス、シロキ、鈴与(清水)、沖電気等女子サッカーに協力的な企業スポンサーが多数現われましたが、不況期の経営問題などでことごとく撤退し、結果として現在選手たちが日本のなでしこリーグでプレーしようと思うと、プロとして出来る人は一握りで、臨時社員やパート、アルバイトで生活をやり繰りしながら、練習時間を確保することで、何とか継続できている現状なのです。
日本で女子サッカーによって生活維持ができない状況もあり、ドイツや米国のリーグにプロとしての活躍の場を求め、単身で自費渡航する事情もあるのです。
子供の頃から、そんな逆風の中でサッカーを続けてきた彼女達が、世界の頂点に立ったのですから嬉しいことです。
W杯での、対ドイツ、対スウェーデン、対アメリカ戦と、高さや早さ強さといった身体能力は、なでしこは大きく劣勢でした。
しかし個人スキル以上のところ、仲間を信頼して一丸となって戦うことや、最後まで諦めない姿勢は、子供の頃から男子の中で揉まれながら居場所を確保してきた、続けることすら難しい環境にある彼女たちだからこそできたとも言えると思います。
 
《臍(ほぞ)を固める》
 
ほぞとは『へそ』のことです。
人が決意する時には、腹に力を入れてヘソの辺りを堅くすることから、『堅く決意し、覚悟を決めること』を指した諺です。
『腹をくくる』という表現に近く、英語だとコミットメントという単語で表現されるものです。
なでしこJAPANの選手は例外なく、大好きなサッカーを続ける為に腹をくくり、どんな困難をも乗り越えるとコミットメントしたに違いないと思います。
そんな彼女達が国民的な英雄となり、脚光を浴びることによって、選手たちがサッカーに少しでも多く集中できるように、生活面での負担を楽にしてあげられるようになることが、今回の優勝によって実現できれば、彼女達の苦労を間近で見てきた元関係者として嬉しいと思います。

日本サッカー協会には、6種のチームカテゴリーがあります。
第1種…年齢制限のない、男子のプロチーム、アマチュア一般社会人チーム(実業団、クラブ、学生・社会人の混合等)、大学。
第2種…18歳未満のチームで、ただし高等学校在学中の選手に対しては、年齢制限の適用除外。(男子高校生年代のチーム)
第3種…15歳未満のチームで、中学校在学中の選手は制限の適用除外で、男子中学生年代のチームではあるが、2000年度から第3種チームに女子選手の登録が認められるようになった。
第4種…12歳未満の選手で構成されるチームで、小学校在学中の選手は制限の適用除外であり、また女子選手の登録も認められている。
女子…第5種と呼ばれる事がある女子選手で構成されるチームで、年齢に関する制限はない。
女子の競技人口が男子に比べて極端に少ない為、女子チームによる競技機会は限られているのが現状であり、第3種・第4種チームへの女子選手の登録、あるいは第3種・第4種向け競技会への(年齢制限付き)女子チームの参加を認めるなど、機会増加の努力が続けられている。
シニア…40歳以上の選手で構成されるチーム。2000年度に新たに設置された区分である。

これらの内、太字の部分は、歴代なでしこJAPANの皆さんの功績で手に入れたと言えるもので、今回の世界制覇により、もっと多くの少女達がサッカーを始めて、サッカー人生を歩み易い環境整備ができていくことを期待しています。
W杯優勝後に澤選手が発信した以下のコメントがあります。

「我々のしていることは、ただサッカーをするだけではないことを、意識してきた。我々が勝つことにより、何かを失った人、誰かを失った人、怪我をした人、傷ついた人、彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私達は真に特別な事を成し遂げた事になる。
こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与える事が出来たら、それこそが我々の成功となる。
日本は困難に立ち向かい、多くの人々の生活は困窮している。
我々は、それ自体を変えることは出来ないものの、日本は今復興を頑張っているのだから、そんな日本の代表として、復興を決して諦めない気持ちをプレイで見せたかった。
今日、我々にとってはまさに夢のようで有り、我々の国が我々と一緒に喜んでくれるとしたら幸いです」(全文)
というものです。

これより前、今年5月1日にフィギュア女子世界選手権で4年振りの復活優勝を遂げた安藤美姫選手の以下の優勝コメントも素晴らしかったと思います。

「今回の世界選手権、特にフリーは、日本のことを考えながら滑った。
今までも、『美姫ちゃんの演技は、すごく沢山の人を笑顔にしてくれるんだよ』と言ってもらうことはありました。
その言葉はすごく嬉しかったけれど、でも本当にそんなことが自分にできているのかな? 自分のスケートが人の力になれているなんて、感じたことがなかったんです。
でも、今回の震災があって、『世界選手権が開かれるなら、ぜひ滑って。あなたが笑ってくれれば、私たちも元気になれるから』という言葉を、東北のファンの方に言われたんです。
だから今回は、そんな皆さんの言葉を信じて、世界選手権に出られる選手としての気持ち、日本の皆さんを思う気持ちを表現しよう、と。
こんな気持ちで試合に臨んだのは、本当に初めてのことです。
これも選手としての、自分の挑戦かな。
私の場合、小さなころに父とスケートを交換したというか…、父を失った代わりにスケートを手に入れた、という思いがあります(交通事故で父親が亡くなった直後に、スケートを始めた)。
だから私の笑顔は、スケートからもらったもの。
そのスケートで、今度は自分のことを応援してくださった人に笑顔を送れたらいいな、そんな気持ちだったんです。
それでもやっぱり、自分にはひとりでも多くの人の笑顔のために滑る力はないかもしれません。
そんな自信は、今までだってなかったし、今回もない。
でもこの世界選手権に限っては、自分にそんな特別な力がなくても、滑ることで自分の気持ちだけは、もしかしたら伝わるんじゃないか……そんな思いで滑ったのも、初めてのことです」(全文)
と、何度読んでも素晴らしいスピーチを、安藤美姫選手はしました。

自分が4年間、思い通りの演技ができない間に、浅田真央選手やキム・ヨナ選手らが台頭し、安藤の時代は終わったとまでの酷評もある中での優勝でした。
そして、敗れた選手等がことごとく自分の演技についてのコメントのみを語る中で、安藤選手は日本を元気づけたい、皆に感動を伝えたい、感謝の気持ちで滑りたいと語って見せたのです。
澤選手のコメントと同様に、自分の目指すところに向かって腹をくくって努力していく内に、周囲への感謝と皆の応援を力にして応えていきたいという思いが出てきているように思います。
自分の為にという力だけでは限界があり、皆の為、公共の為、社会の為、日本の為、世界の為との思いが不可能なことを現実にしたというようにも感じます。
仕事に向かう姿勢、そして経営を考える時に大切にしなければならないスタンスの『利己ではない利他の精神』での成果にも見えますが、いかがでしょうか。
 
M−press .174  2011.7.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『鹿を逐(お)う者は山を見ず』
― ドラッカーとコヴィーの共通点 ―
 
この諺は中国の古典・虚堂録からでたものだそうです。
山で鹿を追いかけるのに夢中になっている猟師には、山全体の様子が目に入らないものです。
そして、目の前の利益を得ようと夢中になっていると、目先のことしか分からなくなり、大きな利益につながる全体の様子を見失ってしまうというたとえで使われるようになりました。
さらに転じて、「あるひとつのことに夢中になっていると、他のことを顧みる余裕がなく、周囲の情勢や事の道理を理解することができない」と広い意味で使われるようになりました。
英語では、『Zeal is a bad servant』(熱中は悪い召し使いである)と使われるそうです。
余談ですが、召し使い=servant、奴隷=slave、などのラテン語の語源はサービス(奉仕する)と同じだそうです。
例えば、製造業のモノづくりのプロは、自分が満足できる良い製品をつくることに集中し過ぎてしまうと、使う側の利便性が見えなくなってしまい、市場に合致しずらい独りよがりな品を作ってしまう場合があります。
商事会社であれば、営業実績や売上数値にばかり目がいってしまうと、買い手であるお客様の満足度が見えなくなり、ピントはずれの商品をお勧めしていくことにもなりかねません。
ビューティクリエイターの場合はどうでしょうか。
お客様をいかに美しくするかに集中することは良いことだと思いますが、それを作るためのステップである、例えば切ることなどの技術ステップばかりに集中し過ぎると、お客様の気持ちを考えて寄り添って上げることが足りなくなる場合も出てきてしまうのではないでしょうか。
今回は、今一番注目を浴びている二人、近代経営学の父と呼ばれるピーター・F・ドラッカー博士と、世界のベストセラー「7つの習慣」の著者であるスティーブン・R・コヴィー博士の考え方の共通点を探ることから、今の店舗経営に必要な成功原則を考えてみたいと思います。
 
《パラダイム》
 
アメリカの科学史家トーマス・クーンが1962年に自身の著作の中で使用したのが始まりの単語が「パラダイム」です。
クーンは「パラダイム」とは、「広く人々に受け入れられている業績で、一定の期間、科学者に、自然に対する問い方と答え方のモデルを与えるもの」と説明しています。
例えば、天動説が一般的に信じられていた時代にコペルニクスが地動説を唱えたり、ニュートンが万有引力の法則を世に送りだしたり、ダーウィンの進化論やアインシュタインの相対性理論など、今まで長期間常識とされていた学説や理論、規範、範例などを打ち破って、真逆の考え方に劇的に変化することを「パラダイム転(変)換」、「パラダイムシフト」などと表現されるようになりました。
クーンは科学史という専門領域で信じられてきた常識を「パラダイム」という言葉を使い表現しましたが、次第に他の分野に拡大し、一般的な単語として使用されるようになってきました。
著書「七つの習慣」でコヴィー博士は、このパラダイムの考え方を使い説明しています。
人は無意識のうちに、自分の経験をもとにあらゆる事実を解釈し、理解しているのです。
すべての人は、ものごとをあるがままに見ているのではなく、実は人それぞれ一種の色メガネや、レンズ、フィルター、地図の様なモノを通して見ています。
この色メガネ等の個人の見方をつくるものこそが、一人ひとりの経験や価値観に基づくパラダイムであり、私たちの現実をつくり出し、私たちの行動を方向づけているのだとコヴィー博士は説明します。
心理学用語で、頻繁に使われる「投影」という考え方も、人それぞれのフィルターを通して、無意識の内に、人の感情が動いていることをいったものです。
コヴィー博士は、我々は自分のパラダイムが正しいかどうかを疑うことは滅多になく、パラダイムをもっていることすら意識することは稀だと語っています。
「お客様の立場で」とか、「部下の視点で」といった言葉などがよく使われますが、これらは相手のパラダイムを理解するということに他なりません。
そのために必要なことは、相手の話を真剣に聴き、理解しようと努力することです。
しかし、この様な決して難しくなさそうなことが、実はなかなかできていないものです。
それは、判断する側(=特に自分)が、自分の色メガネで判断してしまっていることを忘れてしまうからです。
「私とあなたは違う現実を見ている」というパラダイムを前提にした考え方こそ、相手を理解しようとする姿勢を生みだし、周囲との信頼関係を築いてくれるものなのです。
 
《パラドックス》
 
パラダイムは過去通用していた浴説のことを指しますが、パラドックスは、「一見矛盾しているようだが真理を含む説」や「逆説」という意味をいいます。
「逆もまた真なり」といいますが、一見真理ではないことを述べているようでも、よく考えると真理を述べているということはよくある話です。
また、正しいことはひとつではないということもあります。
正しい正しくない、良い悪いにこだわりすぎてしまうと本当の真理が見えなくなり、判断を間違えてしまうことがあります。
前述のとおり、全ての人が自分のフィルターを通してすべてを判断してくる以上、どの見方が正しくて、どの見方が正しくないのかを即座に決めつけていくのは非常に危険なことです。
なぜなら、そのように判断する自分自身も、無意識のうちに自分の色メガネを通して判断しているからです。
マーケティングの根底にある重要な部分は、対象者の心の奥底に眠る思いを、いかに引っ張り出し聞いていくかという点です。
対象者自身も気が付かない、見えていない潜在的ニーズを引き出して聞き取っていくものです。
当然、通り一辺倒のアンケートなどでは引き出せない領域です。
ドラッカー博士は、ゼネラルモータース(GM)を世界最大級の自動車メーカーに導いたリーダーのアルフレッド・スローン氏の逸話を書いています。
スローン氏は「この決定に関しては、意見が完全に一致していると了解してよろしいか?」と聞き、出席者全員がそれにうなずいた場合は、「他の異なる見解を出して、もっと理解するための時間が必要なので、さらに検討したい」と言った逸話です。
これは、スローン氏は、反対意見を大切にしており、安易に意見が一致する場合は逆に問題があると判断した逸話なのです。
ドラッカーだけでなく、コヴィー博士も「2人の人が同じ意見を持っているとすれば、そのうちひとりは余分である」と、異論を歓迎する姿勢にたちました。
つまり、自分独自のレンズを通して、あらゆる現実を自分なりに解釈しがちなものなのです。
また、同じ立場の人間でも経験が違えば、事実の捉え方は異なり、ましてや役割が違えば、同じ現象でも違う現実を見ているのは当たり前のことなのです。
相手を理解しようとする文化が根づいている組織では、異論を歓迎します。
相手が自分と違う意見をもっているということは、相手は自分と違う現実を見て、違う問題に気付いているということです。
だからこそ、異なる意見のぶつかり合いが、私達自らの想像力を刺激して、より優れたアイデアと決定を生みだしてくれるという考え方に立つのです。
異なる意見があるからこそ、1プラス1が3にも4になる、だから組織で仕事をする意味があると考えるのです。
来店される消費者さんも千差万別な各々のフィルターを通して見ている以上、サロンに求めるものも違ってきます。
それを安易にひとつの考えだと勘違いして、多数意見をまとめたようなサービス内容や、メニュー、接客応対にしてしまうことは、本当に顧客の声をひろい出せていない場合は怖いことなのかも知れません。
 
《パラダイス》
 
パラダイスは天国、極楽、楽園を意味する単語です。
聖書で、エデンの園をパラダイスと呼んだことから、天国のヘブンと使い分けられています。
お客様にとってのパラダイスが、「美しく変身できる」、「美しく変わっていく過程を楽しむ」、「安らぎの時間を楽しめる」、ことなどと仮に想定します。
それでは、美容技術者がお客様と接客する際のパラダイスとはどの様なものなのでしょうか。
「お客様の容姿が劇的に変わったことで満足する」、「思った通りの技術ができた」、「お客様が喜んだり満足した顔が見えた」、いずれもこれだけでは働く者にとってはパラダイスとしてはもの足りないと思われます。
コヴィー博士は、「あなたが死んだときのことを想像して下さい。葬儀に参列するあなたを良く知る人たちに、あなたの人生についてどう言って欲しいだろうか?あなたはどんな人だったと声をかけて欲しいだろうか?」と著作「7つの質問」の中で投げかけています。
マネジメントの父・ドラッカー博士も、「あなたは何によって憶(おぼ)えられたいか?」とあらゆる人達に質問し続けています。
いずれも人生のミッション(使命)を考えるための質問です。
個人としてどうありたいのか、何をしたいのか、自身に問いかけることが重要で、それを所属組織の中で生かし、使命に向かって着実に歩んでいる、成長しているという実感が必要だと彼は語っているのです。
自己実現に向かっているという実感が、働く側の「パラダイス」ではないかとの指摘です。
ドラッカー博士は、組織の目的は、「人のエネルギーの解放と動員」であると主張し、組織における最も重要な目的が「使命(ミッション)」だと表現します。
そして、「何をどうやるのか?(what)」という目標・方法に囚われがちな我々に、「なぜ?何のために?(why)」こそが最も組織にとっても個人にとっても重要なことだと語ります。
 
《サンタクロースの使命》
 
ミッションのあるサンタクロースと、ミッションのないサンタクロースの違いのお話です。
ミッションのあるサンタクロース達は、自分達のミッションを「子供達に夢を与えること」と定義しています。
サンタはクリスマスイブに、子供達にプレゼントを届けなければなりません。
年によっては、寒波が襲う冬もあれば、吹雪もあるでしょう。
そんな日の深夜にプレゼントを届けて回るのは大変な仕事です。
ミッションのないサンタにとっては、この仕事は日々の糧を得るためなので、「こんな寒い日に配達するなら、寒冷手当でももらわなきゃやってられないよ」とか、「今夜は吹雪いているから、明日の午前中に配送すればいいんじゃないか」と感じます。
しかし、ミッションを大事にし、「子供達に夢を届けたい」と思っているサンタは違います。
「今日は吹雪いているから、早めに出て、夜が明ける前にプレゼントを届けられるようにしよう」とか、「包装紙が濡れないように注意しよう」と考えます。
ミッションがあるかないかは、「仕事の後」にも違いが出ます。
プレゼントを届けた後のミッションのあるサンタ達は、「子供達は喜んでくれただろうか?」、「来年はもっと多くの子供達に喜んでもらえるよう、早めの準備しなくちゃね」といった会話を交わしています。
一方ミッションのないサンタ達は、「今年はとんでもない天気だったな。疲れたよ。」、「いや、一晩に一人100軒が限界だよね。来年は今年以上に配りたいなんて、上は無茶ばかり言うんだから」と愚痴を飛ばし合っているかも知れませ  ん。
もうひとつ、「アフリカに市場調査に行った靴のセールスマン」という有名な逸話をご存知でしょうか。
靴屋の社長が、市場調査のために二人の営業マンをアフリカへ出張させます。
帰国後、市場の可能性を報告させると、一人は、「社長、アフリカ進行は無理です。誰も靴なんて履いていません。売れるわけがありません。」と報告しました。
社長はがっかりしつつ、もう一人の営業マンを呼んだところ、彼は目を輝かせ、「社長、今すぐアフリカへ進行すべきです。あの土地では、まだ誰も靴を履いていないのです。無限のマーケットが広がっています!」と興奮気味に話したという逸話です。
同じように、エスキモーに冷蔵庫を売りに行く話もあります。
一見するとこれらの話は、人それぞれに自分のフィルターでものごとを判断しているといった前述のコミュニケーションギャップの話にも見えますが、仕事に対しての使命感(ミッション)の違いで、モノの見方が変わる話ではないかとも思うのです。
「鹿を追って山を見ない」のではなく、コミュニケーションの受け手であるスタッフとお互いのモノの見方を確認し合った上で、お客様のモノの見方をしっかりと見極めることこそが、サービス業である業種に一番必要なことと感じますが、いかがでしょうか。

潟Wェイック・常務取締役・知見寺直樹氏著「『7つの習慣』と『ドラッカー理論』が口をそろえて教えてくれた7つの大切なこと〜理想の組織をつくるための成功法則〜」を引用しました。
その出典著作は次の通りです。
『7つの習慣R』 著:スティーブン・R・コヴィー 訳:ジェームズ・J・スキナー/川西茂  発行:キング・ベアー出版 『経営者の条件』『現代の経営(上)』『マネジメント基本と原則』『非営利組織の経営』いずれも著:ピーター・F・ドラッカー 訳:上田惇生 発行:ダイヤモンド社

 
M−press .173  2011.6.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『温故知新』
― 新しい時代の息吹を感じよう ―
 
温故知新は中国の古典・論語に載っていたものが諺として定着したものです。
「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」意味の諺です。
過去のことをよく研究して学び、そこから現代に通じる新しい知識や意義を改めて見つけ、得ていこうという諺です。
英語では、「He that would know what shall be must consider what has been.」(未来の事態を知りたいのなら過去のいきさつを考察するべきだ)と表現されるようです。
消費者の動向や指向、行動といったものは常に変化するものといわれます。
毎年少しずつの変化のように見えても、数年後に気がついてみると、結果的に大きく変わっていたんだと感じることもよくあることです。
また今回の様な広域に渡る大災害の直後ともなると、大きな消費行動の変化や産業構造の変化が起こるのは当然とも思えます。
しかし、これは災害が起こったから出始めたものとばかりともいえず、むしろそれ以前からその微候は静かに始まっており、それが災害後に一気に加走して顕著となって、社会現象化するほど現れてくるといったものではないでしょうか。
震災の3月11日を境に、「日本は変わらねばならない」と多くの人が感じ、「自分には何ができるのだろうか」と自問して、議論を交わしてきました。
今回は震災後に変化してきている社会動向と消費者意識について考えていこうと思います。
 
《リバイバル》
 
リバイバル(revival)は映画や演劇の再上映(上演)、音楽の再ヒットなどで良く耳にする言葉です。
re(再び)vival(生きる、元気づける)といった意味の言葉の組合せですので、「回復」「復興」「復活」といった主旨を指します。
日本では音楽や映画で使われることが多いのですが、今回の災害復興を英語で表現すると、この単語が一番使われることが多いとの話です。
さて、福島の原子力発電所の事故によって日本のエネルギー行政ばかりでなく、世界各国の原子力政策も大きな影響を受けて、エネルギー政策の転換を決定する国が増加してきている様です。
東京電力管内エリアの節電ばかりでなく、静岡県浜岡原発の停止と廃炉化の決定による中部電力からの節電要請が続き、影響は余りないであろうといわれていた関西電力管内のエリアでも、この夏の15%の節電要請が出て、産業界ではこの節電に協力していく動きとなってきました。
戦後の復興期に電力需要が大幅に増加していく中、山と水に恵まれた日本は数多くの水力発電所をつくって対応していました。
高度成長期に入ると、山中にダムをつくり送電線で都心部まで運ぶコストよりも、都市部近郊の埋め立て地に火力発電所をつくり、電力供給した方が安価で、かつ高度成長に追い付くスピードで増産できる理由で、火力発電所が主流になっていきました。
その時点で既に石炭は採掘コストや移動コストがかかる上にエネルギー効率が悪いとされ、安価で中東から入るようになっていた石油が、火力発電エネルギーの中心となっていました。
こうして高度成長期に電力エネルギーが増加するのは止むを得ないもの、そして文化的生活や近代国家は電気を大量に使うのは当たり前のような意識もつくられていったように感じます。
そんな中1973〜4年に第一次オイルショックが起こります。
電気や石油はいくらでも供給されると勘違いしかけていた日本の人々には衝撃的出来事でした。
ガソリンスタンドは全て日曜休業となり(この時代は土曜日休みはほとんど無かった)、ネオンサインの禁止令、テレビの深夜の放送の中止、プロ野球のナイターの一時間繰り上げ、減灯、デーゲームを増やす、エスカレーターを止める、などの他、現在は全て開通している3本の本四連絡橋の工事着工の延期などの素早い措置が取られたのです。
ですから、今回の節電対策と同様かそれ以上のものは、過去に既に経験済みの方も多いのです。
おそらく、40代半ば以上の方は第一次、40代前半の方は第二次オイルショックは、記憶のどこかに残っているのではないかと思います。
当然、その頃は現在の40代の方は子供だったので親の世代の指導で節電をした筈なのですが、当時は戦前・戦中・戦後すぐの物の無い時代を経験してきている上、「もったいない」という無駄にしない概念を教育で植えつけられた人達が多い時代なので、エネルギー節約は上手くいったのではないでしょうか。
つまり、「エネルギーを使い放題で便利さを追求して我慢しない世の中はどこか間違っている」という思いを当時の人々は持っていたのではないかと思います。
 
《リユース》
 
安価で供給され続けると信じていた原油が、オイルショックで高騰し、経済混乱を招いた日本政府はエネルギー政策の転換を図ります。
時間とコストがかかって、自然破壊といわれる水力発電に戻らずに、原子力発電所によるエネルギー政策への転換です。
安全性を疑問視する議論も勿論ありましたが、原油相場の不安定な状況になった場合の危機対応と、国際競争力を保つ為のエネルギーコストと建設までのスピードを理由にして、手厚い補助金や税金優遇を計る等の政策で原発を地方にもっていき、原発転換を強力推進してきました。
使用済み核燃料の処理の安全性への疑問については、再処理施設を青森県の六ヶ所村に造り、世界最高峰の安全処理の仕組みを構築するといってきました。
リユース(reuse)とは再使用、再利用ということばです。
捨ててしまっていたようなものを捨てずに再利用して活かしていくということです。
この夏の節電は冷房設定温度を28℃標準にと指導されます。
そこで、俄然脚光を浴びて来ているのが扇風機です。
少し前には健康的でおしゃれな、ファンが無いタイプが持てはやされていましたが、現段階ではファン付の安価なものが売れたり、しばらく物置で眠っていたものが復活し始めている様です。
震災直後にも、計画停電の影響もありファンヒーターが休業となって、旧型のシンプルな石油ストーブが物置から日の目を見たと聞きます。
電池式のトランジスタラジオも何年振りかで使われた方も多いのではないでしょうか。
昔、使っていたものを活かし、新しい息吹きを与えて、リユースするのがおしゃれな時代なのかも知れません。
勿論、その際新しい何かを伝え、良さを引き出すことも必要です。
人材に対しても同じことがいえるのではないかと思います。
リユースは、時代の要請になってきていると思います。
 
《リサイクル》
 
リサイクル(recycle)も訳すとリユース同様に再利用となりますが、リサイクルは「廃物」を「再生」利用するところがリユースと違います。
cycleは輪のサークルと同じ語源で、「周期」や「循環」のことを指します。
自転車やオートバイの他、周波数や長年月の意味もあります。
リサイクルは甦らせて再循環させる意味でしょうが、長年月をかけて廃品を再生使用し続けるということなのでしょう。
最近では、傷んだ和服を再生使用して、エプロンやのれんを作ったり、携帯電話に使用したレアアース(レアメタル)を再生使用したりなど、このリサイクルの分野も拡がってきています。
もちろん古くはビールビンや牛乳ビン、紙パックや新聞紙などの紙製品、アルミ缶、スチール缶など金属類、プラスチックなどの石油精製品など、幅広いリサイクル技術が使われています。
リサイクルの難点は、新しく加工するより再生利用する場合のコストの方が高くなってしまうケースが多いことです。
しかし、地球資源の保全の立場から、コストがかかっても、リサイクルしていこう、再生品を高くても買おうという意識が着実に高まってきています。
エコロジー(環境配慮)があれば、必ずしもエコノミー(経済的)でなくても良いという意識かも知れません。
昭和30年代ぐらいまでは「量り売り」という、容器は消費者持参で、必要な分だけ販売してもらえるものが多くありました。
一昨年あたりから美容室でも、お気に入りシャンプーの量り売りも見かけるようになりましたし、容器再利用でのレフィル(詰替え)化粧品の出荷割合が増えている事実もあります。
消費者の指向はきらびやかな容器やパッケージ、可愛いデザインのものに魅力は感じつつも、いざ購入決定段階になると、地球環境に優しいものを選別する割合が高くなってきているという事実もあるのです。
 
《リニューアル》
 
re(更に、再度)、newal(新しくすること)が複合してきた単語です。
更新、再開、やり直し、新しくした物の意味で使われています。
前述の扇風機の他にも、リニューアルされて、大ヒットしつつあるものが多数あります。
酷暑に弱冷房で過ごす為のクールビズも、今年はパワーアップのリニューアルの一種で「ス―パークールビズ」と呼ばれます。
今夏、大ヒットの兆しを見せてきているのが「ステテコ」です。
ステテコを履くのは、ファッションに縁のなさそうな高齢男性で、オッサンの代名詞の様に思われていましたが、決してそうではありません。
カラフルでデザイン豊富なものが、現在は大量に陳列されて、大ブレイクしているのです。
夏場はスラックスの中で汗をかき、太ももやすねにまとわり付く嫌な思いをしがちです。
新素材を駆使したステテコは、汗を吸収しながら、サラッとした肌ざわりを維持し、体感温度を下げながら、スラックスへの肌のまとわり付きを防止します。
ファッショナブルなデザインなので、若者が室着としても使用でき、各種新素材の斬新さも受けて、女性用も多数発売されるようになりました。
冬から春にかけては、女性向けのストールやショール、スカーフといったものも、古さを感じさせないデザインと素材でリニューアルされ、大ヒットしていたようです。
パナマ帽やハンティング帽、ベレー帽なども新素材、新デザインでリニューアルヒットをして来ているようです。
近年、我々のサロンビジネス業界は、商品寿命が非常に短い業界といわれてきていました。
ファッション産業ということで、新しいものを探求するという目的があったのかも知れません。
また、新成分を導入して、仕上がり感を良くしたり、髪の傷みを防いだりという目的もあったかも知れません。
しかし、製品の作り手であるメーカーの一方的な政策都合によって、商品ブランドの長期継続を妨げてきた部分もあるかも知れないのです。
また、技術者マインドが飽きを感じてしまい、消費者が継続使用を望んでいるものを、サロン都合で、新しいものに差し換えてしまっている場合もあるとも感じます。
例えば、花王メリットシャンプーは、1970年の発売から40年以上、日本リーバのラックスは、1987年から20年以上等、シャンプーだけに限っても、リニューアルしながらブランドとして成長し、中心商品として君臨し続けています。
世の中は、エコマインドに基づく、リバイバル、リユース、リサイクル、リニューアルの時代となっています。
私達の業界もこの傾向を意識してリストラクチャー(再構築)しなければならない時期と思いますが、いかがでしょうか。
 
M−press .172  2011.5.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『人を見て法を説け』
― リーダーシップについて考える―
 
「他人にものを説くときには、相手の性格などをよく見きわめて、相手に適した説明の方法をとれ」という意味の諺です。
この諺の「法」とは元々は仏法のことを指していたようです。
近い意味の諺では、「機に因(よ)りて法を説け」というものもあります。
こちらの諺は、聞き手に応じて適切な説法をせよという意味だったものが、臨機応変に対応せよという意味に拡大して使われる諺に変化したとのことです。
「機」とは機根(きこん)のことで、仏教の教えを聞いて修行する人達の能力や素質のことを言うそうです。
「人を見て…」は英語では、「cleave  the  log  according  to the grain」(木目に応じて丸太を割れ)と表現されるようです。
今回の大震災ばかりでなく、国際紛争等の大事件や事故が起こると、時の首相のリーダーシップを問う報道が活発になります。
一般社会の中でも、職場でのリーダーシップのあり方や地域社会でのリーダーシップなど、リーダーシップという言葉を頻繁に耳にします。
特に、春は新人を迎えたり、異動で加わってきた人などで社会全体が変動していく時期です。
社会や組織が活性化していく半面、適合する事が難しくなる人達が出てしまう場合もあります。
結論から申し上げると、人間社会を良くしていくには、仕組みや物質環境ではなく、結局は人が人と向き合い良い状況をつくっていくしかないと言われます。
それを導いていくのがリーダーシップといわれます。
皆さんはリーダーシップと聞くと、どんな印象をお持ちになりますでしょうか。
強力にグイグイと引っ張っていく様に管理強化されたり、力で抑えつけられるというようなネガティブな感情を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。
今回は、そもそもリーダーシップとは何なのか、というところから考えていきたいと思います。
 
《リーダーシップの3つの段階》
 
リーダーシップには、大別して2つの定義があります。
ひとつは「対人的な影響力」で、もうひとつは「集団活動の方向づけ」といわれます。
後に付けるシップ(‐ship)は「状態」「技量」「術(すべ)」「身分」「職」などの意味があり、フレンドシップやパートナーシップ、スポーツマンシップ、フォロアーシップなどと使います。
リーダーシップには、次の3つの段階があると言われます。

●第一段階…指示を出したり、命令し、管理する。
●第二段階…目的や方向性を定め、人々の参加を促す。
●第三段階…参加する人々が発想し、行動する場をつくり出す。

これらは、集団で行動を起こすための「働きかけ」のレベルの違いをいったものだと思います。
集団での目標を達成するために、所属の人々に「影響力を及ぼす」ための働きかけです。
以上は働きかけの方法の巧拙や、影響力の内容の深さによって、分けた見方です。
もうひとつ、時系列的に見た三段階の分け方もあります。
混乱を避けるために、ステップという表現を使って説明します。

●1stステップ…試みられたリーダーシップ
●2ndステップ…成功(失敗)したリーダーシップ
●3rdステップ…効果的なリーダーシップ

試みられたリーダーシップとは、リーダーが指示や命令、共感、心を動かすなどして、フォロアーに影響力を及ぼす段階のリーダーシップです。
この働きかけが上手くいき、目標通りの成果が出た場合が、2ndステップの「成功したリーダーシップ」となります。
しかし、試みられたリーダーシップがいつも成功するとは限りません。
リーダーが適切な動きをしたにもかかわらず、メンバーが忠実に動かず失敗したり、リーダーもフォロアーも思い通りに機能したのに何らかのアクシデントにより失敗する場合もあります。
これが「失敗したリーダーシップ」です。
ところで、前述の第一段階で強制力を働かせ、強引に命令してしまい、次の第二段階で、目的や方向性を明らかにすることさえ徹底できなかった場合は、どういうことになるでしょうか。
仮に、結果として目標通りに成果が上がり、成功したリーダーシップとなっていても、集団員は強制的な指示命令に不満を抱いたり、嫌々ながらリーダーに従って、不信感を持つことにもなりかねません。
これは、成功したリーダーシップではあっても、効果的な働きかけとはいえないものです。
逆に、リーダーの働きかけが成功するだけではなく、フォロアーがリーダーの働きかけに喜んで応じ、その結果として満足を得ることができれば、それこそが健全で効果的なリーダーシップといえます。
これが3rdステップの「効果的なリーダーシップ」であり、前述の第三段階目のリーダーシップに到達したことになります。
決して成功した結果だけにとらわれることなく、この第三段階、3rdステップのリーダーシップを目指すことが健全なあり方だと思うのです。
 
 《肩書きの問題点》
 
どうして人は人の影響力で動くのかを考えてみたいと思います。
@優れた状況判断力
A高度な専門能力
B人間的な魅力
C豊富な経験
D突出した実績
これらが単独ではなくて、いくつかが結びついて影響力が発揮されていきますが、ウェイトやバランスは異なるものです。
この他に組織の中でもっと大きな影響を与えるものがあります。
E肩書き…です。
これは組織内で公式に与えられた地位と権限です。
組織の中でリーダーは、その地位に期待される働きを担い、それを遂行する為に必要な権限が与えられます。
権限は、使うときには思い切って使う必要がありますが、「むやみやたらとは使ってはならないもの」で、「適切な時」に「適切な方法」で使うものなのです。
しかし現実には、この「肩書き」を安易に使って、適切な範囲を大きく逸脱して、強制力を行使してしまう場合も出てきます。
つまり、自分の思い通りにならない人を肩書きを利用して力で抑えつける、一種の「思い上り」の態度が出てしまう場合です。
肩書により命令できる筈という、傲慢な思い込みが進むと、人の話に耳を傾けなくなり、権限をタテに一方的に指示命令を下すようになります。
場合によっては、本来権限の及ばない私的な領域にまで立ち入って、コントロールしていってしまうケースもあります。
この様な上下関係では皆が100%の能力を発揮できる健全なチームワークは実現されません。
これとは逆に、リーダーが「必要以上に遠慮」することも大きな問題点となります。
「言うべきことを言えない」または「言わない」ことになると、やはりリーダーシップを取れなくなり、適切な方向へ導くことが出来なくなっていきます。
この両極端の二つの問題点は、根本的原因は同じといわれます。
どちらもリーダー側が人を動かすべきという「思い上り」です。
勘違いや思い込みをリーダーがしているのではなく、本当のところは思い上がりが原因です。
思いのままに人を動かせると、リーダーが考えてしまうと、力づくの傲慢さが出たり、逆にその力を怖くなって、必要以上に遠慮するといった様に、リーダー自身の心の弱点が出てきて悪影響が出てきてしまうのです。
 
  《リーダーに必要な資質》
 
前述の通り、肩書に依存した「リーダーという人間が他の人間に命令する」方法ではなく、「理念や使命がリーダーを通じて命令させている」という立場に立てば、メンバーが行動の意味と価値を自覚することができ、個人の能力もチームのパワーも最大限に発揮できることになります。
リーダーの「思い上り」や「過度の遠慮」もなくなり、「リーダーは使命実現への代行人にすぎない」と、自然体のリーダーシップが取れるようになります。
メンバーはそんなリーダーシップを素直に受入れ易くなります。
まず、以上の立場に立つ自覚をすることが大切です。
次に、リーダーに必要な資質はどんなものか考えてみましょう。
@洞察力・観察力
将来を見通す洞察力、取り巻く環境やメンバーの性格や適性を観察して把握する力。
A情報分析力
沢山の情報の中から、本当に必要なものを見極める力。
B論理的思考力
物事を筋道立てて考える力を持ち、明快に皆に伝え説得する力。
C意思決定力・行動力
最終的に決定したことにリーダーは責任を負いますので、慎重になりがちですが、決定と行動のスピードも求められます。
D勇気
一度決定したことを修正したり、撤回できる勇気、メンバーを信じ切る勇気、決断して推進する勇気。
E高い倫理観
自らの利益よりもチーム全体、社会全体の利益に基づく倫理的価値を判断基準に行動する。
F人格的要素
「夢を詳細に語れる」「自ら手本を示せる」「人にチャンスを与えられる」「他の人に考えさせることができる」「人を褒めることができる」「相手の話に素直に耳を傾けることができる」「不測の事態でも慌てない」などです。
 
  《大勢(たいせい)迎合》
 
少数意見に耳を傾けること、そして多数意見に流されないことが、大切な時代だと感じます。
一見、実現可能性が乏しいような少数意見に潜むメリットについてしっかり検証し、場合によっては勇気を持ってそれに踏み出すこともリーダーシップの要件ではないかと考えます。
時代の流れが急速に変化する現代社会において、「今日正しかったことが数カ月後に正しい」という保証はありません。
時代の変化によって、仮に誤りと気付いた決定事項に対しては、自ら早急に修正や撤回をする勇気も必要だと思います。
自らの権威の失墜を恐れて、決定事項が時代遅れや誤りであるにもかかわらず放置しておくことが、最悪なことだと思います。
時代の先を見れば見るほど、少数意見の中にヒントが潜んでいることが多く、そういった大多数の意見と違った個性的(場合によっては異端的)なものの中に、過去の人類の進化と発展の歴史が隠されているようです。
逆に大多数の意見に潜むデメリットに注目しないと多数意見に流されてしまいがちになります。
結果として、なんの特徴もない平均化・平準化されたものが出来上がってしまったり、将来を意識しない現在や少し過去に常識とされた旧体然のものに落ち着いてしまう可能性があります。
多数の人々の間で調整や妥協が繰り返されると、特徴の無い方向に進んでいきがちになり、リーダーシップの目的と逆の作用が出ていくので注意が必要です。
構成員のそれぞれの立場や考え方を明確にした上で、反対意見を争わせ合い、少数意見を大切にしていった上で、リーダーが勇気を持って決断して、『決定に責任を持つ態度』が大切なのではないでしょうか。
 
  《信頼と心配》
 
お上の言うことに従順に従うという時代が比較的長かった日本は、封建時代のみならず、明治から太平洋戦争終了時までは、議論の中で決定を図るやり方より、長(おさ)に決定を委ねたトップダウンの指示で動くといった歴史的特徴がある様です。
戦後に米国から持ち込まれた民主主義の中には、まずは相手の個性と違いや立場を理解し、認めた上で、少数意見を尊重し、納得いくまで議論を尽くし、新しいアイデアを出し合って、全員合意で決定したり、多数決を取ったり、責任者一任というステップで決定を図るものでした。
しかし、少数意見や立場や個性の尊重、議論をし尽くすといったことを置き去りにして安易に数の論理で重要な決定をしてしまい、後で責任関係が曖昧になるという、どこか歪んだ民主主義が日本には根付いてしまったような気がします。
リーダーが責任を取って遂行するには、安易に数の論理に頼るのではなく、目的と将来を見据えて、導いていく決断が必要な場合も多いのです。
そして、それを理解、納得してもらい、フォロアーが自らその目的の為に考えながら一体となり動く様に、リーダーに対し全幅の信頼を持ってもらう様リーダーが努める必要があるのです。
「信頼」とは、積極的、肯定的に信じてあげられることであり、「心配」とは消極的、否定的に信じてしまうことだそうです。
「できないのではないか?」「付いてきてくれないのではないか」は心配を持った信じ方です。
「あなたはそんなことぐらいでは、やる気をなくしませんよね」は信頼を持った信じ方です。
先の見えない混沌とした時代であればあるほど、リーダーシップを発揮しなければ生き残れないと思います。
そして、その為には「人を見て法をとけ」の諺通り、メンバーとしっかり向き合い、良い面を沢山認めて伸ばしていくことが大切であると思います。
今こそ次世代のリーダーを養成しないといけない時期だと思いますが、いかがでしょうか。

こどもがしあわせになる教育実践家・しあわせになる学校ほーむ主宰の新留裕介氏のアメーバブログ、吉田経営教育研究所のホームページより「職場の使命」、SIP株式会社刊・「企業経営者に求められるリーダーシップについて考える」、以上を参考にしました。

 
M−press .171  2011.4.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『得手(えて)に帆を揚げる』
― お客様に愛される店の原点とは―
 
タイトルの諺は、「自分の得意な事や、自分の力を存分にふるえる機会が到来し、大いに勇み立つ事」をたとえて使われます。
「得手」とは「自分が得意とすること」で、好機に恵まれて得意なことを調子に乗り順調に進行している時を表す諺です。
同じ意味の諺としては、「得てに帆を掛ける」「得てに帆」「追風(おって)に帆を揚げる」「得手に帆柱」「真帆に追い風」「得手に棒」など沢山あります。
英語では、「Set your sail according to the wind」または、「Hoist your sail when the wind is fair」(順風の時に帆を揚げよ)と表現される様です。
四月はフレッシュな人材を迎える季節でもあります。
また、人事異動や就職、就学等で新しいお客様が移動し、新顧客が増加する時期でもあります。
スタッフのみならずお客様であっても、フレッシュな人々が店内に入る事で、サロン自体も雰囲気が変化していくものです。
この機会は、サロンが飛躍的な変化と向上が計れる時期と前向きに捉えたいものです。
 
  《水を得た魚》
 
人は活躍の場を与えられると「水を得た魚」の様に嬉々として能力を発揮していくものです。
スタッフが嬉々として幸せと喜びに満ちた笑顔で働いていると、お客様にも喜びが伝わります。
お客様満足(CS=Customer Satisfaction)の前に、従業員満足(ES=Employee Satisfaction)が先というのはそういう意味だと思います。
スキル(技能)の優れたスタープレーヤー的スタッフが個人のパフォーマンスを最大限発揮しても、他のスタッフが情熱を感じられない仕事振りをしていれば、お客様に喜ばれるサロンにはならず業績は上がらないものです。
逆にスキルが未熟で経験不足のスタッフが多い店でも、スタッフ全員がお客様が喜ぶことを幸せとして、嬉々として働いているサロンでは、お客様が満足感を覚える確率も高くなってくるのではないでしょうか。
日本のビューティサロンビジネスは、技術は師匠から盗むもの、奉公したり精進しながら辛抱の下積みをして身に付けていくものだという、徒弟制度から生まれてきた歴史があると思います。
もちろん技術を習熟する為には、繰り返しの訓練で体に叩き込む必要もあるので、厳しさを伴った指導で習慣づけられるまで外圧が必要な場合もあります。
しかし、以前の徒弟制度には、住み込みで寝食を共にしたり、家族同然に愛情をそそぎ込むものもあっての厳しさであり、感謝の心も大切な前提として存在していたものと推測できます。
「スタッフが仕事に命を懸けられる様に、経営者が家族のように愛情を注ぎ込んで、良い人間関係を築くことが大切」と講演の中で語るのは、北九州市の泣oグジー・久保華図八社長です。
久保社長は「愛のあふれる職場をつくらなければ、お客様に愛が届く筈がない」といいます。
そして、「仕事以外の無駄と思われる様なことを一緒にすることによって、無駄なことから愛着が生まれ、喜びを感じて良い人間関係ができる」と力説します。
久保氏はまた、従業員満足の為には労働条件ではなく、「尊敬できる人の下で働けることは幸せ」と、社員に認めてもらえる様に情熱溢れる経営者になり、尊い皆(社員もお客様も)を幸せにするという仕事観を持つリーダーでなければならないと語ります。
 
  《異動と移動の差》
 
四月は昇進や転勤などの人事異動の季節でもあります。
人事異動は「移動」では無いと語るのは、人材教育企業のモチベーション・アップ椛纒\取締役副社長の丸田富美子氏です。
経営者としては、マンネリ化した店舗や部門を活性化、改革するために、リーダーを代えるという抜擢人事や、配置換え等の人事異動を行う場合があります。
しかし、そんな経営者の期待とは裏腹に、新しく着任したところの今までのやり方や常識に、あっという間に染まってしまうリーダーも、時々見かけると丸田氏はいいます。
そんなリーダーに共通している事は、時間をかけて今までのやり方を理解しようとしている中で、時間をかけて理解しているつもりが、いつの間にか染まってしまう結果になっていると。
結局、リーダー自身も周りの人も、その方が、「楽」だからそうなりがちになると主張します。
人事異動は、字の通り「異なる動き」を起こすために行うものであり、単に「人を移す」移動ではないと丸田氏は力説します。
あなたを配置転換したり、新しい役割りを与えたりしたのは、経営者が「異なる動き」を期待しているからで、「それは遅くとも一カ月以内に糸口を見つけて、行動を起こして欲しい」とスピード面も付け加えて、リーダーがしっかりと対象者に伝えることが大切と丸田氏は結びます。
 
  《順風満帆》
 
得手に帆をあげて、得意な事を生き生きと喜びをもって継続していると、調子が出てきて最良の状態を迎える場合があります。
その状態が「順風満帆」です。
順風とは追い風のことで、帆いっぱいに順風を受けて舟が快く進むがごとく、ものごとが思い通り順調に進んでいることのたとえで使われるのがこの諺です。
「流れに棹(さお)さす」も同じような意味の諺で、都合の良いことが重なって、ものごとがすらすらと思い通りに運ぶことのたとえで使われます。
流れに乗った小舟に、さらにサオで勢いをつける意味から使われるようになったそうです。
さて、泣oグジーの久保社長のお話に戻ります。
二月号の当欄でバグジーさんは「お客様の喜ぶことは何でも有り」と例をあげて紹介しました。
久保社長は二月の大阪開催の異業種のセミナーで、次の様なエピソードも語ってくれました。
ある明るい若手男性技術者が、「絶対に一カ月売上のトップになる」と宣言したそうです。
有力な先輩技術者が多い中で、持ち客数も技術の習熟度も二番手グループの彼が絶対に一番になるという話に、皆は疑問視しましたが、彼は「自信がある」ときっぱり言ったそうです。
彼は手彫りの印鑑をつくる教室に夜間と休日を利用して通い続けており、お客様の名前を彫り込んでトレーニングしたり、趣味としてつくっていたそうです。
そしてしばらくしたある日に、大きなビニール袋に473ケもの印鑑を入れてニコニコしながら出勤してきたそうです。
休眠客と更に長期間の休眠客も含め、彼が一回でも技術をした人総数の印鑑を持参したのです。
「あなたに心を込めて印鑑をつくりました。長い間勉強してきた思いを込めて。その思いであなたを美しくするお手伝いをしたいと思います。ぜひ印鑑を受け取りに私のところへ来て下さい。」とお手紙を出し、必要な方には電話も入れたそうです。
翌月一カ月の彼への来店客は、何と436人で、客単価は約九千円にもなったそうです。
売上は掛け算してみていただきたいのですが、驚異的なのは「印鑑プラスお手紙」での来店率が92.2%もあったことです。
彼を大好きだというお客様が増大した事は間違いありません。
 
  《傷だらけのアンパンマン》
 
アンパンマンは自分の顔をお腹の減った人々に、「僕の顔を食べてください!」と差し出します。
自分の顔が少なくなるとアンパンマンは元気が無くなって飛べなくなってしまうのに、困った人の為にそれでもなお自分の顔を差し出していきます。
ジャムおじさんに新しいパン(顔)をつくってもらっても、またヘトヘトになるまでまた自分の顔を与え続けていきます。
子供達の中には、この場面で泣き出す子が居ます。
自己犠牲を伴ってまで人に奉仕するということは美談であり、サービス業としての究極の姿の様にも一見思えますが、これではお客様が素直に喜べない面も多いと思うのです。
お客様の側から見ると、スタッフの自己犠牲の様な痛々さを感じながらサービスを受けても、心の奥底に「そんなにまでしてもらって申し訳ない」という気持ちが存在して、素直に喜べないモヤモヤ感が残るようです。
子供達にとっても、傷だらけで元気の無いアンパンマンから施しを受けるよりも、元気ハツラツでニコニコしたアンパンマンが人を助けるシーンの方が嬉しいものだと思うのです。
人は自らの職業に生き甲斐を感じ、喜びをもちながら楽しく働く人から、技術や接客を受けることで、幸せ感が増大する生き物だと思うのです。
ですから、4月からの業界ニューフェイスの皆さんには、先ず仕事が好きで好きでたまらない状態になって欲しいと思います。
次に、お店が好きで、会社が好きで、先輩が好きな状態に早くなってもらいたいと思います。
お客様が大好きとなれば、接客する喜びを感じ、自然な幸せの笑顔が出るようになります。
笑顔を見たお客様は自然と喜びのホルモンと言われる脳内物質・ドーパミンを分泌し、幸せ感を感じていきます。
このドーパミンによる幸せ感には習慣性があり、またこの喜びを味わいたいとお店に再来店する確率が上がります。
これが笑顔の好循環です。
 
  《ポポポポーン》
 
今年の流行語大賞になりそうな言葉になってきています。
魔法の言葉として、「ありがとう(ウサギ)」、「こんにちわ(ワン)」、「こんばんわ(ワニ)」などの挨拶推奨がACのTVスポットで繰り返し流されています。
「遊ぼう」と言えば「遊ぼう」と返ってきて、「遊ばない」といえば「遊ばない」と返ってきてしまうものであると主張します。
人間心理には、肯定的表現には肯定的に返事をし易くなり、否定的表現には否定的な言葉で無意識に返してしまう傾向があるようです。
否定言葉を使ってしまうと否定言葉のキャッチボールが始まり、否定語が増幅(エスカレート)してしまいがちになります。
お店の中では、前向きな言葉の連鎖を呼びたいものです。
挨拶が挨拶を呼んで人間関係が良くなっていくのも同じ理由からなのです。
ここで大切なのは三点です。
新人スタッフは技術的にお店に貢献できないとしても、笑顔と元気な挨拶はできるということ。
元気な挨拶を笑顔とともに先手を打ってしていけば、誰でも職場を活気づけることが可能です。
お客様を元気にし、楽しい気分にして、再来店比率を上げるお手伝いができるという点です。
二点目の重要点は、先輩や上司が新人に負けない笑顔や挨拶をしっかりするということです。
先輩の態度によって、フレッシュな新人の気持ちは大きく変化するものです。
新人に負けない笑顔と挨拶を、先輩がし続けることが大切です。
三点目は、繰返し粘り強くし続ける事で、初めて効果が出るものだという自覚を持つ事です。
ACの「魔法の言葉CM」は繰り返し放映された事によって耳に残り、子供達は挨拶の回数が増えて挨拶を返し、好連鎖が生まれているという事を聞きます。
前出のバグジーの久保社長は、「お百姓さんは良い土をつくるのが第一」で、同じ様に「経営者は良い人材と、皆が気持ち良く働ける環境をつくるのが第一の仕事」と主張します。
その為には、良い点を見つけ出して伸ばす「得手に帆を揚げる」ことで活気付けて、挨拶や笑顔を新スタッフの得手にしていくことで、「ポポポポーン」と良い方向に進めていくことが重要と考えますが、いかがでしょうか。

今回は、北九州市・泣oグジーの久保華図八社長による2月17日に開催されたグランキューブ大阪での講演、モチベーション・アップ鰍フ代表取締役副社長・丸田富美子氏の「幹部育成の着眼点」より引用しました。

 
M−press .170  2011.3.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『蟻(あり)の思いも天に昇る』
― 希望を持つことの大切さ―
 
今回の東日本大震災で被災された皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。
また、原発事故に伴う避難を余儀なくされた皆様や、計画停電や交通機能麻痺で日常の経済活動を制限されている皆様の心中もお察しし、心が痛む思いであり、応援したい気持ちで一杯です。

さて、今回のタイトルの諺は、小さく弱い蟻のようなものでも、怠りなく努力すればその願いは天まで達するということから、いかに非力な弱者であっても、懸命に努力すれば、希望はかなえられることを意味しています。
「蟻の思いも天に届く」や「蟻の思いも天に通ず」とも表現されます。
千年に一度ともいわれる東北地方での大震災で多くの尊い命が失われました。
また、都市そのものが、一瞬にして消滅してしまう現実を見て大きなショックを受けられると同時に、大自然の中での人間の非力さ、無力感や絶望感をお持ちになられている方も多いのではないかと思います。
現在なお、行方不明の方も多いですし、何もかも無くされた上に、避難所で寒さや物資不足と戦いながら、不自由な生活を強いられている方が、大勢いらっしゃいます。
そういった皆様に少しでもお役に立ちたい、助けるお手伝いをしたいと考えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
そういった思いの強い方ほど、現状では「何かできるだろうか」と「何もできない自分」との間で悩み、無力感でモヤモヤしてしまうという面もあるのではないかと思います。
今回は人の思いの結集の力について考えてみたいと思います。

 
  《絶体絶命》
 
「絶体絶命」は分解すると、「糸・色・体・糸・色・命」になります。
これは、「いとしきからだ、いとしきいのち」と読むそうです。
日本語は素晴らしいと思います。
「愛しき体、愛しき命」=「絶体絶命」、まさに生死の縁のギリギリの状況から、奇跡的に助かった方も多いのですから、まずは被災者の皆様にご自身の体と命をいたわり、大切にしていただきたいと思います。
物質が何も無くなったとしても、どんな大金を積んでも買えない身体と命があるのだから、将来への希望さえ持てれば復興する日が必ず来ると信じていただきたいとただただ祈るばかりです。
さて、支援をすると決めた場合に考えられる援助方法は以下に分類できるかと思います。
@ 金銭的支援
A 物質的支援
B 人的支援
C 精神的支援
今から16年前の阪神大震災の際、小生は約一カ月間公的私的の両面で支援活動をしました。
当時は@〜Bの支援活動をしていたと考えておりましたが、今になって考えると、避難所廻りをしていた際に触れ合った被災者の方や、被災した友人達との会話の中で、自然とCの精神的な支援もしていたのではないかと思うのです。
まず、支援する側は@〜Cの中で自分は何が一番の得意分野で、実際にどの形だったら協力でき、かつ喜ばれることかと考えるのが第一ステップだと思います。
次に、時期的にそれが現在一番適切な手段であるかを考える必要があると思います。
16年前の経験では、初期段階で災害救助の専門スキルが無い人が被災地入りを目指しても、物資輸送の交通の妨げになるばかりか、現地の数少ない食糧や水などを消費してしまうことを小生は痛感しました。
レスキューチームや救護や医療、ライフライン回復などの専門家の組織化された集団を信頼し切ることが第一で、アマチュアチームの人的支援はその次の段階だと感じました。
次に物質的支援では、送る側は誰もが良かれと思い送るのでしょうが、やっと確保した限られたスペースの保管場所に、すぐに配布が不可能な量の物資が溢れ返り、仕分けすら追いつかない量となり、本当に望まれるものを避難所に配布していく妨げとさえなってしまうことが多かった様に思いました。
ご批判を覚悟で書かせていただくと、「思いやり」や「親切心」と思ってやっていることが、送る側の「自己満足」や「おせっかい」の様な次元の善意の押し売りや思いやりに欠ける行動の様にとられかねない場合もあると感じました。
小生も当時のボランティア活動の後半戦では、送られてきた莫大な量の不要支援物資の廃棄仕分けや処理に追われていました。
廃棄処理にも大きな処理コストがかかり、戻す為の運送手段や、廃棄方法に悩む現地の姿や、大量の人員をそれに費やさなければならない状況がありました。
こういった物質支援も現地の状況やニーズに配慮し、組織化された支援チームと充分に相談された上での支援をすべきではないかと思います。
 
《本末転倒》
 
金銭的な援助は、皆さまの志によってすぐにできることだと思います。
どこを通じて行うのか、無理せずに額をどれだけにするかの判断だと思います。
企業人として考えることは、こういった直接的な金銭支援とは別の問題として、日常の経済活動を低下させないことこそが、大切ではないかということです。
この様な大きな災害の復興には、政府からの多額な災害対策費の緊急出費が必要です。
当然税金から出ていく訳ですから、日本全部の企業が通常の企業活動を弱めてしまって、業績低下から景気低迷を招き、税収低迷に拍車をかけることがあってはならないと思います。
被災地の復興を少しでも早く実現するために、関西企業が全国を引っ張って、税収を落として景気低迷を招かぬように、しっかりと法人税と所得税を納め、多大な復興対策費が出せるように企業活動を活性化する事が一番大切であると思うのです。
勿論、企業としても個人としてもできる範囲内での義援金等の支援はさせていただきますが、被災していないエリアの企業&個人が税金の支払ができないような状態では本末転倒になってしまうと思うのです。
現在、被災地の企業は壊滅的打撃を受けられております。
そして、日本の経済活動の中心である首都圏も計画停電や交通機能の麻痺で100%稼働が難しくなり、税収減は避けられないことでしょう。
 だとすれば、第二の都市圏である関西圏が、日本の景気を底支えするために、他のエリアの模範となり元気づけて引っ張っていく必要があると思うのです。
関東の税収の落ち込みを関西がカバーして、中四国、九州・沖縄、東海・北陸エリアなどと協力して、被災地の税収減を補っていくぐらいの腹をくくった覚悟をもつ、リーダーシップと意気込みが必要だと思うのです。
決して下を向いて、元気をなくしている場合ではありません。
菅総理にも『被災地エリア以外の地域で経済を活性化する事で、被災地の皆様への支援が成り立っていくんだ、それで日本の未来が開けるのだ』といったようなもう一つのリーダーシップを発揮して欲しいと思います。
 
《石に立つ矢》
 
心をこめてやれば、できないことはないというたとえで使われる諺です。
中国古典の史記にでてくる古事が基になってできたそうです。
同種の意味の諺では、「思う念力、岩をも通す」や「一念、天に通ず」もあります。
英語では、「Care and diligence bringluck.」(専心と勤勉が運ぶ)、「Faith can remove mountains.」(信念は山をも動かす)などと表現されるようです。
たとえ、蟻の様に非力な者の集団であっても、数多くの者が思いをひとつにして、希望を持ち信念で向かっていけば、実現できないものはないと思うのです。
他界した小生の父は、大正十年生まれで、浅草で関東大震災、荒川区で東京大空襲と二度に渡り焼け出され、その都度全財産と家族の命を失ってきた様です。
何もなくなった焼け野原を見て、二回とも一家で途方に暮れたそうですが、一瞬の絶望感の後に、食べる為に必死に働いている内に、新しい東京の都市機能が再生してきたと生前語っていました。
考えてみると、江戸時代にも江戸旧市街を焼き尽くす大火が数回ありましたが、その都度復活を遂げてきた歴史があります。
小生も16年前に神戸を見て、世が終わるのではないかと思う程の絶望感に襲われましたが、想像したよりはるかに早く、神戸は美しい近代都市に生まれ変わりました。
皆の希望があれば、思いが届くと思うのです。
かつて、米国大統領のJ・F・ケネディが月に人間を送り込むと宣言しました。
その際は、まさかと思いましたが、そんな難しい事を可能にしてしまう人間の力もあるのです
 
《心に火を灯す》
 
ベトナム戦争で、長い間に渡って、大量の人員導入と大規模な爆撃などの、物量とパワーの制圧を試みた米国は、結局ベトナム人民の蟻の力ともいえるゲリラ戦の抵抗に合い、結果的に兵を引き上げて撤退します。
15年の長きに渡る戦争で得られる物がほとんどなかった米国は疲弊し、失望感で気力を失って廃人化した大勢の帰還兵士の再生に苦慮したといいます。
ここで現代心理学が大きく発展し、心の健康を保っていくための社会的仕組みが先進国各国で発達したといわれています。
残念ながら、日本はこの先進国の流れに乗り遅れ、心の健康を扱う心理学的対応の仕組みでは、後進国といわれます。
年間の自殺者数が交通事故死者を大きく上回る、三万五千人+α(はっきりとした数字統計がなく、最低数値しか分からない)と言われています。
著名書店を見ても、心理学の本のコーナーでは100年前後前のフロイトやユングの心理学の本が9割以上で、その後の本が殆ど無いといった状況です。
ようやく心療内科というカウンセリングの要素を持つ病院も増えましたが、少し前までは精神科というどちらといえば患者の社会との接点を減らして治療する方法が多く、その病院数も少なかったように思います。
かかり付けのドクターの他に、かかり付けの心理カウンセラーを持つのが当たり前の欧米先進国と比較すると、メンタルヘルスケアの仕組みが日本は非常に遅れていると思われます。
被災された皆様が一早く立ち直られるように、物資的領域ばかりでなく、希望を持って頑張れるように、心の領域での応援も必要ではないかと考えます。
日本では最大規模ともいえる心理カウンセラーを抱える会社の著名カウンセラーは示唆に富んだ、次の様な発言をしています。
被災者の皆様は一時、失望感や絶望感を持つことは間違いないけれど、その後は生き抜く為に強い信念を持って、仲間と協力して頑張っていく強い力を大半の人が持って立ち上がってくる。
そして、それを外から見ている者は、被災者が総て弱い人達と錯覚して見てしまう面があるが、それは間違いではないだろうか。
どうしても助けたいという対象として見ながら、助けられない無力感を味わったり、悲惨な状況をテレビなどで見て、絶望感を感じて意気消沈してしまいがちなのは、周囲の側なのだと。
被災地の皆様の逞しさを信頼して、彼らが望む応援をできる限りしていくしかないと、氏は結論づけています。
現在、ACジャパン(元・公共広告機構)のCMがTVで盛んに流れ続けています。
派手な商業広告を自粛し、人と人とのつながりや支援の仕方などを訴えかけています。
オシム・元サッカー日本代表監督や、元阪神タイガースの赤星氏等が出ているCMです。
そのACのラジオ広告で「親切とお節介の境目は曖昧で難しい」との主張が流されています。
人間は「ろうそく」みたいな存在で、「火が付かなければ意味がないもの」です。
皆んなの心のろうそくに火が付けば、「蟻の思いが天に昇る」ような強烈なパワーを発揮できるに違いないと思うのです。
被災者の皆様が希望を持って、心のろうそくに火がつけられるように、応援している我々の方が先に、自分達の心に火を付けて、日常生活で頑張っていくことこそが、支援者としての立場であると考えますが、いかがでしょうか。

今回は、神戸メンタルサービス合資会社カウンセラー・中原謙一氏のブログ「私たちにできること」、同社社長・平準司氏の講演より一部引用致しました。
講演の引用については、要旨を書き取ってまとめていますので講演意図と離れた自己解釈があった場合はお許しいただきたいと思います。
お詫び・・・前回、北九州市・泣oグジーの久保華図八社長の講演会よりのお話の続きを掲載するお約束をしましたが、大地震があり、内容を変更させていただきました。
次回への繰り延べとさせていただきましたことをお許し下さい。
楽しみにしていらした皆様には、謹んでお詫び申し上げます。

 
M−press .169  2011.2.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『負けるが勝ち(価値?)』
― 商売に勝ち負けがあるのだろうか? ―
 
あえて無理には争わずに相手に勝ちを譲ったり、一時的に負けたことにしておいた方が、結果的に有利になり、結局は勝ちにつながることを意味する諺です。
「江戸いろはがるた」の「ま」にも登場しています。
英語では、「He stoops to conquer」(勝とうとして身を屈する)と表現するようです。
少し前の時代まで「勝ち組」「負け組」といった言葉が、世間では頻繁に使われていました。
最近は、以前ほどこれらの言葉を目にしなくなりましたが、当時勝ち組とされていた人が没落したり、反社会的行為で逮捕されたり、逆に負け組とされてた人が脚光を浴びる等、世の中が変化しているようにも見えます。
今回は、商売には勝ち負けという概念が必要なのか、勝ち負けにこだわっていて永続的な良い関係を保ち続けることが可能なのかを考えてみたいと思います。
 
《八百長(やおちょう)》
 
日本の国技である相撲界が揺れています。
野球賭博問題に続いて表面化した八百長問題によって、年に一回の大阪での本場所(春場所)が中止に追い込まれました。
大相撲は江戸時代から続く興業ですが、「八百長」という言葉は明治になってからできたものだそうです。
明治初期に実在した八百屋の長兵衛(通称・八百長)さんが語源になっているようです。
この八百長さんは囲碁の腕前に優れ、非常に強かったそうです。
この人は当時の相撲協会の理事長と碁を打つとき、わざと勝ったり負けたりして、勝負に細工をしていたといいます。
このことから、八百長とは真剣に争っているかのように見せかけて、実は前もって打合せをして行なうインチキな馴れ合いの勝負をいうようになりました。
元々は相撲の勝負についてのみに使っていた言葉のようですが、後にその他のものにも一般的に使われるようになりました。
大相撲は江戸時代から続く興業という表現をしましたが、「興業」は英語に訳すと「アトラクション」で、客寄せや娯楽的催物や余興の様な意味になります。
つまり、競技会や選手権大会の様に勝負を競い合うのではなく、そもそもが喜んでもらい、足を運んでもらうための催しの色彩が強いものだったらしいのです。
ですから、江戸時代〜明治時代への時期も、人情相撲と呼ばれる「対戦相手を優先して、義理人情を立てる取組」が半ば公然と存在し、観客もそれを分っている側面もあったと聞きます。
それが江戸時代の日本文化だとしたら、八百屋の長兵衛の行為をすぐに相撲に当てはめたこともうなづけます。
因みに、八百屋の長兵衛は囲碁をわざと負けてあげて親方のご機嫌をうまく取り、八百屋の商売も大繁栄させたといいます。
正に「負けるが勝ち」を地で行った人なのかも知れません。
 
《損して得取れ》
 
目先のちょっとした損には目をつむって、のちのちの大きな利益を得られるようにすべきだという意味の諺です。
英語では、「Sometimes the best gain is to lose.」(時には損が最高の利)と表現されます。
「損せぬ人に儲けなし」という諺も同じ意味です。
「完本1976年のアントニオ猪木」などを著者に持つノンフィクションライターの柳澤健(たけし)氏によると、プロレスの世界では真剣勝負は御法度で、結末の決まったショーなのだと彼は断言しています。
ウルトラマンが必ず怪獣に勝つ様に、観客がハッピーエンドに満足して次の興業に足を運ぶようにする演出なので、ウルトラマンを八百長だと指摘しない様に、プロレスには八百長という概念は存在しないのだそうです。
プロレスでは正義の味方と悪役が一致協力して試合を盛り上げ、最終的に正義が勝つ、つまりウルトラマンと同じです。
アントニオ猪木は1976年にボクシング世界王者のモハメド・アリと対戦し、引き分けましたが、この試合は真剣勝負で異例中の異例であり、普通はストーリーを組み立てて、その中で観客を喜ばすショーだというのが柳澤氏の主張なのです。
戦後間もない頃、力道山が悪役の外国人レスラーを打ち負かす姿は、敗戦に沈む国民の希望となりました。
しかし、その後ジャイアント馬場、猪木らの時代になると、大人たちは次第にプロレスが観客の欲望を満たす装置に過ぎないと気づくようになり、二人の引退とともに下火になり、他の本気の格闘技に人気が移ってしまったと柳澤氏は言います。
大相撲は品格や伝統、礼儀など国技としての歴史を勝負以外の部分で持ちながら、同時にスポーツとしての競技性も明確にしていった様に小生には思えます。
更に柳澤氏の言葉を借りると、「大相撲がプロレスと同じなら、観客にハッピーエンドを提供しているはずだが、現実的には大多数の日本人が日本人力士の勝利を望んでいるにもかかわらず、モンゴルからの力士達が横綱になり、上位にも欧州出身者などの外国人力士がずらりと並んでいるのは、番付が公正に実力で決められているのは明らか」ということになります。
今回の八百長疑惑で不正な取組みが仮にあったとしても、総ての取組が真剣勝負ではないと断言することは愚かなことだと思うのです。
 
《手心を加える》
 
八百長のようにイカサマ臭く人を騙すようなニュアンスではないが、近い表現として「融通を利かせる」「顔を立てる」「手心を加える」などがあると語るのは、国語学者の金田一秀穂先生。
先生によると、これらの表現には善悪をはっきりさせない、日本人の心性が透けて見えるのではないかと言います。
日本の社会を動かす原理は、人と人との情であるとの主張です。
情が基本だから「敵」という概念も薄い上に、源義経の様に負けた方が人気の出る「判官びいき」という考え方があって、悪役を完全な悪とせずに人情を残す文化があるのではないかとの説を金田一先生は唱えています。
「手心」とは、事を程良く扱うことで、その事情をよく考え、事情に応じて適合してはからう手加減のことを言います。
「手心を加える」とは、物事をその場に応じて寛大に取り扱うことを言います。
相手が立ち直れない程にまでは、徹底的にやっつける事をしないという意味のことなのです。
つまり、手には心があって、単に手を動かすのではなく、心の命令で手を動かしながら、手でも具合を感じとって、心に相談して力加減を調整して、手に心をこめて動かすのが「手心」ということだと小生は思います。
何だか、技術職であり、サービス業でもある、私達サロンビジネス業界人の為に準備されたような言葉だと思いませんか。
スポーツの領域は好きなだけに、いくら誌面があっても書き切れなくなりますので、このあたりで我々の業界の話に戻ります。
先日、福岡県北九州市の美容室経営者、泣oグジーの代表取締役・久保華図八氏の講演を拝聴する機会に恵まれました。
小生にとっては二年振り四回目の久保氏の講演受講となりましたが、講演受講マニアの自分にとっても、最上級の感動と気づきを得られる素晴らしい内容のセミナーでした。
大阪市内で、多業種の受講生を前にして行った大勢の参加者のセミナーで、「従業員の満足こそが、企業を伸ばす〜心の教育と経営との関係を考える〜」というタイトルでした。
想像してみて下さい、中には東大卒の方々もおられるような、大企業経営者や幹部等、大勢の受講者を前に、自ら中卒の十五歳で美容の世界に飛び込んだと語る久保氏が、人の気持ちを重視した経営哲学を堂々とぶつけ、思わず小生も含めた受講者が涙にむせぶ状況は感動的でした。
この講演の一部内容は、今回も含め数回に分けて、当欄で紹介していこうと考えています。
それは正に、「手と心が密着した」話ばかりだったのです。
 
《顔を立てる》
 
バグジーさんには約100名の社員さんがおられるそうです。
本業を一番大切にするという意味で、技術とサービスの部分を徹底強化されているそうです。
技術面では、職業訓練校をつくり、営業時間内トレーニングも含めて一人当たり最低でも月間60時間、最大で90時間のトレーニングをしているそうです。
もうひとつの柱であるサービス面が更に凄いと思います。
お客様が喜ぶことなら、何でも自己判断に基づいてやって良い、つまり「何でも有り」が基本的な考え方だそうです。
これが「勝ち負け」ではない「質」の行動につながると久保氏は言います。
お客様がいかに感動してくれているのかを判断するモノサシは「紹介客数」で、これを見極めのルールとしているそうです。
年に一回、お客様に一番感動を与えたスタッフを「サービスのMVP」として表彰し、副賞としてバリ島旅行を贈るそうです。
前回の受賞は、25歳の男性スタッフです。
彼のお客様の41歳の女性がいつもの元気がないので、心配して彼は声をかけました。
聞けば、そのお客様のお母様が、肺がんが進行して末期がんとなり、医師から余命2カ月の宣告を受けていたとのこと。
そのお母様は、沖縄が大好きで毎年一回沖縄旅行に行くのを楽しみにしていたが、もういけないと娘は涙ぐんだそうです。
それを聞いたスタッフは、「次の○曜日にお母様を是非連れてきて下さい、絶対ですよ」とお約束して、準備に取りかかります。
スタッフ全員にアロハシャツの着用を頼み、近くの花屋さんにお願いして20本のパイナップルの木を一日だけ借りて、スタッフ皆でサロンに運び込みます。
沖縄の風景や花の写真で店内を飾り、沖縄音楽をBGMにして、ハイビスカスの花の首飾りをつくって母娘の来店を待ちます。
当日朝、何かが足りないとスタッフで相談して、皆で白砂まで運び込み、床にまいたそうです。
そしていよいよ、母娘が来店されますが、二人がいかに感動されたかを想像していただきたいと思います。
きっと一生にそう何度もないような喜びと、感激の涙が一杯だったんだろうと思います。
涙をこらえ切れなくなったお母様はトイレに入ったそうです。
そのトイレにも沖縄の心地良い波の音が仕掛けてあり、その音とともにむせび泣く声が聞こえていたとのことです。
ここまでの感動をお店からいただいたら、娘さんは一生そのお店から離れないでしょうし、お友達や親戚にこのお店での感動を一生涯お話しし続け、このお客様が他のお客様をご紹介し続けていただくに違いありません。
もちろん、この話を講演会で聞いていた大勢の受講者のすすり泣く声が大ホールに響き渡っていたのは言うまでもありません。
お店のスタッフとお客様が感動を共有したのと同じで、久保氏とセミナー受講者も感動を共有し、心に残る時間をもシェアできていたのかと思います。
他にも素晴らしいお話が沢山聞けましたので、追い追い当欄でお伝えしていきたいと思います。
「顔を立てる」とは、その人の名誉が保たれるようにすること、そして相手方のことを思い、尊敬して尽くすことです。
商売の原点は「勝ち負け」「儲かること」の以前に、お客様を敬愛して、喜びと感動を得られるように尽くし切ること、そして、そのお客様の感動を提供者側も共有していくことなのだと思いますが、いかがでしょうか。

今回は、朝日新聞3月17日付朝刊「オピニオン」より、国語学者・金田一秀穂氏とノンフィクションライター・柳澤健氏のコラム、2月18日の大阪市での泣oグジー・代表取締役・久保華図八氏の講演から一部引用しました。

 

 
M−press .168  2011.1.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『脱兎(だっと)のごとし』
― 攻める年なのか?、守る年なのか? ―
 
ウサギ年にちなんで兎の入った諺でスタートします。
「脱兎の如し」は行動が非常にすばやいことのたとえで使われる諺です。
「脱兎」は逃げるウサギのことなので、追われると必死になってスピードが増すことを言っているようです。
中国の古典で孫子の書いた「兵法」という戦のやり方の心得の書物に出てくる表現の一部です。
正式には「始めは処女の如く後は脱兎の如し」というもので、始めは少女のように弱々しく見せて相手を油断させ、後になると目を見張るような力を発揮させるたとえとして使われます。
また、始めはのろのろとしていながら、後では逃げる兎のように素早い行動を取るたとえでも使われます。
以上が、辞書に載っている説明なのですが、「孫子の兵法」を解説する人々の言葉を借りると、もっと深い意味があるのです。
それによると、本当の意味は、「守りのときは、ただじっと抑えて守る事だけを意識して守っているのではなく、今度こちらが攻めるときには、どれほど勢いよく攻めるかを考えて守りに徹せよ」との意味だそうです。
他店(社)に勢いがあり、自店(社)が劣勢にある時や、景気低迷で我慢を強いられている場合などは、じっと耐えていなさいというのが孫子の教えです。
そして、ただ辛抱しているのではなく、攻めに乗じた時には一気に攻められるように、耐えながらしっかりと準備をしておくことが重要だというのが孫子の一番言いたいところなのです。
非常に今の時流に合った教えだと思うのは小生だけでしょうか。
「脱兎の如く」を英語で表現すると、「run away at top speed」や「like a scared rabbit」となりますが、「with lightring speed」(稲妻の様な速度で)や「as fast as one can」(可能な限りの速度)などとも表現されるようです。
今回は、兎にちなんだ話題から経営を考えてみたいと思います。
 
《ダットサン》
 
DUTSUN〜これは日産自動車の歴史あるブランド名です。
2002年の排ガス規制でダットサントラックが生産中止になって以降、長く続いたブランド名が途絶えてはいますが、北米地区を中心に世界ブランドDUTSUNの知名度は衰えておらず、日産自動車はブランド名の復活を検討しているといいます。
このブランド名の誕生は戦前に逆上ります。
買収や合併を繰り返し、現在の日産自動車に発展していく前の時代からのブランド名です。
列強各国に肩を並べようと日本が富国強兵を計っていた大正14年(1924年)の誕生です。
軍用車を輸入に頼り、自国開発ができていなかった日本は、戦争に突入した場合に経済封鎖で軍用トラックが入手できなくなる恐れをかかえていました。
1924年に、ダット3トラックは軍用保護自動車として快進社により生産を開始されました。
快進社の創立メンバーの田(でん)健冶郎氏の「D」、青山禄朗氏の「A」、竹内明太郎氏の「T」のそれぞれの頭文字を合わせ、早く走ることの例えに使われる「脱兎」の意味を含ませて、「脱兎号」(DAT CAR)を商標としました。
その二年後に、快進社は実用自動車製造鰍ニ合併してダット自動車製造となり、さらに二年後の1930年にDATの「息子」を意味する「DATSON」を商標登録します。
1932年になると、「息子」の「SON」が日本語読みでは「損」を連想するために、音が同じで太陽を意味する「SUN」に改められ「DUTSUN」となります。
以来、戦前〜戦後を通じて、日本を代表する自動車ブランドとして、1981年に以降のすべての新型車を「NISSAN」ブランドに変更して「ダットサン」ブランドの使用を中止し統一していく方針発表により、2002年に最後のダットサンブランド車が姿を消すまでの70余年に渡って使われ続けます。
特に高度成長期には、「車といえばダットサン」、「一家に一台ダットサン」などと宣伝されて知名度が高まり、トラックのみならず、サニー、ブルーバード、フェアレディZなどの頭にブランド名として使われます。
特に、海外向け輸出車では、日本名では「セドリック」「スカイライン」「バイオレット」などもすべて「ダットサン」の車名に型番数字を入れる形式で発売されたために、NISSANは知らなくてもDATSUNは知っているという逆転現象になっていたようです。
また、トラックの分野でのダットサンは海外知名度が抜群で、「ダットサンズ」というロックバンドが登場するほどだったと聞きます。
逃げる兎が「脱兎のごとく早い」というのは「ダットサン」のヒットによってポピュラーになったのかも知れません。
ダットサンブランドが休止したことによって、「脱兎の如く」もあまり使われない言葉になってきたような気さえします。
 
《二兎を追う者は》
 
「二兎を追う者は一兎も得ず」という諺があります。
この諺は古代ローマを起源とする古いもので、英語で「If you run after two hares,you will catch neither.」と表現されたものが外来し、日本語訳されたものだそうです。
同時に二匹の兎を捕まえようとすると、結局一匹も得られないという意味から、「頑張って一度に二つのものを狙うとどちらも手に入れられないこと」の例えで使われます。
日本の諺では、他に「あぶ蜂取らず」という同じ意味の諺もあります。
反対の意味の諺では、「一石二鳥」や「一挙両得」という諺も存在しますが、現在の情勢ではその様な上手い話はそうあるものではないと思います。
やはり、一つの目標を決めたら、それを目指して一途に努力することが肝心だと思います。
イソップ童話の「ウサギとカメ」は、亀よりも格段に速い兎が、目標(ゴール)を目がけて走るのではなく、相手の亀をなめてかかり、相手との関係論や競争力の比較を見てしまい失敗してしまう教訓話だと思います。
一方の亀は歩みはノロくとも、一途にゴールを目がけて休まずに歩き続けた結果として、勝利が待っていたんだと思います。
そこには「相手が早い」とか、「自分が負けるのでは?」などの邪念は一切持たずに、ただひたすら目標を目指すというひたむきさがあったのだと思います。
さらにいえば、自分の力を認識しつつも、決して悲観せずに、自分の能力を最大限出して、ベストを尽くす姿勢を亀が持っていたということかも知れません。
時には自分より優れた者を模倣することも必要な局面もあるかも知れませんが、それも自分自身を十分に知った上で、マネをしていかないと、自分の致命傷となることもあるかと思います。
二兎を追わず、一つ決めた目標に対し、自分を信じて周囲に惑わされることなく、着実に歩み続けることが大切だと感じます。
 
《兎を待つ》
 
「株を守りて兎を待つ」という諺もあります。
中国の古典「韓非子(かんびし)」を起源とする諺だそうです。
宋の国の農民が、切り株に兎がぶつかって死んだのを拾って以来、また同様に兎が手に入るのではないかと、仕事もしないで毎日その切り株を見守っていて、国中の笑いものになったという故事に基づくものです。
古い慣習を守り、それに囚われて進歩のないことや、融通の利かないことの例えで使われます。
また、時勢の変化に気付かなかったり、一度味をしめたことを忘れられず、いつまでも変化を拒む姿勢のことをいいます。
同じ様な意味の諺では、「柳の下にいつもどじょうはいない」や「舟に刻(きざ)みて剣を求む」があります。
「舟に刻みて〜」も中国故事によるもので、揚子江を舟で横断する途中に、誤って剣を川に落とした男が、舟が流れ動くことを考慮しないで、剣が落ちた舟の端に目印をつけ、舟が川岸に着いた後、目印の下の川底を探しても剣が見つからないという話が基になっているそうです。
周囲が変化していることを知らずに、ただ頑なに旧態依然を守ることの愚かさをいった諺です。

さて、木の切り株に衝突する兎の話は、北原白秋が「待ちぼうけ」という題で詩にしています。
そして、山田耕筰が作曲して歌にもなっています。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。
ある日、せっせと、野らかせぎ、そこへ兎が飛んできて、
ころりころげた、木の根っこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。
しめた、これから寝て待とか、
待てば獲物は駆けて来る、
兎ぶつかれ、木の根っこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。
昨日くわ取り畑仕事、
今日はほうづえ、日向ぼこ、
うまい切り株、木の根っこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ。
今日は今日はで、待ちぼうけ、
明日は明日はで、森の外、
兎待ち待ち、木の根っこ。

待ちぼうけ、待ちぼうけ、
元は涼しいきび畑、
いまは荒野のほうき草、
寒い北風、木の根っこ。

読んだ感想はいかがでしょうか。
教訓臭さを廃してユーモラスな詩になっていますが、さすがに最後の「寒い北風、木の根っこ」までくると、厳しい戒めの歌なのかなとも感じます。
以前はイネ科のキビが生い茂って涼しい畑だったのに、手入れもしていないのでススキの茂る荒野となり、寒い北風が吹きすさぶようになってしまいました。
以前一回あった幸運(成功事例)に囚われてしまい、日々の努力を怠ってしまった結果、今まで持っていたものまですべて失ってしまったという悲惨な結末の歌なのです。
今回は兎年に因み、ウサギの諺や格言を掘り下げてヒントとしてみました。
結論としては、「過去の成功体験に縛られ過ぎず、攻めに転じる際には脱兎の如く全速で果敢にいけるよう、知恵や技術を蓄積して、守る時は守り、いくつも欲張って取りに行かず、ひとつに定めたゴールに向かって、競合者を意識し過ぎずに、ただひたむきに自己の能力を信じて跳び続けることが重要である」となりますが、いかがでしょうか。

今年一年が兎の様に飛躍の年となるようお祈りいたします。

 
M−press .167  2010.12.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『一石を投じる』
―常識とされることをまずは疑ってみる―


 
水に一つの石を投げ入れると、水面に波紋が広がります。
この諺は、新たな問題や意見を投げかけて、反響を呼び起こすことのたとえで使われます。
英語では「to cause ripples.」(=波紋を起こす)と表現するようです。
世の中には、常識として信じられているものがあります。
その中には、永久不変的なものもあります。
しかし、ある種の風習となって根付いてしまっているものもあれば、因習として残り、信じられ続けているものもあります。
また、時代とかけ離れてしまっているにも関わらず、迷信として残っているものもあります。
ちょっと待てよと立ち止まり、疑わしくなってきている常識に対しては、新たな石を投げ込んで波紋を起こすことも大切だと思うのです。
特に消費者心理が動きにくい環境にあるとするなら、心を揺さぶるような新しいアクションを起こす必要があると思うのです。
今回は、常識とされることを疑ってみることの大切さを考えてみたいと思います。
 
《一線を画す》
 
はっきりとものごとを区別し、けじめをつけることを、「一線を画す」といいます。
「画す」は線を引くことを言い、引いた線で境界をつけることにより区別をしていくことから、この諺が生まれました。
英語では「to draw the line」(=境界・限界をつける)と表現するようです。
デフレの世の中で、値引きが当然のように言われている中で、それとは一線を画し、自信を持って値上げに踏み切る企業があります。
東京ディズニーランド(TDL)と東京ディズニーシー(TDS)を運営するオリエンタルランドです。
来年の4月より、入園料を引き上げ、一日券のワンデーパスポートの大人料金を現行の5800円から6200円に値上げする他、各種チケットも4〜16%程度値上げをするそうです。
開園してから過去二度値上げしたそうですが、二度ともその後の入園者数は増えたとの話です。
もちろん、むやみに根拠なく値上げするのではなく、一年間かけてゲストの満足度の向上を細心の注意を持って見極め、新施設を増やし、それにより感動を絶やさないという絶対的な自信を持った上で、大胆に値上げをするというのです。
新設アトラクションだけでなく、ディズニーシーの開業10周年イベントの実施によるプレミアム感も考慮しているそうです。
4月の値上げ前の1〜3月までのかけ込み入園者数も増加する目算をしているなど、自信を持っての大胆値上げなのです。
デフレだから値上げは難しいという常識論に立つのではなく、熱狂的な固定ファンをつくってきた自信があるから、そのファンが一層喜ぶ仕組みを増やしたら、値上げしても、喜びも増えるのだから問題ないと考える常識もあると思うのです。
リサイクル品や中古品が安く買えるものと考える常識もあれば、骨董品やヴィンテージ物という、古い方が価値が上がるという考え方も一方ではあるのです。
つまりは、お客様の気持ちの上での満足感で価値が変わり、対価である価格の値ごろ感が変わってくると思うのです。
お客様の支持が得られるお店なら、更に喜びを増やすことで、値上げもできるのではないかとの発想だと思います。
 
《一世を風靡する》
 
ある魅力でその時代の人々の心をとらえて人気をさらい、大いに持てはやされることを表した諺です。
「風靡」の意味は、風が草木をなびかせることだそうです。
その時代の多くの人々の心を、一つの傾向になびき従わせることの意味から使われるようになりました。
現代は、東京ディズニーランドのように、一世を風靡するような他者と決定的な違いを認識できるものは極めて稀になってきているのではないかと思います。
ビジネスの成功の要は、競争力にあるといわれます。
競争力とは競合他社といかに差別化できるかということです。
1980年に、米国人のマーケティングの権威、セオドア・レビットが、「マーケティングの成功条件は、差別化にある」という論文を発表しましたが、それから三十年間、企業はこの教えを頑なに守り続けてきた様です。
その結果、微妙な違いから簡単に差別化という言葉を乱用し、些細なことを大げさな違いとして騒ぎ続けたようにも見えます。
しかし、その差が細かくなりすぎると、差別化は無意味になってしまいます。
製品の違いは小さくなり、類似性ばかり目につき、種類こそたくさんあるが、それらの製品には、違いがほとんど見えなくなってしまいます。
多すぎる品はあっても、ユニークさで傑出したものを探すのには苦労をするといったことではないでしょうか。
デフレで値引き合戦が起こり易くなっていると言われますが、違いが認識できない物で世の中があふれ、差が感じられないので、価格競争に巻き込まれている側面もあるのではないかと思います。
ビューティサロン間の競争でも、このような状況に陥っているような気がしてなりません。
 
《競争の正体》
 
顧客重視というと、市場調査をして自社の競争力を測ろうとするなどの分析手法をとります。
こういった前向きな努力が、結果的にはかえって均質化や類似化を促すことになってしまうと指摘する人がいます。
ハーバード・ビジネススクールのヤンミ・ムン教授です。
消費者に尋ねるということは、「競合他社が何を提供しているか」を聞くのと等しくなり、それが市場調査の問題点になっていると、彼は言うのです。
消費者に聞くと、この点は満足だが、違う点をもっとこの様に欲しいと答えるのが常で、これをすることで自社製品(サービス)と他社製品(サービス)の強みと弱みを比較していくと、双方の相違点が見えてきます。
しかし、相違点が見えると、強みを伸ばすのではなく、一番弱い部分をてこ入れして、直していこうとしてしまいます。
互いの違いを際立たせるのではなくて、解消しようとする方向に走りがちになります。
皆驚くほど真剣に「もっと良くしたい」と考えて、改善改良をするのですが、それが結果的には特徴を消してしまう方向に動いてしまうのです。
「もっと良くしたい」と思うと2つの方法を取るそうです。
ひとつは、「付加型」という足し算の方法で、プラス機能を付けて進化させ、競争力を増やそうという考えです。
例えば、洗剤のシミを落とす力を高めたり、洗剤に柔軟剤効果を持たせたりするのです。
しかし、これをいかに繰り返しても、新しい付加された機能は他社が追随し、やがては標準機能となり、いくら価値提案をしても、消費者は無関心になりがちになるのだそうです。
どの洗剤でもシミが取れるなら、消費者は選り好みする必要がなくなるからです。
もうひとつは、選択肢が増えていく「増殖型」です。
人の好みは千差万別なので、特定の人の要望に応えるものをひねり出します。
「ダイエットコーク」、「白い(青い)(黄色い)ベンザ」などのような細分化増殖です。
この場合、どんどんと小さなターゲット集団向けに製品やサービスを細かく分けすぎて、違いに対して消費者が大きな意味を見いだせなくなってしまいます。
市場をどんどん小さな分類に切り刻み、違いに大きな意味を持たなくなってしまいます。
「選択肢の激増」と「意味ある違いの縮小」という、経営方向としては、最悪の状態に入り込
んでしまう可能性があります。
 
《独自性》
 
成熟してきた社会では、企業も店舗も一群となって競い合い、一定の方向に向かい、同質性を帯びてしまいがちになります。
そうした無意味な競争を避けなければ、価格競争に巻きこまれ、人物金などのパワーの勝負になってしまいかねません。
しかし新しい価値創造をして、競争のない独自のブランドを作り上げて、成功している人々が多く存在します。
ブランドの語源は、「焼き印を押すこと」(=a brand)。
自分の牛だと判るように、小牛に焼きゴテで「しるし」を付けたことが起源の言葉です。
焼き印を押されたお客様はそのお店やメーカーの虜となり、それ以外に目が向かなくなる、これがブランド化です。
 
《ホスタイル》
 
エナジードリンクで大ヒットしている「レッドブル」は、発売前にヨーロッパで大規模な市場調査をしたそうです。
消費者の反応を知るために、試飲の市場調査をしたところ、慣れない味に対しての消費者の反応は極めて悪かったそうです。
「色が薄く、飲む気になれない。」「口はネバネバするし、嫌な味だ。」など惨々な試飲評価で、調査会社の結論は、「これほど失敗が確実な製品は見たことがない。」との結果だったそうです。
しかし、レットブル社はそのまま発売に踏み切りました。
ナイトクラブやバーで人気を得はじめると、消費者は「液体コカイン」「缶入り覚醒剤」「液体バイアグラ」などと呼び始め、原料は牛の睾丸などとの噂も飛び交ったそうです。
健康への影響を心配する消費者がボイコット運動を始めても、レッドブル社は噂をもみ消そうとも、不安を解消しようともしなかったそうです。
普通に考えれば、消費者に喧嘩を売っているようなもので、「心配なら、飲まなくてOK」という態度を貫き通したそうです。
消費者の好感度に背を向けても、絶対に消費者に喜ばれるはずであると、世論を敵に廻してでも貫き通す手法を「ホスタイル・ブランド」と呼ぶそうです。
Hostileとは「対立」「敵対」といった意味で、大型車社会だった米国にミニクーパーが販売開始した際も、レッドブルに近いホスタイルのマーケティング手法を取ったそうです。
自社製品については口当たりのいいことを言うのが普通で、市場調査で消費者が製品やサービスの欠点に不安を感じているのが明らかであれば、提供者側はそれを払拭するか、他の長所に目を向けさせるようにするのが一般的マーケティング手法です。
それを、説得という手法を使わず、長所も短所もさらけ出し、もし消費者が気にいらなければそれまでだ、と言ってのけてしまうのが「ホスタイル・ブランド」だそうです。
 
《リバース》
 
また、今まで常識とされるものの、まったく逆を行くものを世に送り出す手法を「リバース・ブランド」と呼ぶそうです。
世の中の流れのまったく逆を選択する手法です。
過剰サービスにあふれた業界に、逆にそっけなさが魅力を持つことに注目し、そのそぎ落として残ったものに強烈な魅力付けをすることにより、格安運賃で一世を風靡した航空会社ジェットブルーがその代表格だそうです。
当時の航空業界は、機内食や座席のクラスのグレードアップなど、サービス強化合戦が真っ盛りだったそうです。
そこへ、単なる格安ではなく、余分なものはそぎ落としながら、全席レザーシートで衛星放送が各自見られる、格安会社に期待したことのない贅沢を付加させたサービスでジェットブルー社は大成功したとの話です。
今までにない期待していないものを提供するのが「リバース・ブランド」の考え方だそうです。
初めは戸惑っても、他との違いがはっきりするという手法です。
 
《ブレークアウェー》
 
既存の分類を書き換える「ブレークアウェー・ブランド」という手法もあります。
ソニーは「AIBO(アイボ)」をロボットとしてではなくペットとして売り出しました。
20万円という価格で10年前に売り出されたアイボは、当時はソフトに不具合が起きやすく、持ち主の命令に応えないこともあったそうです。
しかし、大金を払ったにもかかわらず、持ち主達は非常に寛大で、アイボが命令に従わなくても笑っていたそうです。
それは、アイボをロボットとしてではなく、ペットとして見ていたからで、持ち主ではなく飼い主になっていたからです。
ロボットは命令に従うものですが、ペットは気まぐれなお馬鹿さんでOKなので、命令に従わなくても怒らなかったのです。
ロボットではなく、機械でできたペットという新しい枠組みが生まれたことで、消費者が変容していったという現象です。
これが、今までの分類を書き換える、「ブレークアウェー・ブランド」です。

以上の3種が、無意味な競争を避けて、存在感が際立つ「アイデア・ブランド」の心理論です。
もちろん製品だけではなく、技術やサービスにも同様の論法が成り立ちます。
現在の市場環境を考えると、経営を成り立たせる為には、他者との同質化を極力廃除し、過去の常識に一石を投じて、波風を立ててみる考え方も取り入れていく必要があるのではないかと考えますが、いかがでしょうか。

ハーバード・ビジネススクール教授のヤンミ・ムン氏著、北川知子訳「ビジネスで一番、大切なこと」(ダイヤモンド社刊)より、一部抜粋、参考にしました。

 
M−press .166  2010.11.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『猫も杓子(しゃくし)も』
― 画一化防止と個性化促進を考える―

 
「だれかれの区別なくみんな」という意味で使われる諺です。
「杓子(しゃくし)」とは、ご飯をすくうシャモジのことです。
語源には諸説あり、猫の手と杓子の形が似ているところからだという説や、「女も子供も」の意味の「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も」が変化したとする説などがあるようです。
英語では、「everyone that can lick a dish」(皿をなめられる者はだれも、かれも)と表現するようです。
先月号の当コラムでは、自店の課題を見つめようとすると、どうしても自店の強みを活かしてそれを伸ばすという発想がなくなりがちで、弱みを改善することばかりに目が行きがちになり、特徴の少ない平均的な店に平準化されてしまいがちになる恐ろしさを考えていきました。
今号では、どの様にすれば画一化しないで済むのか、どうすれば強みを打ち出して特徴付けと個性化ができるのかを考えてみたいと思います。
 
《杓子定規》
 
杓子定規とは、すべてに対し一つの基準、形式、感覚などに当てはめてしまって、判断・処理しようとすることをいいます。
応用や融通の利かないやり方や態度に対しても使います。
昔の杓子は柄の部分が曲がっていたそうです。
当然、そんな曲った杓子を定規に使うことは不合理なのですが、一度定規として使ってしまったのでそのまま頑固に変えないことが語源とのことです。
杓子定規なものの捉え方をしてしまうと一方向からの見方しかできなくなり、平準化・画一化といった平凡な特徴のない状態に陥りがちになります。
まずは、物の見方のこだわりを捨てて、多方向から柔軟な姿勢で物事を捉えることが大切だと思います。
さて、業界常識と呼ばれるものがあります。
どの様な業界にも多かれ少なかれあるものだとも思います。
特に、法規制で業界権益が守られてきたり、業界団体や同業者組合などの力が強かったり、情報伝達が閉鎖的な業界ほど、一般常識と大きくかけ離れ、業界内の常識が、判断基準となりがちになります。
業界ガラパゴス現象です。
そんな時は消費者サイドに立って、業界常識と呼ばれるものを見つめ直すべきだと考えます。
第三次を迎えた事業仕分けも、杓子定規に硬直化した予算割り振りを、一度お役所常識をはずして、見直すスタンスで行なっているのではないかと思います。
 
《猫にかつお節》
 
今度の諺は油断がならないことや過ちを起こしやすい状況であることを指したことわざです。
猫の目の前に大好物の鰹節を置いて番をさせるように、好きなものをすぐそばに置くのは過ちを起こす元となり、危険だということです。
英語では、「to set the wolf to keep the sheep」(ヒツジの番を狼に頼む)と表現されるようです。
「この様なタイプの店が繁栄している」「こんなメニューがヒットしている」などとの情報が飛び交うと、猫も杓子も同じ様な商品やメニューを導入したり、同じ様な店装が増えていく傾向が出てきます。
立地条件や客層などが大きく違うのにもかかわらず、画一化されて同じ様なことをやってしまいがちになって、自ら特徴を消してしまうのです。
十五年程前のカラーブーム以降その傾向は非常に顕著となり、その後のカリスマ美容師ブームの前後では、繁華街以外の立地であっても、50坪以上のサロンが多くなり、競い合う様に大型サロンが乱立していきました。
天井を貼らずにダクトむき出しのスケルトン天井をグレーか白に塗装だけして、壁も床も同様に、白かグレーや黒のモノトーンにしたサロンが急増しました。
ガラス張りで内部が見えるようにし、明かるめの照明の同じ様に見える店が次々とできました。
業界の有名サロンがその様にすると、雑誌などの媒体やインターネットなどで情報がまたたく間に伝達され、それを参考にした建築デザイナーや業界の内装業者がその提案を拡めるという流れだったと思います。
白基調の内装に明るい照明は、照り返しで眩しさを誘発し、安らぎよりも疲れを感じさせてしまうという話もあります。
歳を重ねる度に、目は弱体化をしていくので、ナイスミドル以降の世代では白基調での眩しさは大敵とも言われます。
白と黒とで組合せられた店内表示は、老齢者には見えづらくてストレスになるとのことです。
更に、小さい文字表記となると、ご年配のお客様は辛い思いをされているに違いありません。
お客様がお店を認識するためには重要な意味を持つ店名も、アルファベット表記の文字にこだわりすぎて、読めなかったり、覚えられないといった問題もあるようです。
店内の音楽についても、若いスタッフが中心になって選ぶと、アップテンポすぎて安らげない、客層年齢にフィットしていないなどの問題を生じます。
ブティックのコムサの様に、一日中かつ一年中、オールタイムに渡って、ビートルズばかりのBGMも有りだと思うのです。
これが他店との差別化であり、強烈な個性化だと思うのです。
ビューティーサロンビジネスの柱は、やはり技術です。
ビューティークリエーターとしての感性を磨くことが、何よりも大切なことです。
しかし、経営陣や運営陣が店舗内の選択項目を100%技術者に委ねてしまうと、お客様の感覚と大きなズレを生じる危険性があります。
技術者はクリエーターとして良い仕事をしようという視線で製品選択をしがちになります。
創造活動の原材料としての感覚で選択をする可能性も出ます。
画家がキャンパスや絵の具、筆にこだわることに似た選び方をしがちになってしまいます。
この場合に、お客様の選択基準や理解し易すさ、お客様にとってのありがた味などが後廻しになってしまう場合もあるのです。
店舗としての戦略性やマーケティングと微妙なズレが出てくることも多いのです。
やはり、経営責任者や運営責任者が、その様な選択の際には必ずからみ、クリエーターサイドに100%任せることは避けた方が良いと思うのです。
選択権を全部委ねてしまうことは、「猫に鰹節」に近い任せ方なのかも知れません。
 
《猫にまたたび》
 

またたびは漢字で「木天蓼」と書くマタタビ科の低木植物で、長細い実ができるそうです。
その実は、独特の辛味と苦味があり、猫がこれを好み、食べると猫は酪酊(酔っぱらってふらふらの状態)になるそうです。
「猫にまたたび」は、「泣く子に乳房」や「お女郎に小判」などを後ろに付けた諺もあります。
これらの諺は、大好物なもののたとえ表現として使われます。
また、それを与えれば効果的であるもののたとえとしても使われます。
サロンに来店されるお客様にとってのマタタビは、どのようなものなのでしょうか。
すべてのお客様が大好物のマタタビは見つからないかも知れませんが、継続して来ていただきたいお客様をイメージしながら、その皆様が好むマタタビは何かを店側が深く考えることが大切ではないかと思います。
そうすることにより、サロン側の自己満足や独りよがりではない、本当の個性化ができてくると思うのです。
視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感を最大限に活用してお店の特徴づけをしていくのです。
既に述べましたBGMは聴覚への働きかけですが、他にもスタッフの声かけのトーン(高低)や大きさ、お声のかけ方なども聴覚を使った配慮です。
アロマテラピーの他、チオグリ臭やアンモニア臭対策などが嗅覚への働きかけになります。
頭皮マッサージ技術やシャンプーの快適さ追求、温感や冷感の変化を取り入れた心地良い材料化粧品を使用したり、肩や手のマッサージ技法の充実等が触覚的な働きかけです。
他にも、抱き枕や膝掛け、シャンプーボールやイスのクッション、マッサージャーやアイスノン、温タオルなど気持ちの良い感触対策グッズを駆使されているサロンもあります。
これらは、スタッフの使用感ではなくて、お客様の快適度を優先していくのがポイントです。
味覚面ではサービスドリンクを選べるというのもポイントです。
体をいたわる観点から、ハーブティーが増えていることと、ホットとコールドと両方準備しておくことも大切かと思います。
キャンディーサービスの他、スナック菓子を数種類準備しておられる店や、スイーツをサービスする店も登場しています。
最近、店内禁煙にされているお店も増加してきましたが、喫煙者に我慢を強いている面もあるので、キャンディーやドリンク等を使っての特別な配慮もしておいた方が良いと思います。
さて、最後に視覚だけとっておいたのには理由があります。
五感の中では特に影響力が大きく、7割以上も視覚で人は判断するとも言われているからです。
だからこそ、前述したように店装が画一化することは非常に恐ろしいことなのです。
カラーセラピー(色彩療法)という療法があります。
例えば、ビタミンカラーと呼ばれるパッションオレンジが元気を与えたり、鮮やかな明るい緑は健康や生命力が出てくる色ともいわれます。
黄色の中には「明朗」や「安さ」という印象付けがあり、マツモトキヨシやデニーズ、ダイエーのディスカウント店等が、看板に黄色を使ったのも理解できます。
モノトーンの店の増加を前述しましたが、白と黒のカラーセラピーでの意味は以下の通りです。

●白→清潔・理知的・新しい・威厳・可能性・心理
●黒→豪華さ・重々しさ・沈黙・男性的・絶対的・極限

他の色も記述しますと、以下のようになります。

●青→冷静・知性・沈着・真実・静寂・自立・探求・清潔
●緑→さわやか・若さ・安全・安息・健康・豊かさ・生命力
●赤→情熱・興奮・活動的・積極・生命・喜び・燃える
●黄→明朗・安さ・躍動・若さ・スピード・華やか・軽さ・可愛らしさ
●紫→高貴・気品・成熟・大人

この様に、色には感じ方の違いがあるようですが、皆様はどの様に感じられたでしょうか。
色の使い方で、お店の空気感ばかりでなく、お客様の居心地や精神状態から、働くスタッフのやる気といった感情面にまで影響を及ぼしてくるものなのです。
例えば、紫を例に取ると、赤味に寄ったり、茶味が入ったり、青味が強かったりすると、高貴なものが陰乱ぽい印象に変わるなど非常に微妙なものだそうなので、詳しい人に相談されるのも一案です。
お店の顔でもある入口部分(ファザード)のみを、色彩を考慮しながらプチ改装しただけで、客数が25%アップもできたサロンもあるそうです。
いずれにしても、「ビューティーサロンとはこういうもの」という業界常識や固定概念を、まずはすべて突っぱずして、消費者の視点で考え直すことから始めることが、大切だと思います。
そうすることで、それがお店の独創性や個性化につながっていき、特徴なく埋没してしまうことを防ぐ為に一番有効な方法と考えますが、いかがでしょうか。

 
M−press .165  2010.10.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『帯に短し、たすきに長し』
― 強みを生かす方法を考える―

 
布切れが帯にするには短すぎ、たすきにするには長すぎることを例えに、この諺ができました。
結局、どちらの目的でも、使用不可能となってしまうことから、「中途半端で役に立たない」場合に使われるようになりました。
同じ意味の諺としては、たすきを回し(相撲で腰に付けるもの)に変えて、「帯に短し、回しに長し」というものもあります。
さらに他の諺では、「褌(ふんどし)には短し、手拭いには長し」、「次郎にも太郎にも足りぬ」というものもあるそうです。
英語では、「Belt too short,suspenders too long」(ベルトでは短すぎ、サスペンダーには長すぎる)と表現されます。
「帯に短し・・・」は、現在では人と人を比べて評価する場合に多く使われているようです。
もちろん物と物、店と店、会社と会社の場合でも使用できます。
今回は、個人としての特徴の出し方、店舗や会社としての特徴づけと差別化について考えてみたいと思います。
 
《ウシとカエル》
 
前回取り上げたイソップ物語が好評だったので、今回も続けたいと思います。
カエルの子供達が初めて牛を見て、その巨大さに驚きます。
子ガエルが帰宅し、母ガエルにその巨大さを伝えると、母ガエルは息を思いっきり吸い込み、腹をふくらませて「この位?」と子ガエルに見せます。
子ガエルが「もっと大きかったよ」と言うので、母ガエルはどんどん息を吸い込み大きく腹をふくらませますが、最後には母ガエルはパンクしてしまうという悲惨なお話です。
他のマネをすることの恐ろしさと愚かさを教訓として示している物語ですが、「身の丈に合った行動をしなさい」と教えているようにも思います。
「あの人(店)と同じような立派な人(店)になりたい」・・この様な夢は誰もが持つものです。
しかし、夢が現状とかけ離れ過ぎた場合、身の程を知っていないと身を滅ぼしかねないことをこの話は教えてくれています。
フランスの作家であるラ・フォンテーヌは1668年から1693年にかけて、イソップ寓話や神話を基にして、それらに教訓や風刺を盛り込んだ「人生の教科書」とも呼ばれる寓話集を書いています。
その中で、この「ウシとカエル」についてラ・フォンテーヌは、「このように賢くない人が世の中にはたくさんいる」と結んでいます。
高度成長期やバブル期には、羽振りがいきなり良くなる人達が大勢誕生してきました。
その後もネットバブルや個人投機等によって、成り上がりセレブと呼ばれる人も生まれました。
現在は、中国からツアーを組んで不動産やブランド品を買いに来日する中国人セレブの人達が大勢出てきているそうです。
時流に乗って一攫千金を手にする人もいるのは事実ですが、そういった羽振りの良い方々をマネしてみても、自らの足元をしっかり見ていないと、牛を見て破裂した母ガエルになりかねないと心しておくべきと思います。
 
《犬と肉》
 
次のお話は、欲張り過ぎを戒めるお話です。
肉を口に喰えた犬が、橋の上を通りかかります。
下を流れる川を見ると、自分と同じように肉を喰えた犬が、じっとこちらを見ています。
相手の肉も欲しくなった犬は、川面に写る犬をおどかそうと、吠えた途端に自分のくわえていた肉が川の中に落ちてしまうというお話です。
欲張ったばかりに、自分の肉までも失ってしまう教訓話です。
もうひとつ、「ガチョウと黄金の卵」という話もあります。
農夫の飼っているガチョウが毎日一個ずつ黄金の卵を産み、その農夫は金持ちになります。
しかし、そのうちに一日一個の卵が待ち切れなくなり、腹の中の全ての卵を一気に手に入れようとして、ガチョウの腹を開けてしまいます。
ところが、腹の中には金の卵はなく、その上ガチョウまで死なせてしまうというものです。
この話も、欲張り過ぎたが為に、結局は元も子も無くしてしまうことを伝えています。
欲張って一度に大きな効果を得ようとすると、その効果を生み出す資源すらも失ってしまうことがあります。
効果を生み出す資源をしっかり見つめて考慮に入れる事によって、長期的に大きな効果を得ることができるものだという教訓なのだと思います。
私達ビューティビジネスの世界で、金の卵を生む資源は何かと考えみると、継続して来店いただくお客様、長く働いてもらえるスタッフ、繰り返し練習して積み上げてきた技術スキルや接遇サービスなどだと思います。
いずれも一朝一夕には出来ないものばかりであり、これらを金の卵を継続して生み続けられるように、大切にしていかなければならないと思うのです。
決して、簡単に口から肉を離してしまう犬や、ガチョウの腹を切ってしまう飼い主になってはならないと考えます。
 
《ロバを売りに行く親子》
 
父と息子が、飼っていたロバを売りに行くため、二人でロバを引いて市場に向けて歩きます。
それを見た人が、「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいない!」と言ったので、父は息子をロバに乗せます。
別の人がそれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどい!」と言うので、なるほどと思った父は、息子と代わりロバにまたがります。
次に出会った人は、「自分だけ楽をして、子供を歩かせるとは悪い親だ!一緒にロバに乗ればいい。」と言ったので、二人で乗ることにしました。
今度出会った人は、「二人も乗るなんて、重くてロバがかわいそうだ!」と言ったので、こうすれば楽になるだろうと、狩りの獲物を運ぶように、一本の棒にロバの両足をくくりつけ吊り上げ、二人で担いで歩き出します。
ところが、不自然な姿勢を嫌がったロバが急に暴れだし、川に落ちて流されてしまい、結局親子は苦労しただけでロバを失なってしまったというお話です。
人の意見ばかり聞いて、それに左右されて主体性のない行動をとれば、時としてひどい目に遭うという教訓話だと思います。
さて、困った状態になると人は、ワラをもすがるように周囲に助けを求めがちになります。
経営改善をしようと思うと、経営者は多方面に助言を求めるものだと思います。
友人、取引先業者、会計士、コンサルタント会社などです。
しかし、ロバを売りに行った親子のように、さっきはこっち、今度はこっちと、右に左に経営方向がぶれ始めると、余計に悪い方向に行ってしまうことがあることも忘れてはなりません。
経営者としては、自店の強みと弱みを把握した上で、惑わされずに中長期的に改善を計る方向で考えるべきだと思います。  
 
《強みと弱み》
 
経営の問題を解決しようという場合に、どうしても欠点や弱点を見てしまいがちになります。
「課題の発見」という文脈を見ると、どうしても「=欠点の指摘」という消極的な見方をしてしまうものです。
「課題の発見」=「自分の隠れてしまっている長所を有効に活かすこと」という積極的な考えが後回しになりがちになってしまいます。
課題を発見しようと思うと、「お客様との関係性を見つめ、お客様に選ばれる理由を強化しよう」という根幹の方向にいかず、上下の意思疎通などの、いわば「内向きな課題」に目を奪われてしまいがちになります。
つまり、考えなければならない優先順位が狂ってしまうということです。
激しい競争の中で、それなりの売上げを実現しているということは、お客様に選ばれるだけの長所があるということです。
その長所を伸ばす方向で考えることも必要なのですが、逆に短所の矯正の方に目が行きがちなのが経営者でもあるのです。
埋もれてしまっている長所を活かすことが一番必要なことなのに、組織でも個人でもそこに気がついていないと思うのです。
弱点を直しながら新しく劇的な変化を導入して、大きく変わりたいと、我々の様な小さな集団はついつい考えがちです。
しかし、これで弱点が補われて、新しい武器を使いその分野で先行する競合者に仮に追いつけたとしても、長所を伸ばすことができていなければ、単に特徴のない平均化をしただけになってしまうような気がします。
日本では長い間、長所を伸ばすことよりも弱点を補うことによって、結果として平準化をして、必要最低限のことを確実に行なえるように指導する教育をしてきたように小生には見えます。
経営では平準化、平均化は自分の特徴を封じてしまう自殺行為になると感じています。
欠点を補っても、長所を殺してしまっては、お客様から見て特徴が見えなくなり、差別化できずに埋没すると思うのです。
私達の業界は、中小冷細規模の事業者が多い業界です。
特徴が消えると、自分より人数も資本力も大きな事業体と対抗する場合には、非常に不利と言わざるを得ないと思うのです。
大企業にはない立派な長所があるのに、経営者もスタッフもそれに気が付かないこと、それが我々中小冷細規模の事業者が抱える最大の課題のような気がするのです。
魅力がないからではなく、魅力を発見する力が足りないのだとしたら、実にもったいないことです。
特に他者からの助言を鵜飲みにし過ぎると、短所を補うことばかりに目がいきがちになるので注意が必要です。
カエルが牛のマネをすることは、決して得策とは思えません。
他者の持っている肉(=長所)を意識し過ぎて、自らの長所(=肉)まで無くす犬のようになってはいけないと思います。
自店の価値(=金の卵)を生みだす、ガチョウ(=経営方針)を大切にし、ロバを連れた親子の様にぶれないことが大切です。
個人の能力についても同様で、長所をいかに伸ばして個性的な魅力を最大限に引き出していくかが、お店の強みにつながっていくのではないでしょうか。
「帯に短し、たすきに長し」といった、特徴を殺してしまった中途半端な経営にしてしまうのではなく、他店との違いを明確にし、強みを活かし特徴を出す経営こそが、小規模事業者の生きる道ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

今回は、株式会社ワイキューブの取締役クリエイティブディレクター・伊藤英紀氏のメルマガ「ビジネスコラム・Y‐LETTER」を参考にしました。 
 
M−press .164  2010.9.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『夜明け前が一番暗い』
― 元気をみなぎらせるためのヒントを考える―
 
「つらいことの後には必ずいいことがあるものだ」という英語の慣用句「The darkest hour is always just before the down.」(いつも夜明け前の時間が最も暗いものだ)を日本語に直訳して諺となったものだそうです。
「down」は日没のように思えますが、「夜明け」です。
「daybreak」も日昼が壊れてしまうような表現ですが「夜明け」と訳されるのは、西洋文化と日本文化の表現方法の違いを感じさせます。
(休憩・一息のbreakだとすると、太陽のお休み時間の意味かも知れませんね?)
何をやってもうまくいかない状態に置かれた時、絶望感に打ちひしがれて、気力を失ってしまいがちなのが人間です。
しかし、自分独りではどうやっても変化させることのできない外的環境を嘆いたり、恐れたりしていても局面を打開できるものではないと思います。
「不景気だ」「円高だ」「株安だ」「猛暑だ」と、「セイだ病」(○○のせいだ)、「ムリだ病」(××だから無理)に陥れば、ますます事態は悪化するものです。
「今が底」、「明けない夜は無い」と気持ちを強く持って乗り切るべきだと思います。
 
《北風と太陽》
 
例年にない程、猛暑日が各地で連続した夏でした。
三重県桑名市で38℃を超えた日は、エジプトと並んで世界一の気温だったそうです。
三重県が赤道直下の地域やハワイより気温が上だったのです。
猛暑の連続で日本が熱帯化して、一年中夏になってしまうのかとすら錯覚しそうでした。
しか〜しです。
そんなことは決してないのです。
十一月、十二月になれば必ず冬は来るのです。
暑い日が続けば、やがては寒い日もやってきて、寒い日が続けば、やがては暑い日もやってくる、これが自然の法則なのです。
事業経営もこれと同じことだと思います。
寒い日が続いて、凍え死んでしまいそうだと思っても、やがては暑い日が来ると信じて、厚着をしたり、火に身を寄せたり、温かいお茶を体に入れながら、薄着になって大暴れできる日に備えて準備をしておくのが経営の在り方だと思うのです。
逆に経営が順調な時(暑い日)が続いていた場合に、永遠に暑い日は続かず、寒い日が必ずやってくることも心に刻んでおきたいとも思います。
今、大ヒット中の商品の販売が一巡して、売上減となった場合を想定して手を打ってあるか、競合店が出現すること、中心スタッフが病気で倒れたり、退職する場合のことなどを、想定できているかということなのです。
イソップ物語の「北風と太陽」は、北風がビュービューと勢い良く旅人に吹きつけても、旅人は用心してコートをしっかりと押さえるので、飛ばせないといった内容のお話です。
風の強い日ばかりではなく、寒い日も、人は用心するものです。
太陽がポカポカの陽射しを送ると旅人はあっさりとコートを脱ぎ、力づくよりも寛大な対応の方が、人は心を開き易いという教訓を示した物語です。
しかし、逆説的に考えれば、温かさや優しさで心の安心感を持った時にこそ、人は無防備になり易く、厳しい北風や酷寒の環境下におかれると、人は用心深くなると言い換えることもできるのではないかと感じます。
清少納言「枕草子」、鴨長明「方丈記」と合わせ日本三大随筆のひとつと評価される吉田兼好の「徒然草」の中に、「木登りの名人」という話が載っています。
木登り名人が、人を指図して高い木に登らせた時、危険そうなところでは何も言わずに、もう大丈夫と思われるところまで下りて来た時点で、「用心しろよ」と声を掛けたという話です。
経営者は、経営が順調な時こそ備えを忘れずにいたいものです。
そして、接客のプロのスタッフとしては、お客様と慣れ親しんで来た時ほど、気を緩めずに、慎重に言葉や礼儀を考える必要があると思うのです。
 
《アリとキリギリス》
 
暑い日は永遠に続かず、寒い日が必ずやってくると認識できれば、その寒い日を生き延びる為に、暑い内に、まだ見ぬ寒い日に備えて準備を怠らないぞという発想に切り替えられます。
イソップの寓話では、アリが準備を怠らず働き続け、キリギリスは歌を唄って働かず、冬の備えをしなかった為に餓死します。
イソップ寓話は、紀元前6世紀に奴隷のアイソーポスがそれ以前伝えられてきた民話をまとめ始め、それがギリシャ語の原典となり、後にラテン語、フランス語、英語と翻訳されながら、物語の数が増えていったといわれています。
日本には、戦国時代後期の1593年(文禄二年)にイエズス会宣教師によって伝えられ、江戸時代初期から「伊曾保物語」として出版され、普及していったとのことです。
「アリとキリギリス」はギリシャ語やラテン語の段階では、「アリとセミ」や「アリとセンチコガネムシ」だったそうですが、アルプス以北に伝わる過程で、ヨーロッパ北部にはセミがおらず馴染みが無かった為に、キリギリスに変わったとのことです。
日本には北ヨーロッパのものが伝わった為に、キリギリスが一般的となったようです。
セミさんの名誉の為に弁護すると、セミは地上では長くても一カ月、短ければ一週間足らずで死んでしまいますが、地中では3年から種類によっては17年も、日の目を見る日の為に黙々と頑張っているとの事です。
ビューティービジネスに従事する皆さんにとって、技術とは、コツコツと積上げて蓄積し、身につけていくものだと思います。
一日の研修に参加しただけで飛躍的に向上できるものではなく、毎日の練習の繰返しが長い月日とともに大きな差となって表れてくる種のものだと思うのです。
業界では、競技大会真っ盛りの時期ですが、ここで出る結果は、アリの様な毎日のトレーニングの成果ではないかと思います。
サロン経営者の皆さんは、店舗の経営資源をどうやってコツコツと蓄え、寒くなっても安定した運営ができるように、経営勉強を積み重ねるのが課題だと思うのです。
 
《ウサギと亀》
 
イソップの寓話とは知らず、日本の昔話と思い込んでいる人も多いのが「うさぎとカメ」です。
石原和三郎の作った童謡「もしもし亀よ亀さんよ・・・」を子供のころから聞かされているからかも知れません。
亀に負けたウサギは恥をさらしたとのことで兎仲間から追われますが、ウサギ集団を狙う狼を知恵を絞って撃退し、名誉回復してウサギ社会のヒーロー(ヒロイン?)になったという続編の載っているイソップの原典もあるそうです。
いずれにしても、この話の中で、亀の一番偉いところは、目標を持って信じたことを継続し続けて、差を付けられても決して諦めなかったことだと思います。
セブンイレブンジャパンの創始者で、現セブン&アイ・ホールディングCEOの鈴木敏文氏は、「人には革新的な面と保守的な面とがあり、自分の問題になると保守的になりがちだ」と主張しています。
「売れる店はますます売れるようになるのに、売れない店はますます売れなくなるのは、売り手の保守的な心理が原因」と説明します。
商品が棚に10個以上並んでいる場合と2〜3個しか置かれていない場合では、10個以上並んでいる方が単品としての表現力があり、お客様にとっては「選ぶ理由」となって買ってみようという心理が働くそうです。
逆に2〜3個しか置いていないと、その商品を認知してもらうことが出来ずに、「売れ残り」とお客様が感じ、「選ばない理由」にまでなってしまう場合があると鈴木氏は言います。
実際に、大量陳列をした方が販売量も増え、売れ残りの廃棄ロスも減るという明らかな結果も出ているそうです。
廃棄ロスを恐れて消極的な仕入れを行い、少数ディスプレイをした場合のほうが、結局は売れないまま損失になる確率が高くなるのだそうです。
その商品があれば売れたのに、無かったことで生じる損失を「機会ロス」と呼ぶそうですが、多めに仕入れて陳列した方が機会ロスが減り、少なめの発注量で廃棄ロスのリスクを回避しようとの心理が働くと、かえって機会ロスと廃棄ロス両方の損失を招いてしまうそうです。
不景気になると、店側がこうした消極的心理に陥りがちになり、どんどん商いが縮小してしまうと鈴木氏は指摘しています。
廃棄ロスは目に付き易く、どのくらい損をしたか数字にもすぐ表れるが、機会ロスは目に見えず、数字にはすぐ出てきません。
人間は、目に見えない、得られるはずの大きな利益よりも、目に見える損失のほうを、大きく感じてしまいがちなのです。
そして、保守的な心理に経営者が陥ってしまうと、「その商品があれば売れたはず」(=機会ロス)という発想そのものが出来なくなってしまいます。
そして、「うちの店ではこういう品は売れない」と間違った思い込みをしてしまいます。
物事を判断する時、多くの場合に直感的に答えを導き出しますが、この様な直感は、過去の経験に影響されることが多い為、お客様の現在の本当の姿を見失った判断をしてしまいがちです。
保守的な心理に経営者が陥ると、目に見えない明日の顧客ではなく、目に見える今の来店客のみに目が向いてしまいます。
そして、今売れている商品に目が向き過ぎて新しい商品の品揃えに消極的になってしまいます。
すると、お客様は「この店は新しい商品も少なくて品揃えも悪い」と判断し、離れていきます。
販売者側も、「この商品は廃棄ロスになったから、うちの店ではニーズが無い」と思って更に消極的になりがちになります。
深い心理の問題の為、店側が気付き難く、自分の判断が本当の顧客ニーズとズレているのに、自分は間違っていないと思い込んでしまう結果となります。
亀は過去ウサギに一回も勝っていなくても、今度は勝てると積極的に勝負を挑み、消極的に諦めることをしなかったからこそ勝てたのだと思うのです。
さらにもっと大切なことは、ウサギは相手の亀を見て競争してしまったが、亀は相手のウサギを見るのではなく、ただただ目標であるゴールを目指していたという事実なのかも知れません。
 
《叶うと吐く》
 
亀の様に黙々と独りで目標に向かって歩み続けられれば素晴らしいのですが、人はなかなかそれができないものです。
やはり、アリさん達のようにお互いに言葉をかけて励まし合っていかなければ、目標達成は難しいものだと思います。
夢が叶うの「叶う」(かなう)は口に十と書きます。
最低10回目標を口にして人に聞いてもらい、それを最低10人に語ると良いと思います。
そうすると10回×10人で、最低でも100回は他の人に対して発することになります。
10回も口にすると、自分でも引っ込みがつかなくなり、必ず実現しないと恥ずかしいと思うようになり、100回も口にすると、できるに違いないと思えてくるので不思議なものです。
そこまで人に目標を発していると、応援しなきゃと思ってくれる人達が周囲に次々と現れて、ますます達成しやすい環境が整っていくものです。
プラスの連鎖が生まれたのです。
「叶う」は口にプラスとも読むことができます。
積極的、ポジティブ、プラスの言葉を目標にして、口から発していると「叶う」確率が上がってくると思うのです。
逆に、消極的、ネガティブ、マイナスの言葉を吐き続けると、夢が叶う確率を減らしてしまうのではないでしょうか。
「弱音を吐く」、「暴言を吐く」などと使いますが、「吐く」は良い言葉を発する時には使わない単語です。
「吐く」は口に+(プラス)と−(マイナス)と書きます。
マイナス言葉をやめて、−(マイナス)を文字から取り除くと、「叶う」という文字に変化します。
「武士の弱気は馬に伝わる」と言われるように、マイナス感情は周囲に伝わり連鎖しがちです。
先輩の発するマイナス感情は、後輩に伝わり、経営者が発すれば社員に伝わるものなのです。
店内で発せられた消極的感情は、お客様にも楽しくない感情として伝わってしまうものです。
逆に、明るい希望が充満した店内は、お客様にまた来たいと思わせるプラスの雰囲気をつくり出すに違いありません。
逆境に置かれた時も、「必ず夜は明ける」「必ず夏は来る」と積極的に気持ちを切替える事が、全ての解決策につながる第一歩と考えますが、いかがでしょうか。

今回は、モチベーション・アップ鰍フ代表取締役社長・桑島克憲氏のメルマガ、フリージャーナリスト・勝見明氏著「鈴木敏文の話し下手でも成功できる」(プレジデント社刊)、潟Wェイック・轡恵里氏のFAXレポート「くつわ通信」を参考にしました。

 
M−press .163  2010.8.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『手前味噌』
― 素晴らしい接客への原動力を考える ―
 
自分の作った味噌を、「これはうまい!」と自分で褒めることから生まれた諺です。
自分のやったことを、得意気に自慢する場合に使われます。
「自画自賛」という諺も同じ意味で使われます。
「賛」は絵画に書き入れる褒めたたえる文章のことで、自分の描いた絵に自分で賛を掻くという意味から出たものです。
英語でも、「Every cook commends his own sauce.」(=どの料理人も自分の作ったソースを自慢する)、「to applaud oneself.」(=自分自身に拍手を送る)、「blow one,s own trumpet.(=自らのラッパを吹く)など、同種の諺が沢山あるようです。
和洋問わず、古今問わず、人の自慢話を聞く事は、聞く側にとっては苦痛な一面がある様です。
今回は、自分の作った「味噌」を沢山の人々から、「おいしい」と喜んでいただくことで、もっと素晴らしい「味噌」が出来るというお話をしたいと思います。
「味噌」の文字を「ヘアスタイル」や、「接客技術」に変えて読んでいただいても結構です。
その場合は「おいしい」が「嬉しい」に変わります。
「手前味噌」でも「自画自賛」でも、自分が得意気に自慢することは良くない事との諺ですが、他人様にひけらかし過ぎなければ、自分の自信と成長につながる良い面もあると思います。
大いに自分で自分を褒め上げて、自信を持ち、もっと人に喜んでもらいましょうというのが今回のご提案です。
 
《甲子園》
 
前回のW杯ネタに続き、今回もスポーツネタになることをお許し下さい。
この原稿を書いている今は大会期間中ですが、皆様のお手元に届く頃には高校野球の優勝チームが決まっていることでしょう。
小生も夏休み期間中に甲子園に足を運びましたが、酷暑の中で元気にプレーする球児や、応援の若者達、ビールタンクを背負って動き回るビアガール達からも元気と勇気を貰いました。
さて、同じチームを何試合か見ていると気付くことがあります。
それは、一戦ごとに力を付けているなと感じる選手が、勝ち進むチームには必ず居ること。
そして、チームの総合力が一戦ごとにアップしていると明らかに感じるチームがある事です。
正確には、個人として甲子園で実績を蓄積することで、自信に満ちたプレーをするようになり、それを周囲が頼もしく感じて、向上したなと判断しているのかも知れません。
ラッキーボーイと呼ばれる選手も出てきてますが、良い所で良いプレーをすることで、運を持ち、その運をまた活かすことによって、自信を持ち、その運をチームメイトや監督が活かそうとすることにより、周囲の協力もあってラッキーボーイが誕生するのではないかとも思います。
一人でするスポーツではラッキーボーイは存在しないものです。
集団でするからこそラッキーボーイが出て来るのです。
チームワークが良くなったチームは、チームメンバーが他の人を活かすように、全体の中の自分を意識しており、人を活かすことが自分の役割と認識できた場面になると、自分が犠牲となってまでも人を活かす様に動き出すものです。
他の人がミスして困った局面になっても、誰かが穴埋めしたりフォローしたりして、リカバーできるものなのです。
チームワーク溢れるチームとは、これができるようになったチームだと思うのです。
 
《P・F・ドラッカー》
 
当コラムで何度も登場した経営学の父と呼ばれる人です。
最近、岩崎夏海(なつみ)氏の著書で、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(ダイヤモンド社刊)という本がヒットしました。
岩崎氏は、以前は放送作家として、「とんねるずのみなさんのおかげです」「ダウンタウンのごっつええ感じ」などの番組制作を手掛け、最近ではアイドルグループ「AKB48」のプロデュースにも携わっているそうです。
彼は、数人のグループも企業も組織だが、うまく機能しないことが多いので、それを円滑に運営するにはどうしたらいいのかという疑問から、ドラッカーを学び始めたとのこと。
集団の中で、みんな勝手なことを言っていたり、動かなかったりして、それぞれが何をしたらいいのか分からないで、結局波風立てない仲良し主義に縛られ、目的も見えなくなってしまいがちになっていると考えました。
仲良し万能主義では、本当の幸せはやってこないのではないかと迷い、その答えが、ドラッカーの著書「マネジメント」の中にあったと彼は語っています。
「人間は自分の力を活かすことが幸せであり、その延長で社会に役立つことがやはり幸せで、そういった願いを叶えられる組織の一員になりたいのだと思う」と岩崎氏は語ります。
その場の居心地の良さを重視して、馴れ合いで気を使い合っている組織になると、その集団のそもそもの目的まで見えなくなってしまいかねません。
高校球児達は、勝つという目的に全員が集中し、高校時代を野球に賭けてきた集大成を、甲子園で出し切るという覚悟があるので、組織として機能しているのではないでしょうか。
皆さんのサロンでは、この様な共通目的を持つスタッフ集団ができていますでしょうか。
 
《味噌も糞も》
 
汚い表現の諺でごめんなさい。
「味噌も糞も一緒」、略して「糞味噌」という表現があります。
良いものも悪いものも、性質の違うものも、歴然とした違いがあるにもかかわらず、見た目が似ているからといって、価値の区別をしないで、同一に扱う事を指した諺です。
人にはそれぞれの強み、弱みなどの特徴があります。
その人のもつ固有の持ち味を最大限に引き出し、発揮させて活かしてあげたいものです。
そうすることによって、活かしてもらった人は幸福感を感じ、その組織も活性化するのではないでしょうか。
才能や性能を表現するパフォーマンスの語源は、「per」(=完全に)と、「founir」(=やり遂げる、完成する、備える)というラテン語の組み合わせだそうです。
人にはそれぞれの固有の持ち味が既に完成型として備わっており、それを個性と呼ぶのです。
それを引き出したり、高めたりできる組織が素晴らしい組織なのだと思います。
組織内の全ての人を没個性的に、「味噌も糞も」一様に論じるのではなく、パフォーマンスを最大限に引き出して活性化したいものだと考えます。
スティーブン・R・コヴィーという博士が活躍しています。
米国生まれで、元々は作家でもあり、経営コンサルタントでもありましたが、博士号を取って経営管理と組織行動学の教授を務める傍ら、フランクリン・コヴィー社の共同創設者として事業でも成功しています。
コヴィー氏の著作「7つの習慣・成功には原則があった」は、全世界で1,500万部以上(36ヶ国語に翻訳)の売り上げで、「20世紀にもっとも影響を与えたビジネス書」のひとつとも言われています。
「七つの習慣」は次の機会に取り上げることにしますが、博士の話では、労働の価値そのものが変化してきたと唱えています。
それは、以前は、「工業産業の時代」だったのが、現在は「知識労働者の時代」に変化してきたとの話です。
工業産業時代は、ものを作ることによって価値を産み出していたそうです。
均一の品質のモノを早く、大量につくることに主眼がおかれて、その為に単純化・標準化・分業化することが重要視されました。
オートメーションの考え方がこれで、T型フォードがその原点だったといいます。
労働者は、「決められたことを」「決められたとおりに」「決められた時間で」行なう事を求められました。
人は管理される対象物で、経営とは「人を管理し動機付けることに対し、管理者が責任を負うこと」を意味していたそうです。
その為、組織は、人を画一化しようとして、「思考形式の管理」を強化していったそうです。
つまり、どこから切っても同じ顔が出る「金太郎飴」の様な人達をつくったり、「味噌も糞も一緒」の様にする為の管理方法が取られていたとのことなのです。
この考え方は、日本でも高度成長期ばかりでなく、バブル期頃まで続いていたともいわれます。
 
《セルフマネジメント》
 
現在の知識労働者時代は、人の好ましい感情(感動・喜び・誇りなど)を生みだすことで、価値を生みだしているといわれます。
現代は、多様化した社会なので、人の求めること、感じ方、捉え方が人それぞれ異なります。
ですから、マニュアルだけでは対応できず、人対人のそれぞれの組合せによっての個別対応が必要となっています。
したがって、現場で一人ひとりが、感じて、考えて、自主的に動くことが求められています。
こういった時代の経営方法は、「セルフマネジメント」(=自らを律し、自ら考えて行動することができる人づくり)が重要だといわれています。
組織は、一人ひとりが自ら考えて行動できる為に、「思考形式の開放」が必要な時代とされます。
特に、サロンビジネスの様なサービス産業では、この様なセルフマネジメントができる人を育てていく事が大切だと思います。
P・F・ドラッカーは、2005年に亡くなる前に、「現在ほど、選択の自由を人々がもった事はない、しかし人々は自分自身をマネジメントできないでいる」との言葉を残しています。
甲子園での優れた高校野球チームは、監督からの指示だけで動いているのではなく、グラウンド上で自ら判断し考えて行動を起こせる、セルフマネジメント能力の高い選手を多く持つチームなのかもしれません。
 
《味噌を付ける》
 
しくじって面目を失うことや、失敗をして恥をかくことに使われる諺が「味噌を付ける」です。
お客様が好ましい感情を持つ様にする事が労働価値だとすると、人それぞれに思いが違うだけに、お客様の感情を害する失敗も出てくる可能性があります。
ここで、チーム全体で対処して好ましい方向に持っていったり、代りの誰かが対応フォローして、新しい感動をお客様に感じてもらうことが必要です。
犠牲バントを失敗しても、盗塁してカバーしたり、エラーしてもバックアップしてそれ以上の失点を防ぎ、次のチャンスにつなげることができるのが、良いチームです。
味噌をつけたままにせず、自ら拭けないのであれば、誰かが拭き取ってあげれば良いのです。
味噌を付けたままにしておくと、味噌はいつの間にか、乾いて腐り「やけくそ」となります。
「焼け糞」と書くのではなく、「自棄糞」と書くのだそうです。
自分を棄ててしまう事です。
さて、人間の脳には限界があり、不必要なものは忘れていくように構造的にできているそうです。
セルフマネジメント能力を持ち、自分で判断して考え、行動できる人は自分の脳を「工場」として使い、入れた情報を活用しているという見方もできます。
それに対し、自分の脳を「倉庫」としてしか活用できずに、新しい情報や知識を仕入れることに執着し過ぎている人もいます。
その場合は、脳はデータの出し入れと保管のみの働きとなってしまいます。
物忘れの機能を持つ脳に、情報の組入れや保管は大変な労力を必要とするので、それよりもっと大切な考える力を奪ってしまうのではないかとの説もあります。
脳の持つ能力を最大限に発揮させるには、時には忘れたり、捨てたりすることも大切なことであるとの見方もあります。
脳の「工場」としての役割を引き出す為には、成果を生み出す目的で必要な素材と情報のみをきちんと厳選して入手し、それらの「加工」に能力の大部分を使う必要があるとも言えます。
大胆に言い切ってしまうと、マニュアルや習慣付けで画一的に覚え込ませる社員教育だけでは、一人ひとりが自分で最良の対応を選択していく必要がある現代では、通用しなくなっているのかも知れません。
つまり、脳を「倉庫」から「工場」へ、時代に合わせて転換させる必要があります。
現在、好業績を継続する企業は、ほぼ例外なく、画一的にならない「ゆるいマネジメント」をしているとのことです。
それは、社員一人ひとりの自主性・主体性を尊重し、それを引出すように経営陣が動き、個人の能力をチームの力の結集へと展開していきます。
そのチームの力が、圧倒的な顧客満足を生み出し、それが好業績へと繋がっているようです。
これが、コヴィー博士のいう「知識労働者時代のマネジメント」の実践なのだと思います。
サービス業であるサロン経営は、現場対応能力が総てといっても過言では無いと思います。
スタッフが「手前味噌」な自慢をしたとしても、それを一旦は受け入れ、高校球児の様に自信を付けさせ、個性を伸ばし発揮させる様に導き、現場対応能力を磨いていく方向が、今後のサービス業に必要なことだと思いますが、いかがでしょうか。

今回は、朝日新聞コラム「あの人とこんな話」より、岩崎夏海氏のコメント、潟Wェイック教育事業部長・知見寺直樹氏のメルマガ、潟純Cキューブ・プランニング部マーケティング課マネージャー・下出裕典氏のメルマガより一部抜粋し、加筆しました。
 
M−press .162  2010.7.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『起死回生』
― 飛躍のための決断について考える ―
 
「起死」は死人を起き上がらせることを指し、「回生」は死んだも同様のものを蘇らせることの意味です。
死に瀕したもの、滅びかかっているものを再び生き返らせること、元に戻すことを指して「起死回生」という諺ができました。
これが進んで、「もう見込みがない、救いようがないと思われるような状態から、息を吹き返らせること」の意味でも使われるようになってきました。
南アフリカワールドカップもスペインの優勝で幕を閉じました。
開幕直前まで結果が出せず、コンディションやまとまりが疑問視されていた日本代表も、大胆な意識改革と戦術変更により、見事に予選突破し、世界の下馬評を覆す大活躍を見せました。
日本代表にとっては、正に起死回生の大会になったと思います。
小生は、古くからのサッカーファンなので、サッカー漬けの至極の時間を過ごしながら、万感の思いで涙して見ておりました。
サッカーに興味の無い方もいらっしゃると思いますが、厳しい状況から発想転換と変革で立ち直っていった過程は、ビューティビジネスの現状からみて、サロン経営に参考になると考えて、取り上げてみたいと思います。
小生の好きな分野の話題だけに、趣味の世界に入り込み過ぎてしまう恐れもありますが、四年に一度なのでお許しいただき、参考にして頂けると幸いです。
 
《情報鎖国》
 
1964年の東京五輪開催を控え、サッカー人口が少なかった日本は、西独からデットマール・クラマーをコーチとして招へいし、近代サッカーを学び、その東京五輪ではアルゼンチンを破ってベスト8まで進みます。
1968年のメキシコ五輪を目前に、クラマーは退任しますが、彼が育て上げた釜本邦茂、杉山隆一等を中心としたチームは、銅メダル獲得という快挙を成し遂げます。
予選リーグで、ブラジル・スペイン両チームと引分け、ナイジェリアに勝ち、準々決勝ではフランスに勝利、三位決定戦でも地元のメキシコを下すなど、強豪国を次々と撃破しての堂々たる結果でした。
釜本は得点王に輝き、ヨーロッパや南米の有力クラブから次々と入団オファーが入りました。
当時のオリンピックサッカーは、アマチュアしか出場資格がなく、プロリーグへ有力選手を送り出している強豪各国にとっては、五輪は各国代表選手を出場させられないマイナーで質の落ちる大会とみなされていました。
しかし、サッカー後進国の日本が、サッカー先進国を次々と撃破した事は世界を驚かせました。
クラマーは日本を去りましたが、彼が提唱したサッカー選手強化策は、その後の日本サッカー協会に、岡野俊一郎、長沼健、川淵三郎など、クラマーの直接指導を受けた各氏によって受け継がれて実践されていきました。
常設リーグをつくること(日本リーグ→Jリーグに発展)、子供達を各地で代表育成して選抜していく日本独自のトレセン制度などがクラマーの強化策でした。
三菱重工、日立製作所(現日立)、古河電工、東洋工業(現マツダ)、トヨタ自動車(現トヨタ)、日産自動車、ヤンマー等のサッカー育成に熱心な企業がチームをつくり、日本リーグを東京五輪の翌年に発足させました。
その後メキシコの銅メダルで人気は上がりますが、釜本が引退する1970年代後半になると、代表チームの低迷もあり、日本サッカー不毛の時代を迎えます。
小生の少〜青年期はその時代で、サッカー競技人口は少なく、校庭を占領して人数も大勢使う邪魔なスポーツとして、サッカーゴールも体育倉庫脇の隙間に錆びついたまま放置され、鉄棒代わりに使われる始末でした。
サッカー好きの子供達も、野球やバスケ、陸上などをやらざるを得ない環境になっていました。
しかし、前述のサッカー応援企業達が1993年のJリーグ発足以降も、各々レッズ、レイソル、ジェフ、サンフッレチェ、グランパス、マリノス、セレッソなど球団スポンサーとして強い信念を持って日本サッカー界を支え続けてきたと思います。
取り分け、レッズを支えている三菱は、日本サッカーの低迷期に、一社スポンサーで二十年間に渡り「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組を放送し続け、海外のサッカーを紹介しました。
当時唯一のサッカー専門番組で、東京12チャンネル(現テレビ東京)のローカル番組でしたが、海外のサッカーの素晴らしさを録画ながらも見せてくれました。
岡野俊一郎氏(メキシコ五輪日本代表コーチ・国際オリンピック委員会委員)の理解しやすい解説と、金子勝彦アナウンサーのサッカーを愛する実況との組み合わせが絶妙でした。
小生もこの番組を見て、W杯というすごい大会があることを初めて知りました。
最初は生中継ではなく、W杯決勝戦や三位決定戦、準決勝ぐらいまでを、一〜二ヶ月後にやっと見られるというものでした。
1974年の西独W杯で、決勝のオランダ対西独戦を初めて生中継したのもこの番組でした。
クライフとベッケンバウアーの対決という歴史的放映でした。それまでは、日本ではW杯は放映されず、五輪以上に世界中の人が見て、参加するスポーツイベントがあること自体を知る人も少なかった時代だったのです。
今回の南アフリカ大会のように、ほとんどの試合をリアルタイムに日本で見られることは、サッカーファンとしては本当に幸せなことです。
 
《育成とは》
 
クラマーの志を受け継いだ、日本サッカー協会関係者や応援企業の粘り強いサッカーに対する愛情があって、今のサッカーがあると小生は感じるのです。
1993年のJリーグ発足を経て、サッカー人気が一気に盛り上がります。
同年の@「ドーハの悲劇」で、アジア最終予選最終試合のロスタイムに失点したことで、W杯米国大会への初出場を逃します。
1996年アトランタ五輪でブラジルを破るA「マイアミの奇跡」を中田英寿達が起こします。
翌年には、マレーシアでイラン相手に延長の末に、B「ジョホールバルの歓喜」でフランスW杯への初出場を決めます。
さらに、C小野、稲本、遠藤等を中心に1999年のナイジェリアユースW杯で、イングランド、ポルトガル、ウルグアイなどを撃破しての準優勝。
そして、D日韓W杯での初勝利と決勝トーナメント進出、EドイツW杯での完敗とその後の立て直しを経て、南アでの汚名返上へと続いてきたのです。
@〜Eの経験の上に、今回の大会結果があると思うのです。
その間、オランダ人・オフト、ブラジル人・ファルカン、日本人の加茂・岡田、フランス人・トルシエ、ブラジル人・ジーコ、ユーゴのオシム、そして岡田武史氏の復帰と、西独のクラマーも含めサッカー大国の考え方を監督を通じて取り入れて、集大成させ進化してきたことが今回の結果に結び付いたと思います。
その間クラマーが提唱した育成システムを、皆で支え続け、そのトレセン制度から、中田英寿、小野伸二、中村俊輔、遠藤保仁、本多圭佑等の沢山のファンタジスタの素材達をトレセンによって見出して、磨いてきたのです。
我々が見習わなければならない大切な点は、目標に向かう為に定めた理念を決して変えないで、信じて貫き通す勇気を持ち続けたことだと思います。
クラマー氏が日本サッカーの父と現在も呼ばれるのは、後進者がそれを守り続けてきたからだとも思います。
サロン創業者の思いもそのぐらい大切にすべきだと感じます。
 
《大英断》
 
信じたものを変えない勇気の対極として、今までの考えを全部捨て去り、ゼロから生まれ変わる勇気が必要な場合もあります。
今回のW杯開幕前後にTV放映された、中田英寿氏と本田圭佑選手の対談をご覧になった方も多いのではないでしょうか。
その中で、本田選手の「今までの自分のサッカーを全部否定しなければいけなかった。」との発言が非常に印象的でした。
Jリーグから、海外へ活躍の場を求めた彼はオランダのチームへ移籍するのですが、いきなりそのチームが2部リーグに陥落してしまったそうです。
勢い込んで行ったオランダでいきなり下部リーグの試合です。
しかも、海外での実績が無い彼は、注目もされず、低レベルの国から来た選手と差別もされ、行き詰ってしまったそうです。
学生時代とJリーグでは、ゲームを組み立て、他の選手を活かす華麗なパスを出す選手として有名だった彼は、考えを変えて、自己革新に取り組みます。
2部リーグでいくら良いアシストをしても目立たないし、アピールできず、試合に出してもらうことすらもできない。
アピールする為には点を取るしかないと考えた彼は、今まで自分がこだわっていたサッカーに対する考え方を全部否定しなければならなかったと、中田氏との対談の中で語っていました。
自分全てを否定するとはいっても、自信まで無くすのではなく、「思い」を変えたのでしょうが、大変な勇気が必要なことです。
自分を変えなければ成功しないし夢を叶えられない状況だから、今まで一番大切にしてきたサッカー哲学や、自己のコダワリも捨てて、自己変革によって輝けたとも思います。
オランダでチームを2部で優勝させ、得点王になった彼は、監督、チームメイトから信頼されてキャプテンとなり、ファンからも愛されましたが、更に高度なサッカーを目指して、ロシアリーグに移籍し、今大会南アフリカで、世界の注目を浴びたのは御承知の通りです。
 
《起死回生》
 
もう一人、死の淵から這い上がった様な男がいます。
岡田武史監督です。
日本代表のコーチだった1997年に、仏国W杯のアジア予選で、予選突破が絶望的となった為に突然解任された加茂監督に代わって、遠征中の中央アジアで監督を引き受けざるを得なかった事から全てが始まります。
ジョホールバルの歓喜でW杯初出場を果たすものの、本大会では三連敗でグループリーグ敗退。
監督在任中は国立競技場で生卵を投げつけられたり、カズや北澤を本大会メンバーからはずしたことによる嫌がらせ電話、自宅へゴミや石を投げこまれて、二度と代表監督はやらないと家族と約束していたそうです。
しかし、オシム前監督が病に倒れ続行不能となった際に、やり残したことがあると仏国大会のリベンジに燃えて復帰しました。
フランスでの完敗後、コンサドーレ札幌や横浜Fマリノスの監督として自分の考える理想のサッカーを模索してきた彼は、代表でもその道を貫いてきました。
日本人の俊敏性を活かして、相手よりも早く動き回って得点を狙う華麗なサッカーです。
「遠藤のチーム」、「俊輔のチーム」と自ら公然と言ってはばからない程、ファンタジスタ達の中盤からパスによりボールを早く動かす攻撃的サッカーです。
ところが、本大会を間近にした、最終的な仕上げ段階のテストマッチの四連敗で、自ら辞任の話までするほど追い込まれました。
岡田氏も、本田選手同様に過去を捨てる勇気を持ち、大会直前に大英断をしたのだと思います。
俊輔選手の体調の悪さもあったのでしょうが、中心に据えて来た彼を外して、本田、松井、大久保、阿部といった選手達を起用して、サッカーの考え方自体までも変えて臨んだ成果が今大会の予選突破だったのでしょう。
私達は何らかの原因で自分の理想通りに進まなくなり、大きな決断を迫られる場合があります。
自分の思い描く理想をそのまま実現したいと、誰もが多かれ少なかれ持っているものです。
それは決して悪いことではなくて、夢や希望を持って生きていく方が良いことでしょう。
しかし、今までの自分の思いやスタイルを変えると、何となく屈辱的な気持ちを覚えたり、激しい葛藤が心の中で生まれる場合もあり、心の変革にブレーキをかけがちです。
経営者ともなれば、どこが間違っていたのかと自分のやり方を否定する嫌な感覚を持つので、拒絶反応も出ると思います。
自分の生き様や成功体験というプライドを誰もが大切にしているからです。
こんなプライドを手放すことは非常に勇気がいることだと思いますが、20代前半の本田選手(新入社員世代)も50代前半の岡田氏(経営者世代)も追い込まれた局面でそれをやってのけたんだと思います。
経営環境が厳しい局面で、貫き通す決断をするのか、思い切って全部白紙にして考え直す英断をするのかが、経営者の一番大切な仕事と思いますが、皆様はいかがお考えでしょうか。

今回は、神戸メンタルサービス合資会社の所属カウンセラー・浅野寿和氏のブログ「心の砦」を一部引用、加筆しました。
 
M−press .161  2010.6.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
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『ゆっくり急げ』
― 人によるサービスの本質について考える ―
 
今回のタイトルの諺は、日常使われる回数が少ないものかも知れません。
初めて目にする方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「急を要する時こそ、心して慎重に行動すべきだ」という意味で使われます。
英語では「Make haste slowly.」と表現され、それがそのまま日本語の諺になった様です。
元々はラテン語の「Festina lente.」が語源で、非常に古い諺なので、ラテン語から派生したエリア(スペイン語、ポルトガル語、イタリア語圏等)を始め、英語圏にも幅広く伝わってきたとの事です。
ですから、日本人は使うことは少なくても、英語圏とラテン語圏の人口は世界の大きな勢力ですので、世界中で多くの人々が使っている諺なのです。
現在開催中の南アフリカW杯でも、世界各国のコーチ、監督から、この言葉が飛び交っているのではないかと想像できます。
さて今回は、行動心理学的見地から美容サービスを考えてみたいと思います。
 
《急いては事を仕損じる》
 
日本では、この諺の方が良く使われます。
「ゆっくり急げ」と似てはいますが意味は少し違うようです。
「焦って事を急ぐと、とかく失敗しがちなものだから、急ぐときほどじっくり落ち着いて対処せよ」という意味で使われています。
英語では、「Haste makes waste.」(急ぐと無駄ができる)と表現されます。
急いで事を仕損じてはならないので、「急がば回れ」や「近道は遠道」という諺も使われます。
近道は悪路だったり、危険だったりして、かえって時間がかかることもありますが、物事も同じで、手っ取り早く仕上げようとして手を抜くと、後でかえって手数がかかるものです。
急を要することに対処する場合は、一見時間がかかるように見えても、安全で確実なやり方を取る方が、結局は早く目的に到達できる賢明な方法だというのがその意味です。
さらに、「急ぎの文(ふみ)は静かに書け」という諺もあります。
急ぎの手紙ほど大事な要件の場合が多く、早く書こうと焦ると、とかく書き誤りや書き落としをしがちなものです。
だから、急ぐときほど落ち着いて、丁寧にゆっくりと書けということをいったものです。
皆様も、急ぎの書類や手紙、電子メール、携帯メールなどを、焦って発信した後に、誤字脱字等に気が付いて青くなった経験があるのではないでしょうか。
特にお客様への来店お礼の葉書、メールなどに間違いがあると、逆に印象が悪くなってしまう場合もあるので注意が必要です。
一番やってはいけないのは、お客様の名前の字を間違えてしまうことです。
お客様側に立って考えると、自分を大切にしてくれていない、軽く思われていると感じてしまい、お店に対しての印象を非常に悪くする場合もあるのではないかと思います。
これらの諺は、単に安全に遠回りしろといっているのではなく、慎重に準備をするべきで、軽率な考えで安易な方向に進むなと、戒めているものだと噛かみしめておきたいものだと思います。
 
《心を亡(な)くす》
 
「忙しい」は人に聞く場合で使うのは良いが、自ら自分が「忙しい」と発してはいけない言葉とのことです。
「お忙しいですか?」と人に聞かれて、「忙しいです」と答えるのはNGで、自分自らが忙しがってはならないと、日本でも海外でも先人達が教えています。
忙しいとは「心を亡くす」という文字で表現されます。
相手を気遣う余裕や、おもてなしの心まで失ってしまうのが「忙しい」状態です。
正にサービス業や接客ビジネスでは、あってはならない状態とも言えます。
表現が固くなり、笑顔は消え失せ、血相を変えて、気配りの余裕もなく動き回るようでは、お客様に上質のサービスをして差上げることは困難になります。
「忙しく動き廻っている」とお客様から見られるのではなく、「キビキビテキパキと軽快に」映るような働き方をしなければなりません。
動くと働くとの差は、「人の為に」という意味で人べんがついている違いだと語る人がいます。
「働く」は「ハタ(周囲)」を「楽」にすることだと語る人もいます。
「楽にする」「楽します」対象の相手から、その為に働いている人が心を亡くすまで忙しく、必死の形相で余裕なく動いてくれていると見られてしまったとしたら、その恩恵を受ける側は本当に喜べるでしょうか。
「私の為にここまで頑張ってくれるの!」との嬉しい気持ちをお客様はお持ちになるでしょうが、深い心理の奥底には何か得体の知れない心地悪さを持ってしまう場合もあるようです。
それは、余裕の無い程忙しいように見える人に、自分の為に動かせてしまっていることに対する申し訳無さや後ろめたさが原因なのかも知れません。
お客様がお金を支払うのだから、動いてもらうのは当然とも思えますが、人間の心理はそんなに単純なものではなく、自分が自覚していない感情が潜んでいるものだそうです。
人が自らはっきり自覚しているものが顕在意識ですが、これは4%程度しかないと言われます。
普段は意識できていないもので、努力すれば意識できるものを潜在意識と呼ぶそうです。
何かの拍子やアクシデント等で意識に浮かび上がってくる心の領域が潜在意識です。
さらにもっと深い心の奥底には無意識という領域も眠っているそうです。
無意識は意識しようとしても意識しにくい領域で、記憶や感情などが深く押し込まれているので、意識しようとしても思いだせないそうです。
人の感情の大部分を支配しているのは、この潜在意識と無意識だそうです。
何か得体の知れない心地悪さを自ら感じている場合は、この潜在意識の領域の感情や記憶を刺激している場合が多いそうです。
行動心理学的には、この無意識領域を原因とした不快さも、次回の行動を制限する可能性があるとの話なので注意が必要です。
つまり、サービス提供者側が、忙しそうに余裕無く仕事をするのはタブーで、テキパキと楽しそうに働き、サービスを提供していくことが、お客様の喜びと、次回以降の来店につながるということをサロンスタッフ全員が確認することが大切と思います。
 
《人の為は偽り?》
 
「人の為(ため)」を一文字にすると、なぜか「偽」になります。
「ニセ」「いつわり(偽り)」となってしまいます。
小生が物心ついて約半世紀の間に、いつの間にか「世の為、人の為」と声高に叫ぶ人程、信用が置けない人だと思い込んでしまう様になりました。
例えば、政治家の国民の為にという耳触りの良い台詞が、何十年も裏切り続けられた結果として、「ひょっとして心にも思っていない口先だけの美辞麗句?」と小生の潜在意識に焼き付けられてきたのかも知れません。
社是にお客様第一主義を掲げて吹聴しておきながら、その会社の社長や社員の、「自社さえよければ」「自分さえよければ」といった自己本位、自分勝手な、社是と裏腹な姿勢を何度も見てしまってきたからなのでしょうか。
小生の片寄った見方かも知れませんが、本当に世の為人の為に動く人は、声高に吹聴はせずに、静かに心の奥に刻んで、その姿勢を貫いていることを日々の行動によって、人々に示している場合が多いように思えます。
逆に、当方が聞いてもいないのに、世の為人の為と執拗に繰り返し吹聴する人は、「看板に偽り有り」の場合が多く、現代の若者風な表現をするなら「ウソくせ〜」と感じてしまいます。
極端にいえば「人の為」は、「ニセ(偽)物」のように見えてしまう場合もあるのではないでしょうか。
人の為の前に、まず主語として私があり、自分が主体的に仕事を進めながら、人のお役に立てる喜びが存在するのが本当ではないのかと思うのです。
自分達が職業人として嬉々として働ける幸せを感じることによって、それに接するお客様も幸福感を得られるという順番が本来の姿と思うのです。
そんな働く喜びを持った人々から、サービス提供を受けるお客様は上質の満足感を感じるに違いありません。
ですから、心を亡くすような忙しさを見せてはならないと感じるのです。
 
《暇と閑》
 
「忙しい」と並んで、自らは使いたくないものが「暇(ひま)」という単語です。
辞書を引くと、「さしあたって仕事がなかったり仕事が忙しくなかったりして、のんびり過ごせる時間や状態(を持つ様子)」とあります。
「暇を潰す」(退屈さを紛らわすためある事をして時間を費やす)、「暇に飽(あ)かす」(暇であるために物事に長く時間をかける)、「暇を取る」(自分から願い出て離職したり、離婚したりする。時間がかかる。手間取る)等々、消極的言葉が並びます。
私達は簡単に「暇」という言葉を発しがちですが、消極的な意味合いを深層心理的に持っている可能性(気がついていなくても)が高い単語なので、使えば使うだけ前向きな発想ができづらくなるという人もいます。
暇を持て余す程のんびりした状況下では、ゆっくり考えても進歩的、発展的な発想はどうやら出づらいのです。
前向きなちょっとした気持ちの安らぐ時間は、「暇」の字ではなく「閑(ひま)」の字を使うとのことです。
諺で「忙中、閑あり」いうものがありますが、どんなに時間が無い中であっても、なんとか「閑」な時間はつくることができるという意味で使われます。
1958年に発刊された有名な書物に、「パーキンソンの法則・進歩の追及」があります。
英国の歴史学者・政治学者のシリル・ノースコート・パーキンソンが書いたもので、世界的名著といわれているものです。
その第一法則に、「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」とあります。
柔らかく表現すると、「仕事は時間いっぱいに伸びるので、忙しい人程ヒマがあることになっていく」といった意味になります。
時間がありすぎるとかえって仕事が遅くなり、逆に仕事量が多い人ほど手早いからヒマもできるといったことを指しています。
「貧乏暇なし」という諺がありますが、それはその典型で、そうならないように努めていく必要があると思います。
パーキンソン氏は当時の英国の官僚機構を批判して、役人はライバルでなく部下が増えるのを望み、かつ役人同士で相互に仕事を作り上げ、総仕事量は増加していないのに、余分で複雑な手続きを増大させて、役人の数だけ拡大させたと訴えています。
現在、日本でもメスを入れ始めている官僚機構の問題が、以前は英国でも同様に起こっていたようです。
人間は、暇な時はどうやらろくなことしか考えないのかも知れません。
ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは、「ゆっくり急げ」を良く口にし、これが代々伝わり、帝国が広域に拡大されながら、この言葉も広まっていったと言われます。
この言葉を碑に刻んで広場等に置いた都市が沢山あるそうです。
時間的ゆとりになれ過ぎてしまうと、仕事が遅くなったり、頭の回転スピードが落ちて、生産性が低くなったりすると指摘する人もいます。
私達も「忙しい」と口にする前に、時間に追われることを楽しみながら「充実している」と言い換えて、「閑」をつくって次の進化を目指したいものです。
また、「暇だ」と口にする前に、「対処できる時間ができた」と前向きに頭を切り替え、お礼状書きやカルテ整理、徹底清掃やレイアウト変更、技術や応待力スキルアップ等、普段できなかったお客様に喜ばれそうなことに手を打てるチャンスと捉えることも大切だと思いますが、いかがでしょうか。

今回は、日経誌夕刊コラム「あすへの話題」からお茶の水女子大名誉教授・外山滋比古氏の「ゆっくり急げ」、潟純Cキューブのメルマガ「Y-レター」から同社マーケティング課マネージャー・下出裕典氏のビジネスコラム、神戸メンタルサービス合資会社講師・原裕輝氏の心理学講座を参考にし、一部抜粋と加筆をしました。

 
M−press .160  2010.5.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『青は藍(あい)より出でて藍より青し』
― 新人の皆さんの成長を願って ―
 
今回のタイトルの諺は、中国の古典「荀子」から出たものだそうです。
使用される意味には二通りあります。
@ 人は学問や努力によって、持って生まれた本性を超えることができる。
A 弟子が師匠の学識や技量を超えること。
現在は、Aの意味で使われることが多いようです。
元々青色の染料は、タデ科の藍という草から取ったエキスでつくり、その青が原料の藍より青く美しくなることから、使われるようになった諺です。
他にもAの意味の諺として、「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」、「氷は水より出でて水より寒し」もあります。
英語では、「The Scholer may be better than the master.」(弟子が師匠をしのぐことがある)と、かなり直接的な表現をするようです。
弟子が師匠よりも抜きんでることや、教えた人よりも教えられた人の方が勝ってしまうことはよくあります。
特に、ゴルフ、野球、相撲などのスポーツ界では、コーチや、親方の実績を上回る選手は沢山出現します。
将棋や囲碁の世界、絵画や音楽といった芸術の世界、落語等の演芸の世界でもよくあることと思います。
師匠が自ら成し得なかった思いが、弟子に託された執念となって乗り移り、結実することなのかも知れません。
しかし、むしろ大半のケースは、教える側が教える対象の良い部分を伸ばして上げる才能を持っていたから師匠を超えたのではないかと思います。
逆に「名プレーヤー、必ずしも名監督にあらず」という格言もありますが、優れたプレーヤーであっても、名監督になれない場合も多いと思います。
今回は、入ったばかりのフレッシュな人材をどう育てていくかを、指導者側の立場と、勉強していく側の心構えとの両面から考えてみたいと思います。
 
《朱に交われば》
 
「朱に交われば赤くなる」という諺があります。
「水は方円(ほうえん)の器に従う」という諺もあります。
人は環境や人間関係に感化され、固有の形をもたない水は、容器の形に従って四角く(=方)も、丸く(=円)もなることを言ったものです。
英語でも、「Water leads itself to its vessel.」(水は自らその容器に導く)と、水に例えて表現されます。
純白無垢なものほど、朱に接すると赤く染まり易いものです。
「蓬(よもぎ)に交わる麻」という諺もあり、茎の曲がった蓬の中で育てた麻は自然と曲がりくねって育つことから、悪人と交われば、善人も悪に染まってしまうという意味で使います。
逆に、「麻の中の蓬」という諺は、まっすぐに伸びる麻の中で育てば、曲がりやすい蓬もまっすぐ伸び育つもので、人間も周りが善人ならおのずと感化されて善人になれるということの意味で使われます。
人を育てる為には、環境整備と導く側の姿勢や態度が非常に重要で、教えられる側はそれに大きな影響を受けて育っていくものなのだと思います。
 
《育てる姿勢》
 
教育と訳される「education」はラテン語から出てきたそうです。
ラテン語の「educatio」が語源で、最初の「e」は「引き出す」という意味で、「ductus」=「資質」を引き出すという意味だそうです。
博士や医者の「doctor」や、教義、基本原則の「doctrine」なども、同じくこの単語が語源です。
西洋の学校教育制度を明治初期に日本が取り入れた際に、教えて育てるという「教育」という言葉をあてがって訳したことによって、ラテン語起源の「資質や個性を見出し、引き出してあげて伸ばす」という本来の意味が、日本においては少しニュアンスが変わってしまったのかも知れません。
勿論、教えるという行為では、基本を徹底的に繰り返し、体で覚えるまで叩き込む様に訓練することも、時には必要かも知れません。
しかし、これは教育のごく一部分の側面で、記憶させてテストするという日本の学校教育で長い間染み付いてしまった慣習から、離れた立場で育てていくことが必要なのかとも思います。
それには、若いフレッシュさのあるスタッフを、新人への教育係として、教える側に思い切って抜擢していくのもひとつの方法です。
これから力をつけていって欲しいと考えている少し先輩のスタッフに、後輩の教育指導を担当させるのです。
人に教えるという事は、当然ながら自分が理解していなくてはいけません。
人に教えるためには、教わる側の何倍もの勉強が必要なのです。
何度も何度も自分が理解できるまで勉強し、人に何度も繰り返し説明していくことで、教える側のスタッフもスキルアップしていけるのです。
また、教育を任されたことで、自分に対する自信を持つこともできます。
期待をされると、それに応えたいという心理になり、どう教えるかを精一杯考えて工夫していくものです。
新人側も、年の離れた大先輩から指導されるよりも、自分の年齢に近い少しだけの先輩から教えられる方が受け入れやすい側面もあるようです。
ずっと昔に教えられる立場であったベテランや中堅スタッフは、自分がどんな点が理解しずらかったか、どんな気持ちで受けていたかなどを忘れてしまっていることが多いものです。
逆に少し先輩は、自分が何がわからなかったか、どんな時に不安や反発を感じたかも覚えているので、教えられる側の立場に立って、理解し易く説明する努力をしていく上、素直に受け入れられるにはどう話せば良いかも考える配慮ができるはずです。
人間は、教える側の立場に立ったときに成長するスピードが加速するといいます。
そして、先輩は任せられた自分が期待されていると感じられることですから、それに応える努力をする心理が働き、成長していくものなのだからです。
ですから、そういった先輩を選んで指名したら、「それだけ貴方に期待しているよ」としっかりと意思表示をして、応援するところは応援し、あとはその指導係を見守りながら、信頼して任せ切ることが大切だと思うのです。
 
《先人の言葉から新人へ》
 
新しい仕事に身を置いた皆様には、人生の大先輩の方々が残した語録から、参考にしてもらいたいと思います。
阪急グループ創業者の故・小林一三(いちぞう)氏は、「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ、そうしたら誰も君を下足番のままにしてはおかぬ」と言いました。
そういえば、後に豊臣秀吉となる木下藤吉郎が、まだ猿と呼ばれていた足軽だった頃に、織田信長の下足番をして、懐に入れて温めた主君の草履で功名を得た逸話もありました。
任された仕事をまずは受け入れて、それを前向きに、一番になる様にやっていれば、その人のきらりと光るものが、他の人からも見えてきて、認められて次々とチャンスが必ず訪れます。
どんな仕事も前向きに捉える習慣が備われば、必ず成長できます。
「私はこんなことをするために、この仕事に就いた訳ではない」との文句をこぼす人は、どんな職業にでもいるものだと思います。
その一方で、どんな仕事を頼まれても、嬉々として仕事に取組んで高い評価を受けていく人もいるものなのです。
米国の自動車三大メーカーひとつ、フォードの創業者であるヘンリー・フォード氏が成功の秘訣について聞かれた時に答えた言葉が、「常に相手の立場に立って物事を考えること」です。
相手の立場で考えられれば、お客様や経営者、上司や先輩スタッフなどが何を望み、どう考えているかを推し測ることが可能になります。
必要に応じて、先に手を打って準備したり、対策を立てることもできます。
相手の立場で考えられれば、先輩やお客様から、「使われ上手」になります。
期待された役割をきちんと認識して、行動することができます。
ですから、相手の立場に立って考えられる人は、必ず仕事のできる人間になっていけるものなのです。
それでは、相手の立場で考えられるようになる為にはどうすれば良いのか。
キャノン電子且ミ長の酒巻久氏は、著書の中で次の様に言っています。
それには、「人に親切にする事」だと。
道で転んでいる人がいたら助け、道がわからず困っている人がいたら、教えてあげることだと酒巻氏はいいます。
そうやって、いつも人に親切にするように心がけていれば、周りに困っている人はいないかと常に目配り、気配りができるようになっていくものです。
つまり、親切の結果で周りの人の立場を思いやれる人間になっていけます。
だから、まずは親切になることです。
それも「損得抜きで人に親切にする」習慣を身につけることが大切です。
酒巻氏はまた、「仕事は人間に始まり、人間に終わる」とも話しています。
そもそも仕事は一人では出来ず、無数の人達との関係の上に初めて仕事は成立するものです。
つまり、人間がわからない限りいい仕事はできないと彼は説いています。
仕事で最も大切なことは、「人間を知ろうとする謙虚な姿勢」で、この姿勢さえあれば、仕事で成功する可能性が大きく拡がるとの主張です。
しかし、実際には、勝手に自分で自分を規定してしまい、可能性を狭めてしまっている人が多いのではないかと、酒巻氏は考えています。
「どうせ自分にはできっこない」などと自分で自分に枠をはめる癖を持ってしまったり、逆に「自分はできる人間だ」とプライドを持ち過ぎて、素直に学ぼうという意志が足りなくなってしまうなどの欠点が出てしまう人が多いと酒巻氏は嘆いています。
人の能力は考え方ひとつで決まるものだとも言われます。
考え方の悪い癖を持たず、「やればできる」と「素直に(人間を)学ぶ」、この二つの考え方の習慣を持てたなら、仕事ができる人間になるのは容易であると酒巻氏は結んでいます。
フレッシュな人材は業界の財産です。
新人を迎え入れる側は彼らの成長を願って環境整備をする事が重要であり、指導する者は、新人達が素直で前向きな考え方で仕事に取り組める様に、自分達も覚悟を決め導く事が大切だと考えますが、いかがでしょうか。


今回は、神戸メンタルサービス合資会社のカウンセラー・大門昌代氏のブログ「社員をスキルアップさせるには?〜与えることの効果」、キャノン電子且ミ長・酒巻久氏著「仕事ができる人に変わる41の習慣」(朝日新聞出版刊)を参考にしました。

 
M−press .159  2010.4.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
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『火に油を注ぐ』
― 人を活かすためには ―
 
燃え盛る火に油を追加するように、勢いの盛んなものにさらに勢いを加えていく例えで使われる諺です。
英語では、「to throw oil on the flames.」(火炎に油を注ぐ)、「add oil to the fire.」(火に油を足す)、とそのまま表現するようです。
「火に油を注ぐ」は、最近はあまり良い意味では使われていないようです。
例えば、手が付けられない程に悪化するようにまで、余計なことを追加してしまった場合などに使われます。
しかし、元来の意味では、好調なものを更に勢いづけてあげるように、もっと積極的かつ前向きな意味で使われていたのではないかと思います。
「駆け馬に鞭(むち)」というのも同じ意味の諺です。
早く走っている馬に鞭を入れて加速させるように、勢いのついているものにさらに勢いをより一層激しくしていくことのたとえとして使われます。
「走り馬にも鞭」ともいうそうです。
4月はたくさんのものが門出を迎えるシーズンです。
入学、入社、転勤、転居、年に一度桜の花が咲くと同様、世の中が一斉に新しく動き出す活気あるシーズンです。
サロンでも、新しく近隣住民となられたお客様を迎え入れて、学生から社会人になられるお客様のイメージチェンジをするなど、変化の時期です。
また、ニュースタッフを迎え、店内の雰囲気も大きく変わっていくこともあるでしょう。
新しい環境に身を置き、緊張の中にも新天地に心躍らせ燃えているフレッシュメンバーの心に更に火をつけることで、先輩達も一緒に活力を上げていけることが望ましいと思います。
サロンビジネス関係者すべてで、業界の戦力になれるように、温かい心で新人達を育てていきたいものです。

 
《天職》
 
「天職」という言葉を辞書で引くと、(1)天から授けられた職務、(2)生まれながらの才能・性質に適した仕事、と書かれています。
「この仕事が天職だ」と自ら言いきれることは、とても幸せなことではないでしょうか。
小生の個人的見解では、理美容師の皆様には、自らの仕事を天職だと言い切れる人の割合が、他業種に比べ比較的に多いのではないかと思います。
しかし、当業界に限らず「自分は天職に就いている」と言える人の中でも、当初から天職に巡り合ったと実感した人は、ごく少数なのではないかとも推察しています。
子供時代から自分の才能がどこにあるのか、解っている人は非常に少ないだろうし、青年期になってもそれが見い出せずに、もがき苦しんでいる人の方が大多数なのではと考えています。
自分に合う職業に出会うことは多くの場合、仕事をしながら目一杯頑張って、苦労を重ね努力し続けているうちに、これが天職なんだと気がつくことが多いのかと想像しています。
頑張っている中で、できなかったことが出来る様になり、周囲から支えられ認められることの喜びや、お客様からの感謝などが、自らの励みや成長の実感となり、次第に職業への愛着が深まっていくのではないかと思うのです。
「天職」とは英語では「calling」と言い、神様からの呼び出しという意味だそうです。
最初から目指した訳ではなかった職業でも、一所懸命にやっているうちに、才能が開花する時期がやってきます。
神様から呼ばれて、その仕事をすることが運命の様に感じ、していることが自然に受け取れるといった感覚なのではないでしょうか。
「自分はこれをする為に生れてきたんだ」という深い納得感は、熟慮(頭で考え抜くこと)の末の決断や観念(自己の思いこみ)よりも、むしろ体感に近いものだという人もいます。
ですから、初めて仕事に就く皆さんは、一所懸命にまずはやってみることが一番大切なことだと思います。
不思議なことに、観念(思いこみ)と、観念する(もはやこれまでと諦め、覚悟を決める)というのは同じ字です。
自らが思い込んだ考え方と、絶体絶命と腹をくくって覚悟を決めることは同じ字で表現されているのです。
腹をくくってとことんやってみることなしに、天職は見い出せないものなのかも知れません。
自らの仕事を天職と感じ、幸福感や充実感を持ちながら仕事をする人と接すると、周囲の人達も幸せな気持ちになります。
サービス業であるサロンビジネスでは、特にそれが重要なことです。
幸せを感じながらサービスを施す技術者に出会えることは、お客様にとっては次回の来店動機となるのです。
スタッフの皆様全員が生き生きと充実感を持って働いておられるサロンは、お客様も入るだけで幸せな気分になり、例外なく繁盛店になっているといっても過言ではないと思います。
 
《火の消えたよう》
 
周囲を明るく照らしていた炎が消えるように、ぱったりと活動が止まって活気を失い、ひどく寂しくなってしまう様子を形容した諺です。
英語では燃料切れをたとえに使い、「Like someone (またはsomething)ran out of gas.」(ある人=またはあることがガス欠になったみたいに)と表現するようです。
メラメラと燃え上がるような気力で入社してきた新入社員が、新人研修で更にやる気に火が付けられ職場に入ってきます。
ところが、数か月もすると徐々にメラメラした炎は細くなり、場合によってはその後火が消えたようになってしまうことが、どんな業種やどんな企業でも起こり得ることなのです。
企業や店舗には、それぞれが持っている企業風土があります。
また、組織の集団で形成された、独特の集団性格や行動原理と呼ばれるものもあります。
これらが良い方向で作用すると、新メンバーも、やる気や適度な緊張感を持続でき、成長しやすい環境になります。
しかし、逆に悪い方向に作用すると、先輩や組織の持っている悪い面や悪い集団性格を受け継いでしまったり、緊張感を失って悪い風土に同化してしまう場合もあると思います。
新スタッフを迎えることで、組織も成長し、活性化しなければなりません。
フレッシュな人材を迎えるということは、先輩も上司も組織体も併せて成長できる絶好のチャンスなのです。
さて、新入生を指した英単語が、「fresh man」です。
freshとは、「新鮮な」「はつらつとした」「生気のある」「さわやかな」「初々しい」「新しい」などの意味がある他、「純粋な」「混ざりっけのない」などの意味もあります。
例えば、fresh waterは「淡水」「真水」のことだそうです。
もうひとつ、freshは「未熟な」という意味も持ちます。
和洋問わず、新鮮なものとは、未成熟なものでもあるのです。
新人は真水で、迎え入れる先輩スタッフの影響で変化していく者なのです。
高校野球で、甲子園の優勝経験豊富な伝統校と呼ばれるチームがあります。
そこに、素質がありながらも中学時代は無名だった選手が入り、そこで才能が開花し、プロ野球でも大活躍する選手に育った例をよく聞きます。
本人のやる気という前提を抜きには語れませんが、
@質を見抜いて高めてあげる監督や指導者、先輩に恵まれた。
Aその高校の伝統やチーム風土により成長した。
B厳しい競争や練習で鍛えられて能力が高まった。
・・・などの要因があると思います。
@〜Bの最低ひとつか、または複数の要因が重なって力を発揮できたのではないかと想像できます。
逆に、中学時代に輝かしい実績を上げて、素材としても抜群と言われていた選手が、高校へ入って大成できなかった例も時々耳にします。
@〜Bの環境に恵まれないチームに入ってしまったり、自分の動機付けそのものができずに、向上心が保てなかったなどの理由から、才能を持て余してしまうのはよくあることです。
 
《野村再生工場》
 
京都北部の高校野球では無名校だった峰山高校出身で、プロ野球・南海ホークスにテスト生で入団し、名捕手・強打者となった大選手がいます。
「ぼやき」で有名な野村克也氏です。
戦後にフルシーズン制になってからの、日本初の三冠王(一九六五年)、最優秀選手(MVP)5回、ホームラン王9回、打点王7回など輝かしい実績を残してきた選手が野村氏です。
何よりも素晴らしいのは、重労働といわれる捕手で、実働26年間、3017試合に出場し、南海・ロッテ・西武で44歳まで現役を貫いたこと。
また、南海で若くして(35歳)選手兼監督となり、チームをリーグ優勝(38歳)に導きました。
55歳でヤクルトスワローズの監督に就任し、データ重視の「ID野球」でリーグ優勝4回、そのうち日本一を3回も達成してきました。
64歳でタイガースの監督に就任すると、優勝は果たせなかったものの、後任の星野氏による優勝の基礎固めをしました。
66歳で社会人野球のシダックス監督になった後、71歳で楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任すると、万年最下位のチームを優勝争いができるところまで引き上げました。
無名校からパ・リーグチームに入って叩き上げた野村氏は、同世代でいつも華やかなスター街道を歩んでいた、長嶋茂雄氏に対して強烈なライバル意識を燃やしていたといいます。
「長嶋、王が太陽に向かって咲くひまわりなら、俺はひっそり野に咲く月見草」、また「生涯、一捕手」と野村氏が語ってきたことは有名です。
長嶋氏は立教大学時代に南海入りを希望し、チームメイトの名投手・杉浦忠氏に南海入りを勧めておきながら、最後に自分だけドンデン返しで巨人入りとなった為に、特に野村氏はライバル心をむき出しにしたようです。
自らは契約金なしで、月七千円の月給で南海入りしたのに対し、長嶋氏は大学時代からスターダムに乗り、当時最高の契約金で巨人入りした為、野村氏の反骨精神に火が付いたのでしょう。
 
《人を生かすのは人》
 
野村氏といえば、ここ最近は「ぼやき」が全面に出て語られていました。
「ぼやき」を巧みに操り、人の心に火をつけることができるとの論調です。
小生が思うには、野村氏は人物観察に優れ、人の長所を見つけ出して、それを生かす天才だと思うのです。
旧所属球団から、ダメ出しされたり、年齢限界説を唱えられた選手を見事に蘇らせて再活用してきました。
南海で江本孟紀、江夏豊、山内新一各投手、ヤクルトでは小早川毅彦、辻発彦両選手、楽天の山崎武司選手等です。
長所と短所は紙一重といいますが、短所もしっかりと掴んだ上で長所を生かす術を氏は知っているのでしょう。
「選手の力が足りない」と言うのであれば、監督やコーチは要りません。
同様に、「部下や社員に恵まれない」と言えば、管理者が自らの無能を認めていることになり、「自らを必要ない」と言うのに等しいことになります。
上司、管理者、先輩の役割とは、後輩の長所を伸ばし、愛情を持って育み育て上げていくことなのです。
教育とは、教えることと育てること。
育てることとは、長所を見い出して伸ばして上げることの意味だそうです。
教える側も、対象の人を凝視することにより、自らも勉強になり、自らを高めていくことができます。
教えながら教えられ、育てながら育てられていきます。
野村氏はぼやきながら、その場に居ない選手の向上心を煽り、プライドをくすぐり、間接的に褒めたり、認めたりして、「やる気」を「本気」に変えていたのかも知れません。
人は認められることによって、頑張れる生き物です。
実力のある者は、プライドをくすぐられることがきっかけで「本気」になれる場合もあります。
フレッシュな人材が入ることよって、大きく集団が変わっていける可能性が生まれます。
因みに、Refreshは「元気づける」、「清新する」という言葉です。
鎖国状態だったところに、新人がペリーとなって一気に開国の雰囲気に変える可能性があるのかも知れません。
大切なことは、迎え入れる側が本気になり、フレッシュな人材の「火を消さず」に「火に油を注ぐ」ことだと思いますが、いかがでしょうか。

今回は、神戸メンタルサービス合資会社所属カウンセラー・みずがきひろみ氏のブログ、同社所属カウンセラー・ふなきかずみ氏のブログ、泣}ニスオブヘアー代表取締役・相本恭成氏の講演を参考にしました。

 
M−press .158  2010.3.20 
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『目から鱗(うろこ)が落ちる』
― 個人の飛躍と店舗の成長について考える ―
 
この諺は若者が作った新しいものと、小生は誤解をしていました。
調べてみると、1800年以上前の歴史的書物を起源とした諺でした。
新約聖書の中にある「ルカによる福音書」の続編として書き足された、「使徒行法」の中に書かれているものが諺となったようです。
その使徒行法の第九章の「サウロの改心」の中に、「すると、たちまち目から鱗のようなものが落ち、サウロは元通り見えるようになった」とあります。
この書物の英訳版では、「The scales fall from eyes.」となっています。
スケールとは「うろこ」の他に「湯垢」や「歯石」などの意味もあり、「重なり合う垢(あか)」のことも指しますので、「目から垢が落ちる」と訳しても良かったのかも知れませんが、昔の日本人キリシタンは粋な翻訳をしたものです。
この諺の意味は、「あることがきっかけになって、それまで分からなかった真相や本質が、突然はっきり理解できることになる」時に使われます。
目を覆っていた鱗の様なもの(シャッターやゴミかも?)が不意に取れて、ものがはっきり見えるようなイメージなのでしょうか。
皆様にも、今まで見えていなかったものが、何かをきっかけとして、突然に見えて来た体験もあるのではないでしょうか。
また、こつこつと努力を重ねていても、とても前進しているように思えなかったものが、急に脱皮するように急転し、劇的に進化するようになることもあると思います。
世間では、景気の低迷期とも言われますが、窮地に追い込まれた時こそ必死に考えるのも人間です。
思いを巡らせて考えて、劇的進化のヒントを得られる可能性もあります。
今回は、店舗としても個人としても、劇的な変革を経てステップアップをしていく為に必要な発想法について考えてみたいと思います。
 
《To be と To do》
 
生まれ変わる、またはゼロから何かを生み出すことを考える場合には、「やるべきこと=To do」と、あるべき姿=To be」の二つの方向からまず考える必要があると言われます。
企業経営でも個人の変革でも、この両面から考えた上で、どちらから着手していくかを決めるのが基本です。
次に、「やるべきこと」を考える場合にも、「何をやるか=What」と、「どのようにやるか=How」を考えていく必要があります。
考えれば考える程、悩みも出てくるはずです。
なぜなら、ほとんどの場合には「やってみなければ本当はわからない」からだと思います。
試行錯誤とは、試すことと失敗することの繰り返しによって、目的に近づきながら進んで行くことです。
「思考」ではなく「試行」なのです。
考えて終わらせるのではなく、試しに実行してみて、成功していくものなのです。
上手くいく例のほとんどは、いろいろやってみたからこそ、そこまでたどり着いたという感覚に近いものかも知れません。
好きな分野ではなく、苦手なものに歯を喰いしばって取り組んでいるうちに、一所懸命の汗や涙が、ある日突然に結実し、開眼するかのように上手くいく例はあると思うのです。
嫌いだったものがいつの間にか、一生付き合えるような大好きなものに変わっていくことは、こういった流れで起こる場合もあると思います。
勿論、「あるべき姿=To be」を考えて、それを強く意識することによって実現の可能性が高くなることは間違いありませんが、意識するだけで「実行すること=To do」が無ければ、実現する可能性は限りなくゼロに近いものになってしまいます。
困った時には、「思考」ばかりに片寄りがちですが、考えても判断できない場合には、思い切って「試行」してみるのも大切なことだと思います。
 
《さなぎが蝶に》
 
静かで動かなかったものが活発に動き出したり、地味だったものが美しく変身したりする瞬間には、私達は感動を覚えるものです。
勝ち越しがやっとだった力士が、ある時急に優勝争いをするようになり、大関を狙えるまで強くなってきた時。
打てなかった若手打者が急にホームランを連発する打者に変身した時。
そして、最下位争いをしていたサッカーチームを応援し続けていたら、そのチームがある時を境に優勝争いができるまで変身した・・・等々。
見守り続けてきたものにとっては、大変身する時を見ることができて幸せになるものです。
中でも、この上ない最上級の感動ともいえるのは、赤ちゃんの生まれる瞬間に立ち会えることだと思います。
生命の誕生の一瞬に勝る感動は無いのではないかと思います。
さなぎが蝶に変化する時も、まるで死んでいたものが生き返るが如く思えるものかも知れません。
蝉の幼虫が羽化する時、やごがトンボになる時なども、変化が余りに激的なだけに、それに近い衝撃があるかも知れません。
手塩にかけた部下や後輩が、出来なかったことが急に出来るようになって大きく飛躍する局面に立ち会うことが出来た時、指導してきた先輩は今までの教育に手間をかけた時間や苦労した経験があればある程、嬉しい思いが強くなるはずです。
感動を通り越して、幸福感まで感じるものかも知れません。
できるように進化した側も、転んでばかりいたのが初めて自転車に乗れるようになった時と同じような喜びを感じるはずです。
こういった、「さなぎが蝶に変わる瞬間」に立ち会えた時には、周囲の人達も含め大きな感動と一体感を得られ、個人も店舗も文字通り脱皮するかの如く、激的に進化ができるような空気に包まれると思うのです。
 
《WhatとHow》
 
「What=何をやるべきか」は企業や店舗では経営者がしっかりと考え、店舗経営や企業運営の方針として打ち出し続け、メンバーに植え付けていく必要があるものです。
個人レベルでは、仕事の中で「何をやるべきか」は、サロンオーナーから発せられる理念や方向性を実現するために、「自分はどう動くべきか」(To do)を考えることが大切です。
たとえ個人レベルで、素晴らしい新しい試みを仮に考えついたとしても、それと所属組織の方向性とが逆方向のものであった場合には、「やるべきこと」ではなく、「やってはいけないこと」となってしまいます。
現在の社会情勢では先が読みづらく、何が正解か判らない面があります。
数年前には誰も想像できなかったようなことが、次々と起こっている世の中だからです。
そんな中で、経営者としては、何をするか(What)をあれこれ考え過ぎて足踏みするよりは、思い切ってやり方(How)を変えてみる方が早い場合もあるのではないかと思います。
思い悩んでいる時に、「やり方(How)」を変えてみたら、次に「やるべき事(What=何))も自然に見えてきたということはよくある話です。
つまり、「何をやるか=What」を考えるよりも、「どうやるか=How」の方法論を優先する考えに切り換える勇気も大切だと思うのです。
それを繰り返すことにより、逆に「To do=やるべきこと(行動価値)」も実感しやすくなると思います。
そうすると、次に「To be=組織や自己のあるべき姿(態度価値)」も見えてくるのではないでしょうか。
この順番は今まで考えられていた方法と全く逆からのアプローチ法です。
企業の繁栄でも、個人の成功でも、まずは理念や、目標としてのあるべき姿をイメージして、それに向かって計画をして、達成実感を積み重ねていき、修正や組み立て直しをしながら夢の実現に向けて進んでいくという順番が今までの発想でした。
勿論、あるべき姿をイメージして、その目標を口にすることにより、自分の決意が固まり、実現するように身体や脳が動くようにもなり、応援する人達が周囲に現れてきて、実現確率が高まるという面もあります。
しかし、理想型を強く意識すればする程、今までやってきたやり方、方法論に固執し過ぎてしまう傾向があるのも人間心理です。
「やり方」の方法論の正しさに執着してしまうと、つい感情的に譲れなくなってしまい、一番大切な目的を見失ってしまうという落とし穴に陥る場合があります。
自分の慣れ親しんだ、好きで得意な「やり方」にこだわり過ぎると、「やり方」(=手段)が目的よりも優先してしまいかねません。
閉塞感を感じる局面では、「これまでのやり方も有効だったけれど、そろそろ新しいやり方を身につけるべき時かな」と発想転換すると、次の新しい一歩を踏み出すことができて、「目から鱗がはがれる」チャンスになるかも知れません。
 
《天まで飛べ》
 
「To be to be,Ten made to be.」
高校の卒業式後の教室で、武田鉄矢を気取った担任教師から「訳してみろ!」と黒板に書かれました。
「テン メード トゥ ビー」の意味が解らず、誰も答えられずにいると、「君たちは発想が貧困だ」、「もっと自由な発想をして生きていけ」との主旨の担任からの指導となりました。
実は、これは英文ではなく、「飛べ、飛べ、天まで跳べ!」をローマ字で表現したものだとのこと。
「発想を変えれば見えないものが見えてきて飛躍できるから、原則に捕らわれずに自由な感性でもの事を観なさい」とのアドバイスでした。
「あなたが変われば、まわりが変わる」の通り、自分の人生態度(=To be)が変われば、周囲の人たちの「あり方」も変わってきます。
経営者ともなれば、自身の「あり方=To be」の変化によって周囲が変わる効果は絶大です。
従業員のみならず、仕入れ元、金融機関、関係業者、そしてお客様に対しても大きな影響と変化を与えます。
経営者は、考えても考えても打開できない問題に直面することも多いのではないかと思います。
「どうすれば(How)」「何をすれば(What)」といった「やるべきこと(To do)」も判断できずに行き詰ってしまったら、「あるべき姿(To be)」までも捨てて、周囲の人達に対する自分の見方や考え方を変えて行動してみるのもひとつの方法です。
それまでの自分の経験(特に成功体験)を捨てて、周囲の人に相談してみる(場合によっては助けを求めてみる)方法もあります。
経営者ばかりではなく、人間は、迷い始めると袋小路に入り込んでしまい易く、一人で考え込んでしまいがちになるものです。
経営者は、特にそのような時に孤独を感じてしまって、人に相談しにくくなるのではないでしょうか。
今まで相談したことのなかった周囲の人達をアテにしてみると、応援したい、助けたいと思う人が次々と名乗りを上げてくれるかもしれません。
サロン経営者をお手伝いする我々のような立場の者は勿論のこと、サロンスタッフの皆様も同じような思いで味方になり、手助けしてくれる場合もあるのではないでしょうか。
昔は、肉体労働と頭脳労働という単純な分け方で働くことを色分けしていましたが、今は、感動労働が大切であると言われています。
知識や技能を高めることによっての労働の満足感も必要ですが、皆が一緒に働ける感動を一生の喜びとして、共感し合えるといった満足感を得られる店づくりが大切な時代と思います。
人は自分の存在意義を認められていると感じる時や、人に対し役立っていると感じる時に、幸福感ややり甲斐を感じて力を発揮できるものなのです。
それが、感動労働につながり、皆が最大限の能力を発揮できる環境です。
そのためには社会に喜ばれるサロンづくりをスタッフ全員で考え、ひとりひとりが脱皮したことを皆で称賛し合い、一緒に高め合えるのが理想です。
サロンも個人も、「さなぎから蝶に変わる喜びの瞬間」を味わえるよう、夢と感動を創造することを全員で一丸となって目指していくことが重要だと感じますが、いかがしょうか。

今回は、神戸メンタルサービス合資会社・所属カウンセラー・みずがきひろみ氏のブログ「新しい自分になる」を参考にしました。
 
M−press .157  2010.2.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
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『痒(かゆ)い所に手が届く』
― サービスの基本を見直そう ―
 
細かい所にまでよく気がついて、世話が行き届くたとえで使われる諺です。
すみずみまで心配りができていて、手落ちがなく、至れり尽くせりであることを表現しています。
なかなか達することのできない領域のことなので、そこまでいくと「有るのが難しい」=「有難い」こととなって、それを受けた相手が「有難うございます」と言ったことから、「ありがとう」が感謝の言葉の表現として使われだします。
英語では「to cross thet t’s and the i’s」(tの文字を書く時に横棒を入れてくれたり、iの文字を書こうと思ったら上の点まで書いてくれるような)と表現する様です。
前号の本欄で笑顔がいかに大切で、笑顔が商売の基本であり、笑顔によって事業は好転するものだとの主旨の内容を書きました。
お読みいただいた皆様から多くの反響をいただきました。
少数ではありますが、笑顔を心がけて、そのトレーニングを全員でしただけで店販品の購入確率が上がったとか、店内が活気づいてお客様の笑顔も増えたり、お客様同士の会話が多くなり明るい店になったなどの即効的な良い変化も耳にしました。
逆のご意見で、笑顔が万能だといっても、それだけですべてが好転するわけでもないと思うとの声も伺いました。
また、前々号の本欄の警戒心を取り除き、親密感を深めるための挨拶も併せて、スタッフに意識づけをされたサロンオーナーから、笑顔と挨拶だけでは足りないのではないかとのご意見も頂きました。
そこで今回はサービス業のもうひとつの基本である感謝について考えてみたいと思います。
 
《孫の手》
 
痒いところに手が届くといえば思い出すのが、背中などの手が届かない所を掻くための道具としてポピュラーな「孫の手」です。
棒の先を指の形に細工しています。
その手が小さくて、まるで孫の手の様だから「孫の手」なのか、或いは孫のように愛情を持って痒みを癒してくれるから「孫の手」なのかと思っていたらどうやら語源は違うようです。
中国に麻姑(まこ)という女性の仙人(仙女)がいて、その仙女に爪で掻いてもらうと非常に心地よかったという話が語源で、いつの間にか「まこ」が「まご」に変化して「孫」の字が当てられたとのことです。
「麻姑」と「孫」、どちらに背中を掻いてもらったら気持ちが良いかは、わかりませんが、どこを掻いたら快いかを察知してあげたいものです。
 
《以心伝心》
 
今度の諺は「言葉を使わなくてもお互いの気持ちが通じ合うこと」の意味で使われます。
禅宗の仏教用語として、真理や悟りを相手の心に心で伝えることから使われる様になったこと。
「心を以(も)って、心に伝う」と、積極的に心で相手に伝える意味で使われていたものが、強い思いが相手に結果的に届いたり、伝わったりする意味で使用されるように変化してきたとみられています。
言葉は大切なコミュニケーションツールです。
そして、言葉足らずだったために失敗したことはだれもが経験していることと思います。
逆に言葉は巧みに使えても、そこに思いや心が足りなかったがために、相手に意思が伝わらず残念な思いも経験しているのではないでしょうか。
外食系フランチャイズチェーンの拡大時期の頃から、マニュアル化された挨拶トレーニングが日本でも見られるようになりました。
それは、数多くの挨拶定例句を作り、全スタッフが一言一句間違わずに、同じ応対言葉や挨拶をマニュアル通りにしていこうというものです。
「いらっしゃいませ」「店内でお召し上がりですか?」「お持ち帰りですか?」・・・などです。
お笑いタレントの柳原可奈子さんが「いらっしゃいませ〜」とか「いらっしゃいませ↑」「いらっしゃいませ↓ 」など声のトーンを上げたり下げたりして茶化していますが、たとえ上質な美辞麗句を並び立てても、そこに感情が入ってなければ、空虚に感じることを利用しているのかも知れません。
 
《痛くも痒くも》
 
「いらっしゃいませ」という挨拶を禁止して、「ご来店いただき有難うございます」という挨拶をご来店時に徹底されているサロンオーナーがいらっしゃいます。
そのオーナーによると、「ありがとう」という言葉に対して日本人は無意識のうちに特別な感情移入をするとのことです。
日本人にとって「ありがとう」は魔法の言葉で、聞いた側の人も、言った側の人も本能的に心が優しくなり、心が温まるそうです。
人気作家の中谷彰宏氏によると、外国の人は「チップ」で元気が出る人達が多いが、日本人は「有難う」で一番元気が出る特殊な民族とのことです。
サロンオーナーのお話に戻ると、「いらっしゃいませ」は感情移入しづらい、思いが伝えにくい挨拶で、「ありがとう」はその逆であると氏は言います。
「忙しい中を」「あえて当店を選んでいただき」「遠くから」「雨の中を」などの言葉をスタッフが選びながら、ご来店いただいたことが本当に嬉しいとの思いを込めて、「有難う」の言葉で感謝の気持ちを表現していきます。
「痛くも痒くもない」という諺は、まったく困らない様子やいっこうに平気で何とも感じていない素振りに使います。
来店客にとって「いらっしゃいませ」は痛くも痒くもない、感情のこもりづらい、単なる慣用句にしか聞こえない言葉なのかも知れません。
 
《猫の手》
 
実際には役にたつはずのない、猫の手でも借りたいぐらい目が回るほど忙しい時に、「猫の手も借りたい」という諺を使います。
猫の手も借りたいぐらい忙しい中で、お客様に対して施術に集中したい技術者が、他のお客様に対して挨拶をしずらいとの相談を時々受けます。
入口付近で挨拶の声が店内に響き渡った場合に、施術中のスタッフはどんな挨拶をし、どのくらいの大きさの声を発するのか、店内で十分に打ち合わせして、実践していく必要があります。
ご来店いただいたお客様に対する受付付近のスタッフの挨拶に、他のスタッフが無反応な状況になると、来店されたお客様は不安になります。
店舗入口付近の最初の応対スタッフが「有難う」の心温まる挨拶をしたとしても、技術中のスタッフが同じ様にはなかなかできないものです。
とは言っても施術中のスタッフが柳原可奈子的な気のない「いらっしゃいませ」を小声でつぶやいたとしたら、今度はそのスタッフから技術を受けているお客様も、義務的挨拶をしていると察知し、自分も含めたお客様を軽く扱っているととられかねません。
挨拶は相手に聞こえなければ意味の無いものと自覚して、距離やドライヤー音、BGM音などを考えた上で、対象のお客様に届く声の大きさで練習しておくと良いと思います。
店内のどこからでも聞こえやすく、感情移入がしやすく、感謝の意味も伝え易いということから生まれたのが、「デニーズへようこそ!」というファミレスの挨拶だといわれます。
さて、技術経験がまだ浅いアシスタントスタッフの皆さんも、挨拶と笑顔では誰にも負けないことができます。
それには、猫の手にはならず、鵜匠(うしょう) の手になることです。
鵜匠とは鵜飼(うかい)で鵜(う)を匠みに操る親方のことです。
訓練された鵜は鮎を採る名人です。
その鵜に沢山の鮎を捕獲してもらいますが、鮎がたくさん泳いでいる方へうまく船を誘導して、鵜の首につけた縄でコントロールしながら、つかまえて飲み込みかけた鮎を吐き出させて確保し、次の鮎に鵜を差し向けるのが優れた鵜匠です。
鮎がお客様、鵜がスタイリスト、鵜匠がアシスタントのイメージです。
挨拶や笑顔でお客様に気持ち良くなってもらい、スタッフ全員や店舗を活気づける中心にアシスタントスタッフが居るサロンは、例外なく繁栄店となっているようです。
 
《痛し痒し》
 
痒い所を掻けば痛いし、掻かなければ痒くてたまらない場合もあります。
都合のいい面と、逆に悪い面とが両面あって、判断に迷って困ることを指した諺です。
サロン内に来店中のお客様へ気遣いをしながら、新たに入ってこられたお客様に対してどの様なお迎えの対応をとるかも、技術系店舗にとっては判断に迷ってジレンマ状態になりがちなところだと思います。
この解決策は「感謝の心」なのではないでしょうか。
お客様に対して「来てくださった」「選んでくださった」といった感謝の心さえ持つことさえできれば、お客様を大切にする気持ちが生まれます。
ひとりひとりのお客様を大切にしようとすれば、お客様を良く観察することにつながります。
お客様に目配りすれば、その仕草や表情等から、快適に過ごしていらっしゃるか、満足していただいているかを推し量ることができるようになります。
その判断ができない場合は、そのお客様にお声掛けをします。
人間は見ていてあげることによって、喜びを感じたり、元気ややる気が出てくる動物なのだそうです。
ジロジロと見るのではなく、挨拶やお声掛けの際にお客様の目を見て、感情の動きなどを感じ取ります。
その他の時は、さりげなくお客様の動きや仕草を時々見ておきます。
退屈そうにしていらしたり、厳しい表情で待っておられるように見えた場合は、雑誌などをお持ちし近づき、お声掛けしてみます。
これが目配り、気配りと呼ばれるものだと思うのです。
 
《SOS話法》
 
客様の話を聞くのが八割、自分から話すのが二割というのが接客業の基本といいます。
その割合が、一番お客様が気持ちの良い状態になると言われます。
適度に会話をリードし、お客様が気を遣わない楽な状況にして差し上げる為には、お客様が答えやすい質問をスタッフからして差し上げることです。
今話題の銀座の筆談ホステス・斉藤里恵さんは、相手の感情を読み取りながら、適切な質問をしていくのが上手いのではないかと思います。
そして、お客様のお話を聞く時は、うなずきながら、あいづちに一工夫加えると良いと思います。
日本プレゼンテーション協会理事長で、インサイトラーニング代表の箱田忠昭氏は、日経紙コラムでSOS話法を提唱しています。
すごいですね(=S)、驚きました(=O)、さすがですね(=S)を効果的に入れるのだそうです。
うわべだけの言葉では逆に反感を持たれる場合もあるので、良い関係を作りたいという思いを込めて、しっかりと聞くのが基本とのことです。
自分の思いをきちっと受け取ってくれて大切にしてくれる人を人間は好きになります。
その気持ちを受け取ってもらうには感謝の気持ちを持って接するのが第一歩で、それに笑顔と挨拶が加われば、接客で失敗する確率は非常に低くなると思いますがいかがでしょうか。
 
M−press .156  2010.1.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『商は笑なり、勝なり』
― 基本的なことから見直そう ―
 
今回は諺ではなく、近江商人の残した格言からスタートします。
「『商』は『笑』にして『勝』なり、『笑』を『省』ずれば『商』は『小』なり、『笑』を『昇』ずれば『商』は『勝』なり」というものです。
『』内はすべて『ショウ』と読みます。
「商いは笑顔が大切、笑顔を怠ると商いは小さくなっていき、笑顔を高めれば商いは成功する」といった意味です。
その後、「笑を省ずれば商は少なり」の後に「やがて商は『消』なり」と付加える人が現れて、それが家訓として伝わった近江商人家もあるようです。
つまり、笑顔を忘れると商いは消えてしまうということです。
近年では、お好み焼き専門店「千房」で大成功され、社会教育家としての講演でも知られた中井政嗣社長が「笑は商なり、笑は正なり、笑は昌なり、笑は勝なり」と説いています。
『昌』は「さかんなこと」「明らかなこと」の意味で「繁昌(盛)、隆昌(盛)」など、栄えている様子を指します。
中井社長は中学卒業と同時に乾物屋に丁稚(でっち)奉公し、大阪ミナミに千房を開店、その後大阪のお好み焼きの味を世界に広めた人です。
仕事の傍ら勉強し、40歳にして高等学校を卒業した体験から、独特の教育論で人育てをしてきたことを、氏は講演で語ってくれています。
さて、笑顔の効能については以前本欄で、『笑う門には福来たる』というタイトルで述べさせていただきました。
他の人の笑顔を見ることによって、それを見た人は知らず知らずのうちに神経伝達物質「ドーパミン」(別名・喜びのホルモン)が分泌され、幸福な気分になっていくとの内容でした。
更に、これも無意識のうちに、その幸福感、快感を求めて、その人達に会うために、その店に来たいと思ってしまうといった点にも触れました。
「幸福は楽しい門を入ってくる」、「笑って損した人はなし」などのたくさんの諺があるのも、学術的に解明はされていなくても、昔の人は体験的にそれを知っていたからでしょう。
「幸運は楽しい門を入ってくる」は、英語の諺「Fortune comes in by a merry gate.」を訳してできたそうです。
笑顔は世界共通のコミュニケーションツールと言えそうです。
 
《警戒距離》
 
理美容室で施術する際に、お客様と技術者は接近しますが、お互いが無意識のうちにストレスを感じている場合があることをご存知でしょうか。
人間は単独で素手で戦った場合には、決して強い動物とは言えません。
虎やライオンといった猛獣と呼ばれるものに対して、戦闘能力ではるかに劣っているばかりでなく、へびやさそりの様に人間より小さくても猛毒を持った生物にも負けてしまいます。
熊や猪に襲われたニュースも耳にしますし、普段おとなしい象や牛でさえ、怒らせると武器を持たない人間独りでは歯が立たないものです。
人間は集団で協力して戦うことや、知恵によって武器や防御策を編み出し、命を守り、優位に立ってきました。
火を使える唯一の動物になったことで、猛獣たちが恐れて近づけないテリトリー(生体領域)をつくって生存してきたと言われています。
しかし、元々単独素手では弱い動物ですので、その分警戒心が強くなっていった動物でもあります。
現代の人間も意識の上には無くても、潜在的に強い警戒心を持っています。
また、他のどの様な動物でも「なわばり」と呼ばれるものを持っています。
外部から侵入者が入ってきたときに、戦闘態勢を整えたり、威嚇したり、逃亡するための準備をするエリアが「なわばり」とも言えます。
この「なわばり」の一番外側までの長さが警戒距離です。
警戒距離は、その動物の逃げるスピードや運動能力や攻撃能力により、長さが違うようです。
例えば、すぐに飛び立つことができて、かつ高速飛行可能な鳥の場合は警戒距離が短くなり、助走をつけないと飛べない鳥や、低速飛行しかできない鳥は逆に長くなるそうです。
つまり、すぐに逃げることができれば、外敵が近づいても対処可能なので警戒距離が短くなるといった具合です。
それでは、人間対人間の場合の警戒距離はどの程度なのでしょうか。
その長さは環境によって違い、また歴史的に変化していると言われます。
昔から飛び道具を使って狩猟してきた民族は長いと言われ、集団で農耕してきた民族は短いと聞きます。
例えば家と家との間隔も集団農耕型民族は隣家同士が近く、密集して暮らし、狩猟型や牧畜型は逆に、隣家と離れて暮らす傾向が強いそうです。
また、日本の様な島国で他民族からの侵攻が少ない場合は警戒距離が短く、ヨーロッパの一部の様に陸続きで民族紛争や侵攻が多かったところは、警戒距離が長くなると言います。
数年前の学術的調査では、日本人の平均的な警戒距離は1・13mで米国人では3・68mと発表されています。
米国人は日本人の3倍遠くから無意識の防衛本能を感じているようです。
 
《パーソナルエリア》
 
以上述べた人間の警戒距離は、見知らぬ人との距離のことで、友人・仲間の場合の警戒距離(米国人の場合は1・22m)と家族や恋人などの親密な人との警戒距離(米国人の場合は46cm)がさらに内側にあると言われます。
この親密な人との距離の内側(人により差があり、日本人の場合は30〜45cm以内)を「パーソナルエリア」(個人空間)と呼び、この領域にまで侵入されると、気分が不快になったり、興奮したり、距離を置くために逃げるといった現象が出てきます。
友人に対してもそうなるので、見知らぬ人がこの領域にまで侵害すると強い作用が出てくる場合があります。
満員電車で不快になるのもこれが原因ですし、席を詰めて座れば良いのにわざわざ隣の人との間にスペースをとりたがる人がいるのも、パーソナルエリア確保に無意識で行動するのが原因のようです。
男女間でも距離の差があるようで、女性は近くに集まっている方が安心感を持つ傾向があり、パーソナルエリアは狭くなるとのことです。
例えばトイレのボックスの埋まり方では、男性は隅のボックスからひとつずつ間を空けて使っていく傾向があり、女性は逆に中央から隣を埋めるように密着してボックスを使っていく傾向があるとのことです。
女性が強くなったといっても、生物学的には守られたいとの願望から、男性と比べると至近距離に入られても距離感が近いことによる安心感の方が、勝るのではないかと見られています。
一方、男性は闘争する前提だったこともあり、本能的に警戒距離が長くなっているようです。
日本人の場合の警戒距離の1・13mは、二尺数寸の刀を互いに合わせた場合の距離に非常に近くなっているように思えます。
剣道で「間合いをとる」というように、この「間」という言葉は元々距離のことを言っていたそうです。
また、日本人も大勢で雑魚寝していた時代から、それぞれ個室を持つようになり、現在はパーソナルエリアが広がってきたと唱える学者もいます。
その方の説によれば、満員電車でのいざこざが増えたり、キレる若者が増加したのも、パーソナルエリアが広がった為に、親密な人しか許されないゾーンに、見知らぬ人が入り込む可能性が高くなった為と推察しています。
いずれにしても、理美容技術者は歯科医や眼科医などとならび、初対面の人に対してでも、パーソナルエリアの顔の至近距離にまで、顔を近づける場合がある稀有な職業なのです。
それだけに、本能的(場合によっては無意識)なお客様の警戒心を取り除いてあげることが必要な仕事なのです。
 
《おじぎと握手》
 
見知らぬ人が警戒距離内に侵入してきたとします。
この場合に喜びのホルモン・ドーパミンはほとんど分泌されないはずです。
この場合は不安や興奮、緊張のホルモンと呼ばれる、「アドレナリン」や「ノルアドレナリン」が分泌され、全身を無意識のうちに駆け巡ります。
血圧が上昇し、冷や汗をかいたり、赤潮したり、呼吸や脈が早くなり、瞳孔が開きます。
すべてアドレナリン、ノルアドレナリンの働きのためです。
一方では逃避態勢を準備するホルモンとも言われており、そんな緊張状態におかれた上に、逃避も我慢していることは非常に不快なことです。
そんな状態を打破するためのコミュニケーション手段が生まれました。
それが、笑顔と握手などの挨拶です。
欧米人は右手で握手する際に左手は必ず体の前に置き、両手に武器を持っていないことを示します。
笑顔を見せながら、両手を前にして近づいてくるのも、警戒距離内に安全に入っていく為に必要な知恵なのです。
日本流のおじぎも相手から目を離し、頭を下げることにより、「あなたに危害を加えるつもりはありません」と無防備なところを見せて警戒心を取り除き、安心してもらう大切な行為なのかも知れません。
「ヤア」と手を上げる、「ジャンボ」と言って両手を上げる、お互いに舌を見せる等の各地の挨拶も、敵意を持ってないことを見せるためのものです。
また、欧米流テーブルマナーで、必ず両手をテーブルの上に出しておくのも、武器を隠し持っていませんと相手を安心させる為のものです。
人対人の争いが多かった地域では、そこまで気を使うことが礼儀なのかも知れません。
 
《笑はSHOWなり》
 
笑顔は見せないと意味がないと思い「SHOW」を使ってみました。
もっと強く言えば、見せつける(SHOW)必要まであると思うのです。
特に初来店のお客様は、極度の緊張感で警戒心の塊となってドアを開けるはずです。(警戒距離内に侵入)
その際に店内スタッフと目が合った時、スタッフに笑顔が無かったらどう感じるでしょうか。
明るい挨拶やおじぎも無かったらどう感じるでしょうか。
スタッフ側も初めて見る人に対しては本能的警戒心があるので、目やしぐさに不安感が現れてしまいます。
それを見たお客様の警戒心や不安感はさらに増幅され、居心地の悪いまま店内に入ります。
そして、不安感を拭い去れないままのお客様がそのまま技術を受けることによって、親密者しか許されないパーソナルエリアの至近距離まで技術者に入り込まれるのですから、安らげる確率は低くなります。
このままお帰りになるとすると、そのお客様の次回来店の確率は非常に低くなります。
オーバーな表現に聞こえるかと思いますが、心理学的に言える事なのです。
2回目、3回目の来店のお客様であっても、打ち解けた関係になるまでは、お客様の心の中にある自覚できていない警戒心や不安感を取り除かないと次回来店が危ういものなのです。
来店されたお客様の警戒エリアに入っていくまでに全員でたくさんの笑顔を振り撒きましょう(SHOW)。
笑顔を見たお客様は自覚していなくても、喜びのホルモン・ドーパミンが分泌され、体中を駆け巡ります。
幸せを感じ、笑顔の人に自然と好意を抱きます。
不安感より喜びが勝ります。
お店やスタッフに好意を持った状態で、技術に入ると、至近距離に入られても、親密感や安心感を持ちます。
お客様が幸福感等の、快感を感じる程にドーパミンを出すと、次回もこの快感を感じるように体が動き出します。
つまり、再来店の確率が高くなるということです。
すべての解決策が笑顔なのです。
勿論、プロとして技術を磨くのは大切な事ですし、当然の事でもあります。
しかし、人一倍練習して、磨いた技でスタイル上は満足させられても、笑顔や挨拶が不足していたがために、次回来店されないことがあるとすれば、非常にもったいない話です。
逆に、技術に多少不安があっても、笑顔や挨拶、お客様応対が上手い、人気者の技術者がおられるのも事実です。
業界を代表する人気技術者と呼ばれる方は、この両方を兼ね備えた人なのかも知れません。
不況と呼ばれる今だからこそ、サービス業の基本である「笑顔」「あいさつ」「礼儀」を重要視する必要があると思いますがいかがでしょうか。
 
「商」は「正」をもって「笑」を「SHOW」すれば「勝」なり、
「笑」を「省」すれば、「小」を通り越して「消」なり。 by マックス
 
経営&教育コンサルティング企業・(有)ムービング大阪・代表取締役社長・川上紳一氏のお話を参考にしました。
 
M−press .155  2009.12.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『人事を尽くして天命を待つ』
― 今、打つべき策は何かを考える ―
 
「力の限り努力し、それ以上は、天の定める運命にまかせる」という意味の諺です。
中国の古典「初学知要」の漢文を日本語読みしたものだそうです。
「人事」は人の力でできる事がらのことで、「天命」は天が人に与える運命のことを指します。
「人事を尽くして天命に委(まか)せる」ともいいます。
英語では、「Heaven helps those who help themselves.」(天は自ら助くる者を助く)、「Do you best,and let God take care of the rest.」(最善を尽くせば、あとは神がやってくれる)と表現するそうです。
さて、人間は自分の思い通りにものごとが進まない時、周囲の人や環境に原因を求めがちになると思います。
「景気が悪い」、「政府が無策」、「米国の外圧が悪影響」などと叫んでみても、自助努力をしっかりとしていなければ一向に改善されていかないのではないでしょうか。
景気低迷が「暮らし」や「経営」の面まで危機感を与えているとするならば、生存の為に打つべき手をできる限り打つ必要があります。
人類は本来、酷暑や厳寒、風水害などの大自然や、野獣などの外敵とチームワークで戦いながら、生存してきた歴史があります。
都市化された社会や長期に渡る平和、高度成長などを経て、日本人全体が制度的に守られているような錯覚をしがちになり、環境適応能力が弱くなってしまっている様にも見えます。
「こんな景気だから仕方ない」と、ゆったりと大きく構えて余裕を持って受け流すのもひとつの方法かも知れませんが、これは充分な蓄えがある企業、店舗の話ではないでしょうか。
事業の存続や社員・家族の生活がかかっている大多数の方は、じっとしている訳にはいかないはず。
今回はそんな時代にサロンとして打つべき手を皆様と一緒に考えていきたいと思います。
 
《事業仕分け》
 
今年話題を集めたのが、新政権による事業仕分けです。
枝野幸男衆議院議員や蓮舫(本名・村田蓮舫)参議院議員等民主党の精鋭部隊と民間の専門家や知識人、財務官僚が、予算を申請している側の省庁や事業責任者から意見聴取して、予算配分の基本的判断を示すというものです。
遠山の金さん流に表現するならば、「そのほう達、言い分があったら申し述べよ!」、「早速吟味致す!」といったところでしょうか。
今まで、密室談義や陳情といった国民に見えづらい形で税金の使い道が決められていたものを、公開作業にして国民に議論が見えるようになったのは良かった点と思います。
一部では決定の方法が強引であるとか、一方的であるなどの批判もあり、ノーベル賞受賞の科学者の皆さんからの学術研究にかかわる予算削減についての反対意見会見や、五輪選手等によるスポーツ振興や強化予算削減に対しての反対表明もありました。
本来は、単に節約や削減といった、いかに減らすかという行為そのものが目的なのではなく、限られた税収(一部では隠されていた埋蔵金とやらも存在するらしいが)をどのように有効配分するかというのが大きな目的で、そのために費用対効果が疑わしいものや、各省庁で同じようなことをしている無駄を省く作業をしたのが事業仕分けです。
一番問題なのは、配分された予算がその目的通りに有効に活用されずに、天下り役人のためにつくられた外郭団体の維持費用や人件費、退職金等に消えていっている無駄だと感じます。
中には、ほとんど仕事もせずに、仕事を下請けに丸投げし、その下請けも天下り団体で、その下請けも孫受けに丸投げしていたということが浮かび上がってきたことで、無駄遣いが明らかになり、意味があった事業仕分けと思えます。
不況で苦しむ国民の血税が、目的通りに使われずに、特殊法人の無駄遣いや、埋蔵金としてプールされたりしていたこともあったのです。
さて、蓮舫議員は主婦でもあり、記者からの「家庭内でも事業仕分けをするのですか?」の質問に対して、「我が家ではもはや事業仕分け出来ないほど、徹底的に既に家計は絞り込んでいる。」といった主旨の返事をしたと報道されています。
政府や蓮舫家と同じように、現在は一般家庭でも奥様達が必死の思いで、家計の事業仕分けをしているのではないかと小生は考えています。
新聞は、製造業集計で昨年比約15%の賞与ダウンを伝えています。
期待していた賞与が半減する見込みや、全然出ないと通告された方も多いと思いますし、年末ギリギリに支給が遅れる場合や、取扱商品の現物支給に一部振替をされる給与所得者もいらっしゃるのではないでしょうか。
景気低迷で法人税の税収減が確定的な政府同様、家計でも収入減が見えている以上、主婦としては家計支出の見直しを迫られている状況だというように見えます。
 
《家計の仕分け》
 
家計の収入減が予測されれば、主婦としては限られた原資の使い方の割り振り、見直しを迫られます。
衣食住に関する出資の見直し、保険料や自動車の経費、遊興費や趣味・娯楽など、多方面に渡って見直しをされているのかと推察されます。
家庭内での家計事業仕分けです。
水道光熱費や住宅ローンなどの固定費は簡単に減らすことはできません。
お風呂の回数を減らす、照明やテレビをこまめに消すなどで、節約は可能でしょうが、固定経費は大きな額の減額にはなりにくいと思われます。
それらは、生活必需の消費だからです。
生活必需の消費は、節約対象にはなりますが、ゼロにまで無くすことはできません。
従って、生活必需の消費以外からの削減をしていかなければなりません。
他方、心を豊かにするための消費は、楽しみや生き甲斐にも通じることなので、本来は止めたり減額したりしたくはないのですが、こちらからも大幅削減せざるを得ません。
車での外出はガソリン代がかかるので少し我慢をして回数を減らすとか、ゴルフに行く回数を減らすとか、洋服を買うのを控えたりということになります。
中でも、旦那さんの経費は一番削られやすいとも聞きます。
お小遣いを減らされたり、「新しいスーツやコートは我慢して、革靴も穴が開くまで履き潰して頂戴」などと厳しい節約を迫られている旦那さんも多いことと思います。
男性関連の業種の売り上げ低迷が特に深刻なのは、そういった理由もあるのでしょう。
それでは、女性のファッション関係への支出はどうでしょうか。
当然、一部では洋服、装飾品の買い控えが起きていることでしょう。
健康や美容にかかせない化粧品や健康食品は、止めることはできませんのでそのまま続けられると思われますが、代用が効くと判断されたものは、低単価のものに変えられる可能性があると思います。
以前より当コラムで、理美容業は、心を豊かにする消費として、ファッション目的での訪店を楽しみにする方と、生活必需消費として、伸びてしまったからと身だしなみとして現状復帰を主目的とする方の、二種類のお客様に分けられると推察してきました。
来店サイクルが伸びたり、来店客数が減ったり、一部のお客様が低単価サロンに流れたりといったことは、このことに関係があると考えています。
ヘアカラーについても同様のことが言えると思います。
白髪を隠したいから、しっかり染まっていれば良いと思う認識しか持っていないお客様は、今までサロンカラーを施術されていたとしても、これからは市販のシャンプーカラーに流れる可能性もあると考えられます。
また、ファッションカラーでも、サロンカラーの仕上がり感の良さや調色テクニック、微妙な色出しなどの素晴らしさや違いをお客様が理解できていなければ、ホームカラーに流れてしまう可能性があると思われます。
傷みやムラ染めに無頓着な消費者も、市販カラーに移行する可能性が高いのではないでしょうか。
いずれにしても家計の出費見直しは、すべての項目で見直されるので、単純にサロン業界内での、「安いからこっちのサロンへ行こう」といったサロン選択ばかりでなく、「食費を削ってサロンに行く」、「サロンへ行くのを先送りして洋服を買う」といったような、多方面の支出の中での比較も起っているのかと想像することもできます。
そんな中、大切なのは魅力ある選ばれるサロンづくりと、技術的・精神的満足度を高める努力をすることです。
他の支出をさておいてでも、サロンに足を運んでいただく価値観を持ってもらうことが重要と思います。
満足度を超えて、喜びや、予想以上の驚き、感動を与えて、消費全体の中でサロン訪店での支出を選んでいただかなければならないと考えます。
 
《ベンザ対ルル》
 
どちらも日本を代表する市販製薬会社の看板風邪薬のブランド名です。
この2つのブランド名はどちらも50年以上使われ続けています。
さらに古いブランドは大正製薬のパブロンで、1927年発売とのことなので今年で82年にもなります。
漢方では、神戸の会社のブランド・改源は85年の歴史だそうです。
ベンザは武田薬品工業のブランドで、1955年に発売され、現在まで愛し続けられています。
ルルは1951年に三共から発売され、その後第一製薬との合併(2006年)を経て第一三共となっても中心ブランドとして生き残り、2007年に旧山之内製薬と旧藤沢薬品工業が合併してできていたゼファーマを吸収合併後に、山之内のブランド・カコナールと藤沢のブランド・プレコールと併売になっても、今もなおルルは中心ブランドに位置づけられています。
「ベンザ」も「ルル」もたくさんの種類の風邪薬を持つシリーズですが、現在力を入れている種類が対照的で、マーケティング戦略の違いがはっきり見てとれるように思います。
ベンザは、現在「ベンザブロック」という製品を中心に据えてプロモーションしています。
仲間由紀江さんが「あなたの風邪、辛いのは?」と優しく問いかけます。
「私は鼻が・・・」
「私は熱が・・・」
「私は喉が・・・」
黄色のベンザの乙葉さん、青のベンザの松本志のぶさん、銀のベンザの寺脇康文さんがそれぞれ答えます。
そして、「あなたの風邪に狙いを決めて、ベンザブロック」とコマーシャルソングが流れます。
そうです、症状別に合わせた個別対応型マーケティングの手法です。
一方ルルは正反対の戦略を取ります。
ゴルフの石川遼選手が、「家族の風邪の喉にも鼻にも、ルルはぜーんぶ効きます。」と力説しています。
そして、「家族みんなにルルが効く」とコマーシャルソングが流れ、「一種類で家族全員が使えますよ」との節約メッセージを暗に示しています。
ルルもシリーズ内で各種揃えながら、総合感冒薬(オールインワンタイプ)に絞ってプロモーションしています。
症状に合わせてピンポイントで効くというベンザの訴えかけで、「この方が効きそう」「ぴったり合って効けば安上がり」と考える消費者も居れば、ルルの様に「総合的薬の方が治る確率が高いかも」「この方が外れる確率が低いので結局安上がりかも」と考える消費者も居ると考えたと思います。
どちらが正しいとか、どちらに統一しなければならないということもなく、どっちも有りなのです。
私達サロン業界でも、シャンプーやトリートメント類の種類分けで同様のことが見られます。
全髪質共通で使えるタイプのものと、「パサつく」「コシがない」などの症状や髪質別に分けたタイプの製品群、「カラー毛用」「酸性カラー用」「パーマ用」「ストレート施術後」の様に技術別に分けたシリーズ等あります。
どれが正しいということはなくて、サロンのお客様に対するアプローチの考え方によって、使い分けていくのが正解だと思うのです。
以前は、家族全員が別々のシャンプー&トリートメントを使う「ベンザブロック」型が主流となりつつありましたが、節約指向の時代では、「ルル」的に家族全員で、大容量お得タイプを使うことが多くなるかも知れません。
 
《打つべき手とは》
 
消費者の節約指向はまだしばらくは続くと考えられています。
少子高齢化も進んでいます。
今まで通りの営業スタイルを続けているだけでは、サロンのお客様総数は確実に減少していく時代です。
それでは、チラシや広告を打てば、客数減を改善できるのでしょうか。
宣伝すること自体は悪いことだとは申しませんが、その前にやることがあると思います。
まずは、考えて考えて、考え抜くこと。
スタッフや関係者を交えて話し合って、知恵を出し合うこと。
そして、サロンの主張を明確にして、それに合わせた技術と商品を強化していくことです。
以上ができて、他店との違いを明確にする打ち出しをした上で、それを消費者にしっかりと認識づけることができなければ、タウン誌やクーポン誌にたくさん載るサロンの中で、特徴のないサロンとして埋没します。
「ルル」や「ベンザ」でさえ、はっきりした打ち出しをして、違いを明確に演出しているのです。
現在、サロン様も事業仕分け的にお金の使い道の見直しを計られていることと思います。
基本通りに、営業に直接かかわらない固定経費から、まずは見直しをしていっていることと思います。
しかし、中には技術や売上に直接関わる原材料のコストを闇雲に下げるために、原価優先の安易な原材料転換や、業務用品を深い考えもなく単純に間引きする例も間々見受けられます。
まずは消費者のことを考え、お客様が安心・信頼できる材料選択や、仕上がり感とお店のコンセプトに合う技術に適した製品かなどを、充分に考えた上で判断していくべきだと思います。
そして、消費者に思いが届くメニュー打ち出しをして、技術力・デザイン力・ケア力を高め、お客様に感動していただける店づくりを再点検する、そんな当たり前で基本的なことからしっかり見つめ直すことが、今は一番重要だと考えますが、いかがでしょうか。

神戸メンタルサービス・カウンセラー・前田薫氏のブログ「どっちもあり♪」を参考にしました。
 
M−press .154  2009.11.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『角(つの)を矯(た)めて牛を殺す』
― 元気なサロンにするための動機付け ―
 
わずかな欠点を直そうとして、全体をだめにしてしまうことをたとえた諺です。
「角を直して牛を殺す」ともいうようです。
また、「枝を矯(た)めて花を散らす」という諺も同じ意味として使われています。
「矯める」はよい形に直す、矯正するといった意味です。
牛の曲がった角をまっすぐに矯正しようとして、かえって牛そのものを殺してしまう意味から発生しました。
英語では、「The remedy may be worse than the disease.」(治療することが、病気よりも悪い場合もある)と表現されるようです。
サロンビューティビジネスは人と人との間でつくりあげられる仕事です。
お客様から喜ばれるサロンになるためには、技術・サービスを施すスタッフが一番重要な要素となります。
今回は、スタッフのやる気の問題と人間的成長について考えてみたいと思います。
 
《モチベーション》
 
「動機付け」「やる気」などの和訳をされる単語です。
動機付けとは「行動を始発させることと、目標に向かって維持・調整する過程や機能」のことを言います。
モチベーションという単語が日本に定着してきたのは、サッカーの分野で盛んに使われだしてからと思います。
日本サッカー協会(JFA)は、FIFA(国際サッカー連盟)からのルール改訂や改訂指導要項に基づいて、指導者や選手の育成をしてきました。
また、毎年サッカーの先進各国に強化委員を派遣して、最先端の戦術や指導法を日本に持ち帰っていました。
すると、それらの中に沢山の「モチベーション」という単語が並んでくるのです。
その結果として、日本サッカー協会の指導者講習会やテキスト類にモチベーションという単語が数多く使われ、全国の指導者達に波及していきます。
一方、ジュニアユースやユース世代から、日本代表候補として強化選手に選ばれた選手達(例えば中田英寿選手ら)がそれを会話の中で多用していきます。
フランスワールドカップへの初出場から、日韓共催ワールドカップの地元開催へと進む中、日本代表のサッカー中継が増え、監督コメントや選手インタビュー、解説等でもこの単語が乱発されて、日本でも認知度が高まっていきました。
日本では、サッカーを通じて知名度が広がり、次に会社組織論や教育などの分野で幅広く使われるようになったという、珍しい経路で広められた単語です。
近年は、安易に「モチベーションアップ」などと使われているようですが、もう少し深く掘り下げて考えてみたいと思います。
 
《動因と誘因》
 
モチベーションには「動因」と「誘因」のふたつの要素があるといわれます。
「動因」とは、人の内部、つまり心にあって行動を引き起こす要因となるもので、英語では「drive」と表記されるものです。
当コラムでも何度も取り上げているA・マズローの欲求階級説でいうと、1次的欲求の生理的欲求から、2次的欲求の安全の欲求、3次的欲求の所属の欲求、次の自尊の欲求、さらに自己実現欲求と順番に進みながら、それぞれの段階でその為の動機付けが、心の中に自然になされていきます。
このように、心の内部から欲求に基づいて自然と生じてくるのが「動因」です。
他方、「誘因」とは人の外部にあり、人の行動を誘発させていくもので、英語では「incentive」と表記されるものです。
いわゆる「アメ」(=報奨・ごほうび)や「ムチ」(=罰則・強制)の外的刺激要因=「誘因」により、『動かなければ』と心の中にある「動因」を動かして行動に移していくというものです。
もうひとつの区分の仕方としては、「生理的動機付け」と「社会的動機付け」という分け方もあります。
「生理的動機付け」とは生存の為に、また人間としての本能や、個人の性質により自然と発生するものです。
「社会的動機付け」とは、社会との関わりを通じ心の中に生まれてくるものです。
「社会的動機付け」にも、大きく分けると2種類の動機付けがあります。
ひとつは「外発的動機付け」で、課題や目標を達成できた時に得るもの(ごほうび・認められる・誉められる等)、逆に未達成の時に得るもの(罰・怒られる・バカにされる等)の「誘因」を使った動機付けです。
例えば、親から「いい学校に進むために勉強しなさい」と言われている小学生がいたとします。
でも、その子は全然勉強をせずに、ゲームばかりしています。

《対策@》・・・
親は、その子をやる気にさせるために言いました。
「一時間勉強したら、ゲームしてもいいよ。」、「今度のテストで100点取ったら新しいゲームを買ってあげるから勉強しなさい。」  ゲームをしたいその子は、勉強するようになりました。
《対策A》・・・
親は、その子をやる気にさせるために言いました。
「いい学校に行くと、将来幸せになれるよ。」
それでもやる気にならないその子を見て、今度はこんな風に言います。
「勉強しないと、大変なことのなるよ。ゲームばかりやっていたら、将来ろくな人生にならないよ。」
「大変なことになる」、「ろくな人生にならない」というのを聞いて怖くなったその子は、勉強をするようになりました。

これが外発的動機付けです。
「外発的動機付け」の結果、@でもAでも子供は勉強をするようになりました。
しかし、このような「外発的動機付け」による行動というのは、「ゲームがしたい」、「ろくな人生になりたくない」といった目的を達成させるための行動となるので、長続きしなかったり、意欲的になれなかったり、強制されている感覚を持ったりするものです。
この子は勉強に興味や意欲があるのではなくて、仕方なくやっている感覚なのかも知れません。
では、この子が興味や意欲を持っているものは何なのでしょうか。
この場合、興味と意欲を持っているのはゲームです。
ゲームのためなら、嫌な勉強までしてしまうほどの興味や意欲を持っています。
このような興味と意欲によってもたらされる動機付けを「内発的動機付け」と呼びます。
「内発的動機付け」からの行動とは、それによってもたらされるごほうびと罰(アメとムチ)とは関係ない上、その行動そのものが目的となっています。
つまり、ゲームをすることで何かを得ようとするよりもゲームをすること自体が彼の目的となっています。
ゲームをする為には、勉強もするし、新ゲームを買うためにお手伝いもしてお小遣いのやりくりもするなど、自ら積極的に行動します。
ゲームに飽きるか、他にもっと興味のあることができるまでそれは続くはずです。
意欲的に取り組む「やる気」と「継続」には、この「内発的動機付け」が大きな影響を持っています。
しかし、実は私たちの持つ動機には、片方だけでなく、内発と外発のどちらも持ち合わせているとのことです。
外発が誘因となり、内発が動因となることもあります。
やる気が出ない、継続できないという場合には、その動機が外発的なものなのか、内発的なものなのかを、チェックすると良いそうです。
チェック方法としては、「それは頼まれなくてもやりたいことですか?」「それはお金を払ってでもやりたいことですか?」と問いかけてみることで、その答えがNOであれば外発的、YESであれば内発的となります。
自分の外側からやってくるものではなく、自分の内側から湧き上がってくる興味や、意欲、これが「やる気」や「継続」の源になります。

 
《やる気とは》
 
「やる気」は、自分の外側からやってくるものではなく、自分の内側から自然と湧き出て来るものです。
人から強制されて出てくるものではないし、自分自身で強制的に出そうとして出せるものでもありません。
現在では、脳科学研究の結果として、そのように結論づけられているそうです。
つまり、やる気がない人に「やる気を出せ!」というのは、ヒトという動物に「空を飛べ!」というのと同じくらい、無理な注文だということです。
長い間日本では、精神修養を美徳とし、「根性」「努力」「忍耐」などで念じたことは通じるとされてきました。
ひとつの分野でそれを極めた達人から見れば、自分が出来たのだから、他の人もできない筈が無いとの思いが、精神文化の世界を支配してきた面もあります。
現在に至っても日本では、企業内でも学校教育でもこの様に「やる気を出せ!」といったら出せるという考え方が残っているようです。
日本が先進国の中では突出して、うつ症状の人が多いのも、自殺者数が多いのも、この様な精神風土が原因と唱える学者もいます。
そうしたイメージを引き継いでいる人からすると、やる気は「出そうと思えば出せる」と考えているので、どうしてもアメとムチで他の人を強制したくなりがちで、部下や後輩の内発的に伸びる可能性をつぶしてしまう場合もあるようです。
人により差はあるでしょうが、やる気満々の人は、エネルギッシュでテンションが高く行動的であるというように、やる気を感じる時には高揚感が伴い、体の中心からエネルギーが間欠泉の様に噴出して出るイメージを持つ人も多いようです。
この様な「やる気」は、瞬発力はありますが、継続しにくいようです。
噴出すときの勢いはすごいのですが、常に噴出しっぱなしではなく、一定時間で勢いが落ち、次に噴出すまで出てこなくなりがちです。
逆に、「継続するやる気」というのは、少し性質が異なるそうです。
勢いや水量はありませんが、絶え間なく湧き出し続けてるのがその継続的なやる気。
まるで、山の奥深くでチョロチョロと湧き出す小さな水源のようなもの。
細い水の流れを見て、「流れてるね」と感じる程度なのと同様に、この種のやる気には高揚感は伴わず、「ああ、そんな気持ちもあるね」などという感覚レベルなので、気付きにくいとのことです。
私達がいつも想像する「メラメラと燃える様な」モチベーションというのとは明らかに違うようです。
これが理解できれば、自分が常にギンギンではないので、やる気が無いのではと、自身を責める事も無くなってくるかもしれません。
静かに自分の内部を流れ続ける「継続するやる気」を感じ取って、それを育んでいくのがモチベーションへの第一歩かも知れません。
経営者や、上司、先輩、指導者側は、外圧によって目に見えるやる気を要求するのではなく、静かに内面を流れる「やる気水流」を見つけ出す努力をして、それを育てるお手伝いをしていくことが大切です。
本当に強いサッカーチームを創る秘訣は、チーム全員がフィールドの中で内発的動機付けによるチームとしてのモチベーションを持って、組織人としての個人と、組織全体の課題をクリアしようと動くことだそうです。
 
《エイトデイズ・ア・ウィーク》
 
勤勉を美徳とした日本には、休日返上で働くという意味を表す慣用表現として、「月月火水木金金」というものがあります。
大日本帝国海軍が日露戦争勝利後に、ワシントン・ロンドンの両軍縮条約により、艦船の数的不利に追い込まれた結果、休日返上で猛特訓を繰り返す事になり、休めない水兵が自嘲気味にこの言葉を発したのが始まりといわれています。
これを海軍中佐の高橋俊策氏が作詞、江口源吾氏が作曲して軍歌となり、太平洋戦争中はレコード化されて海軍省軍事普及部推薦曲となったそうです。
戦時中には、この言葉は勤務礼賛の標語として、国民の間で広く使われました。
ビートルズのヒット曲に「エイトデイズ・ア・ウィーク」という曲があります。
ある日、ポール・マッカートニーは、乗ったタクシーの運転手に仕事がきついかどうか尋ねたそうです。
その運転手は、「一週間に8日間働いているようなもんさ」と答えたとのこと。
「月月火・・金金」と同じ意味のことです。
すると、ポールはすぐにその日の午後には有名なヒット曲「エイトデイズ・ア・ウィーク」を書き上げてしまったとのことです。
最初に自嘲気味に「月月火・・」と発した海軍水兵は外発的動機で仕方なく働かされているという思いを口にしたのかと思います。
ポールを乗せたタクシー運転手は、楽しみながら休みなく内発的動機で働いているのか、或いは外発的に働き続けなければならない動機を強制されていて「エイトデイズ・ア・ウィーク」といったのかは不明です。
それをすぐに曲にしてしまったマッカートニーは、内発的思いから歌にしてと考えつき、大ヒットにつなげたのではないでしょうか。
内発的なモチベーションアップには、自らの楽しさやワクワク感というものがどうしても必要なのです。
社員(スタッフ)がやらされているという、追い込まれた感覚や悲壮感を持って仕事をすれば、接するお客様も楽しい筈がありません。
指導する、注意する、叩き込むというスタンスの前に、愛情を持って育むことや、良い点を見つけて、誉めて、自信を持たせて、伸ばすという思いが必要と思います。
次の世代に、自分の身につけたものを受け継ごうすると、「どうしてわかってくれない」、「私には誰も教えてくれなかった」などのたくさんの葛藤が出てきます。
そういった葛藤が、自分が今取り組むべき課題を教えてくれて、自身の人間的な成長につながっていきます。
教える側と教えられる側の両方の成長につながります。
教えていただいたことは、教えていただいた人に返すのではなく、次の世代に教えていくことが重要です。
教えてもらえなかったことは、教えてくれなかった人を恨むのではなく、次の世代に教えていくことです。
そうする事で、自分自身が成長し続けて、関わる全ての人(スタッフ・お客様・業者)などが、次々に集まってくる活気あふれるサロンがつくれるのではないかと思います。
そのためには、牛の曲がった角を無理に矯正しようとする前に、その牛の足の速さや、お乳が沢山出るところなど、良い点を見つけだして、その特徴を伸ばしながら活かして行くことが大切ではないかと思います。
サロンビューティビジネスは、やはり人が一番大切な資源だと思います。
この人達が活き活きと働き続けられる様に内発的に動機付けすることこそが、経営者の一番大切な仕事と思いますがいかがでしょうか。

今回は神戸メンタルサービス合資会社カウンセラー・木村祥典氏コラム「やる気の心理学」、同社カウンセラー・大門昌代氏コラム「育む力」、英治出版刊・「選ばれるプロフェッショナル」J・N・シース/A・ソーベル共著・羽物俊樹氏訳を参考にいたしました。

 
M−press .153  2009.10.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『駕籠(かご)に乗る人、担(かつ)ぐ人』
― お客様に愛されるサロンを目指して ―
 
「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」という短歌が起源の諺です。
この短歌は古典落語の人情話「白子屋(しろこや)政談」に登場するものです。
大岡越前守忠相による俗に言う「大岡裁き」を題材にした落語だそうです。
「日本列島改造論」や「ロッキード事件」で有名な元総理大臣の故・田中角栄氏が好んでこの短歌を使って例え話をしていたそうです。
彼は当時の首相経験者の先輩政治家や、総理を争っていたライバル達がほとんど東大卒の超エリートだった中、中卒の草の根庶民派政治家として、人情と義理を売り物にしていました。
ですから、この短歌をつかって、かごに乗って目だっている人は、かつぎ手やかごを作る人やわらじを作る人によって支えられていて、それではじめて自分も生きられる、すべての人々が、天に与えられた役割をこなしているから社会が成り立っているものだということを話していたそうです。
ジャーナリストの田原総一朗氏によると、田中角栄氏の愛弟子で後に首相になった故・竹下登氏は「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」というのが口癖だったそうです。
竹下氏は、DAIGO(ウイッシュ!)の祖父です。
さて、諺としての「駕籠に乗る人担ぐ人」は、短歌の最初の意味から少し離れ、「世の中には、境遇や運命などによって、様々な職業や貧富の差などがあること」の例えとして使われることが多くなったようです。
しかし、本来の意味の「職業や地位の違いによる生き方は様々でも、その人達がつながり合い支え合って世の中が成り立っている」ことの表現でも使われます。
英語では「Some people are born with a silver spoon,and some without.」(銀のスプーンを持って生まれる人ばかりではない)と使われるようですが、これは境遇や貧富の差の方を指す表現と思います。
どんな仕事も一部の目立つスタープレーヤーだけでは成り立たないものです。
今回は、お客様に喜ばれる店作りを目指して、店舗としての魅力づくりと、サロンの総合力の強化について考えてみたいと思います。
 
《行きたくなる店》
 
このテーマについては、本欄で何度も繰り返し掘り下げてきました。
理美容サロンにこだわらず、一般的な消費者心理と、理美容業に限らない、店舗全体で考えてきました。
過去の考察を整理してみると、人が集まる店舗の要素には以下のようなものがあります。
まず、お客様がお店に入る行為には、楽しくワクワクして店を訪れること自体に喜びや幸福感を感じる来店(=心を豊かにする消費)と、行きたくないが渋々行かなければならない来店(=生活必需の消費)の2つの消費種別に分けた来店行動があると述べました。
びよういん(美容院)と、びょういん(病院)は、「よ」の大きさが違うだけで「よろこび」が大きく違うとも考えました。
「美しい容姿に生まれ変われる」、「大好きな店舗スタッフ達と会うのが楽しみで元気をもらえる」など、来店して生き方までもが変わる可能性まであるのが、理美容サロンであり、「心を豊かにする消費」をしてもらうことが可能なのです。
美しくなって心が癒され、生き方までも変わるという、長崎大学の故・難波名誉教授が名付けた「形成治心」が可能な業種が美容です。
逆に、病院や役所にワクワクしながら喜んで出かける人は非常に少ないのではないかと思います。
病院は辛い苦痛から逃れたり、それを癒したりする為に仕方がなく通っているのが実情ではないでしょうか。
役所も同様に、手続きや届出をしなければならないので、待たされるのを覚悟の上でやむを得ず出掛けている人が多いのではないかと思います。
「仕方なく・・・せねばならない」は「生活必需の行動」で、「心を豊かにするために楽しみに行っている行為」ではないのです。
足を運ぶ側の人達が嫌々出掛けていったとしても、お迎えする側が自分の仕事に誇りを持ち、生き生きと輝いていれば、痛い思いをする側も長時間待たされる人も気持ちが良い時間を過ごすことができるものです。
ところが、お迎えする側が自分の仕事に魅力を感じていなかったり、足を運んでくれて有難いという気持ちを持っていなければ、心の通わない作業的応対になってしまい、来訪者に失望感を持たせてしまいがちです。
たとえ、生活必需の目的で仕方なく足を運び、大きな期待感を持たずに来店している場合でも、気配りの一言や笑顔の応対が無い接遇をされてしまうと、二度と行きたくないところとの印象が残る可能性があります。
病院であれば、他の病院に変えるという選択肢もありますが、役所であればそこに行かざるを得ないので、嫌いなところへ足を運ばなければならないという、気持ちの悪い感情を引き続き持ち続けることになります。
さて、私達のサロンビジネスはファッション産業ですので、一般的には「心を豊かにする消費」なのですが、そうではなくて「生活必需の消費」として考えている消費者も思った以上に多いと考えられます。
つまり、髪が伸びてしまったから「仕方なく切りに行くか」というお客様です。
「楽しみに」来店するのではなく「やむを得ず」来店してこられるお客様です。
「いつもの通りで良いですか?」「いつもの通りでいいです。」・・このやりとりの後に、楽しそうな会話が続かないお客様は要注意です。
元からのヘアスタイルを、妥協できるレベルまで現状復帰させていく事で、不満足のレベルから我慢できる最低点まで何とか回復出来れば良し、と思うお客様も多いのです。
満足ではないが、不満足なレベルは脱したという思いで、感動はしていない状態かも知れません。
何年も同じスタイルを貫くお客様には、これが本当に私の一番似合う髪形だと納得して頑固に変えない方も勿論いらっしゃいます。
しかし、それはむしろ少数派で、変身願望を持ちながらも「新しく他の店に入るのは勇気がいるので、知った技術者がいて、料金も手頃だし、新たに細かく説明をする必要も無いので、今までの店で良いか、行くのは面倒だけど」と考えている人も以外に多いことは認識しておくべきと思います。
この様な状態のお客様は「生活必需の消費」としてサロン訪店を考えています。
生活必需の消費は節約対象の消費ですので、不況期には来店サイクルが伸びてしまいがちになり、低価格のサロンに移ってしまう可能性もあると思います。
ですから、そういったお客様が、同じサロンに仕方なく一生通い続けると考えるのは大きな間違いです。
お客様の心を開く会話をしっかりし、髪質やライフスタイル、ファッション傾向や似合う色など割り出して、新しい自分の魅力を引き出す「新しいヘアスタイルの提案」をしていき、お客様の満足の線を突破して、劇的変身で感動を呼び起こせば、次回来店からはワクワクしながら、「心を豊かにする消費」のために来店してくれることに変わるのです。
この様なお客様が非常に多いことは、消費者アンケートによって明らかになっていますので次項で説明を加えます。
もうひとつ、行きたくなる店のポイントは、楽しいこと、気持ちが良いことです。
気持ちが良いということは、お客様が体で感じる心地良さも有りますが、もう一方で心で感じる居心地の良さや空気感といった、快適さもあります。
サービス業は、自分の仕事が大好きで幸福感を感じて働くサービス提供者から受ける技術や接客を、お客様も幸福な気持ちで受けられるものなのです。
公園や校庭で子供達が後から、どの遊びに加わるかを見ると、一番楽しそうに遊んでいるグループに参加する可能性が高いといいます。
ブランコや、スベリ台が好きだからと、好みで選ぶ前に、本能的に引き寄せられるといいます。
お客様が心を豊かにする消費をする際に、お店を選ぶ潜在的要素には、楽しそう、スタッフが生き生きと働いているなど、外から感じ取れる空気感も大きな影響を与えているとのことです。
また、理美容業種は長時間滞在する特殊な業種です。
歯医者さんと同様、お客様は長時間自由を奪われて拘束される面もあります。
お客様の目から見ると、クロスをかけられると手を自由に使えなくなり、トイレにさえ行きづらい状態になり、あちらこちらに移動など、お店の方の指示に従って動くしかないカゴの鳥状態となります。
歯医者のベットに寝た際に、医師に全てを任せるしかない「マナ板の上の鯉」状態に置かれるのと同様に、シザーという刃物の前で、手足の自由を奪われたお客様は、不安感を多少持ちながら技術者に身を委ねるしか無いのです。
ですから、お客様が口に出さずとも持つ不安感を取り除く心のケアが必要です。
まず技術前に毛髪に対してのケア方針、スタイル提案をしっかりとして合意し、不安を取り除きます。
次に施術中は実施中の技術や薬液について説明を加えながら進め、終了後はお客様の満足度のチェックと、場合によっては修正を加えることで、より安心感を高めます。

以上が以前から考察してきたことのまとめになります。
 
《安心感》
 
財団法人全国生活衛生営業指導センターが先頃、「消費者から見た美容店の安全・安心とは」というアンケート結果を発表しました。
全国の15歳以上の一般消費者で各年代を網羅した2000名に調査をかけて、1718名回答(内女性89.8%)を集計したもの。
それによると、美容室の安全・安心に絶対必要な条件は、「サービス前に客の要望を十分に聞いてくれる」が断トツの1位で51.9%の人が必要と言っています。
第2位は、42.9%の「分かり易い料金表示である」で、これも3位の「店内が清潔・快適に管理されている」の31.4%を10%以上離しています。
お客様とよくお話をすることについては前項でも述べたので、2位の料金の分かり易さについて見てみます。
メニューについての分かり易さも、過去何度も本欄で考察を繰り返してきました。
今回のアンケートでは「絶対必要だと思う項目は」という質問の他に、「利用店で実施されているか」との質問もありました。
分かりやすい料金表示については、「利用店で実施されているか」では「はい」が69.7%と、3割のお客様が料金表示に不満との判断をしています。
アンケート調査は、比較的に好意的なお客様が返信しやすく、不満を持つお客様は返信しない傾向があるので、料金表示に不満のお客様の割合は3割よりもう少し多くなるのではないかと思われます。
以前から本欄では、「業界内でしか通用しない専門用語をメニュー名にしている」、「メーカーの付けた品名をそのままメニュー名にしている」等、消費者が解釈不能で、仕上り感や快適さがイメージできない為に、お客様がオーダー行動を起こしづらいメニューの弊害について考えてきました。
もうひとつ、明朗な料金についても考えてみます。
リーズナブルというと、「安価な」という印象を持つ方が日本では多いようです。
正確には、「理にかなった」「根拠がある」など、価格と価値とのバランスが取れていることを意味します。
では、お客様はどのようなときにこの「お値頃感」を感じるでしょうか。
最近の消費者調査では、「明示された料金で済む安心感」が、重要な点として挙げられています。
飲食店でもセットメニューをオーダーすると、飲み物や単品などの追加がなければ、明示された料金ピッタリの支払いになります。
ワインもビールも料金がはっきりしているので、その分を足し算すれば金額が明確になる仕組みです。
例えば車とか家のような高額な買い物をする際には、値引き交渉があった後の本体価格に加えて、不動産取得税や車輛税、重量税、付帯工事や改良、オプションなどで、意に反して当初予算を上回る金額になる場合も多いものです。
プロでないと計算できない、購入者側では推測できない要素も多いだけに、不本意ではあっても、最後は納得せざるを得ないものです。
高級料亭や寿司屋での時価と呼ばれる料理を注文する場合でも、この店なら総額いくらぐらいと何度か足を運ぶうちに分ってくるので、想定内の支払になると思います。
価格の明示されないこの様な店は、我々庶民は何か特別な折に利用するのが関の山ですので、行った時にはある程度覚悟を決めて行っているものと思うのです。
ナイトクラブで原価数千円のウィスキーが、雰囲気と接遇によって十数倍にまでなる可能性があるのも、利用者側が「理にかなった」価格と判断し店に入るので、心を豊かにする消費と言えると考えられます。
サロンビジネスの業界では、現在は単品メニューの表示が多いと思います。
単品メニューは、これとこれを足し算して、これを追加して、店販品を買って「結局、こんな金額になってしまった」となり、心を豊かにする為のお金を余分に持って来られたお客様だけが対象客になってしまいます。
お客様が判断し易いメニューにするために技術内容とお支払い総額を考慮した上で整備して、時代に合ったリーズナブルコースに組み直すのも一案かと思います。
「かごに乗るのはお客様」で、技術者ではありません。
かごを「かつぐのがサロン」、「わらじを作るメーカー」と、「わらじやひょうたん水筒を用意するのがディーラー」です。
お客様に気持ち良くかごに乗っていただけるようにすることが、愛されるサロンづくりの第一歩と思いますがいかがでしょうか。

次号では元気なサロンにする為の動機づけについて考えてみたいと思います。

 
M−press .152  2009.9.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『ころがる石には苔(こけ)が生えぬ』
― こんな時代なればこそ我慢するのか、動くのか ―
 
「転石苔を生せず」、「転石苔むさず」とも使われます。
この諺は元々はイギリスの「A rolling stone gathers no moss.」(転がる石は苔をつけない)を和訳したものだそうです。
@「職業を転々とするのは良くないことで、地位も得られず、お金も身につかない」というのが当初の意味だった英語の諺です。
現在では、他の意味で使われることが多くなりました。
A「こまめに体を動かして良く働く人が、いつも健康で生き生きして病気にならない」という例えでも使われるようになりました。
さらに、新しい意味が増え、
B「活発に活動を続けていれば、時代に取り残されることはない」というもうひとつの意味でも使われます。
Bの意味の諺としては、「使っている鍬(くわ)は光る」というものもあります。
毎日使っている鍬が錆びることなく光っている様に、たゆまず努力している人は生き生きとして見える例えで使われます。
英語では「Iron with use grows bright.」(鉄は使うと光る)、「The used key is always bright.」(使っている鍵はいつも光っている)などと表現されるようです。
中国起源の諺では「流れる水は腐らず」というものもあります。
常に生き生きと動いているものには弊害が生じる事がないという意味の表現です。
例えば人間なら健康が約束されるし、組織などなら弊害を生むことは無いという例えで使われます。
川の流れが停滞することを澱(よど)むといいます。
澱んでしまうと悪い汚れが溜まりやすくなるようです。
因みに、京都から大阪へ流れる淀川は「よどんだ」川が語源とのことです。
ソウルミュージックのニューウェーブとして、60年代〜70年代をリードしたレコード会社がモータウンレーベルです。
拠点のミシガン州デトロイトが自動車工業中心だった為、モータータウンを略してモータウンとなりました。
そのモータウンレーベルの代表格がテンプテーションズで、彼らが1972年に大ヒットさせた曲が「Papa Was A Rollin’stone」です。
歌詞を見ると「父親は定職に着かないなまけ者で、家には金が残らず・・・」と、英国からの諺の正に@の意味で使われているようです。
英国のメジャーバンドのローリング・ストーンズは、発足時に黒人音楽に心酔しており、偉大な黒人ブルーズ・シンガーのマディー・ウォーターズの代表曲である「ローリング・ストーン」のタイトルをバンド名にしたと言われています。
彼らは、「転がる石」にならぬ様、音楽一筋に生きていくという決意を込めたのか、或いは一箇所に安住することなく転げ落ちてやるという反骨精神をバンド名に込めたのかは不明です。
65歳を過ぎた現在もミック・ジャガー始めメンバーが現役バンドを貫いているのは、「転がりすぎない石となり苔がしっかり着いた」ということなのでしょうか。
今回は、景気低迷していると言われる状況下で、どっしり構えて動かぬ石になるのか、逆に自ら転がる石になって動くべきなのかを考えてみたいと思います。
 
《苔の厚み》
 
今回のタイトルの諺の元々の意味@を考えると、あちこちに転々とするより、一箇所に落ち着いていた方がお金が残る(身につく)ということをいっています。
つまり、苔の部分が報酬(資産)となり、同じ領域に根を張り頑張ったことにより苔が表面を覆いつくした上に厚みも増した状態です。
離れて見ると、苔で石だと思えない程になり、まるで苔が邪魔をして更に転がることを妨げている様です。
資産である苔をお客様に置き換えると、それだけ固定客が沢山ある企業ということにもなります。
そこまで沢山の安定客や資産を持つ企業ならば、不況期には動かずじっと我慢する選択肢もあると思います。
資産が沢山あるのですから、余計なことをせずに、その資産を少々減らしながらも辛抱して、積極政策が打てる時期になったら思い切って投資することが可能です。
しかし、これは強者の論理で、横綱・双葉山の全盛期に「受けてたつ双葉山」と呼ばれた様な他を寄せ付けない圧倒的強さを持った場合のみであり、その様な立場の企業や店舗は少ないのではないでしょうか。
また、苔が沢山生えた石といっても、全面にびっしり生えているものは少なく、アンバランスに一面に偏って生えていたり、長い間伸び放題にしていたので、悪い虫があちこちを食い荒らしているかも知れません。
民主党に政権交代させた国民の判断は、長い間同じ政権与党に任せ過ぎた為に官僚の言いなりになり、アンバランスになり過ぎた苔や、そこにはびこる害虫や病気をなんとかしたいという思いなのかも知れません。
いずれにしても、大きな貯えを持った者は、「金持ちケンカせず」と割り切って動かないこともできますが、それ以外のものはアクションを起こさなければ、「使わない鍬は錆びる」となってしまう時代のように小生には見えます。
 
《老舗と革新》
 
老舗(しにせ)と呼ばれ、歴史と伝統を持って現在まで生き残る店があります。
しかし、本当に伝統を守っているだけで、今まで勝ち残ってきたのでしょうか。
その答えは否だと思います。
まず初めに評判になった際には、他に類を見ない様な斬新な物、画期的な物をつくり、人気を集めて口コミで評判になり、その後に安心感や信頼感を得てきたのではないかと推測します。
長い歴史の中で、飢饉や大噴火、地震、洪水等の天災の他、顧客の嗜好の変化や、不景気、戦災等社会の激変にも遭遇したと思います。
その度に今のままでは成り立たなくなる、手を打たなければと、新たな試みを繰り返し対応したからこそ生き残れたに違いありません。
「種は強いものが生き残るのではなく、変化に順応できるものが生き残る」というダーウィンの進化論の原則通り、進化と変化を繰り返しながら老舗は生き残ってきたと思います。
伝統とは統(トウ=スジ=流れ)を伝えるという意味だそうで、固定化されたものを頑固に変えずに守っていくのではなく、時代に合わせて変化させながらも永続的に伝承していくものなのだそうです。
220年前の1790年(寛政二年)、京都の福井伊右衛門が福寿園という茶舗を起こしました。
その70年後(150年前)の1860年(萬延元年)、宇治の辻利右衛門が茶問屋・辻利本店を開きました。
桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された年の事です。
両者とも今もお茶の老舗ブランドとして残り、前者はサントリーと、後者はJT(ジャパンビバレッジ)とタイアップし、ペットボトル茶を大ヒットさせました。
ほんの十数年前までは、お茶を沸かし、急須で入れなければ飲めないものでした。
しかし、ペットボトル入りのお茶が発売され、それが老舗茶房の高級茶葉を使用して美味しくなっていき、愛飲者も増加し、手軽な飲み物になりました。
今は前述の2社だけでなく、各主要飲料メーカーのほとんどが歴史ある老舗茶房と手を組み発売されています。
考えてみると、ペットボトル入りのお茶の開発は、飲料メーカーにとっては単なる商品ラインアップの追加ですが、茶葉を提供する老舗茶房にとっては、ビジネスモデルを変革するような看板とのれんを賭けた大きな決断であった筈です。
茶葉という従来の伝統的商品だけでは、ライフスタイルが変化した現在、茶舗の売上げを維持し続けることは難しくなります。
簡単さや手軽さが重視される世の中で、今後消費者がますます楽を求めてくれば、いつかお茶の伝統が途絶える可能性も無い訳ではない。
老舗のブランド茶葉を使ったペットボトル茶は、そのお茶の伝統文化を次世代へと継承するため、そして老舗茶房が企業として存続するための、苦渋の決断の末に生まれた新たな事業戦略だったに違いないはずです。
 
《転ばぬ先の杖》
 
老舗茶房と提携した側の大手飲料メーカーについても少し触れます。
サントリーは日本を代表するウィスキーメーカーです。
しかし、ビールについてはキリン、アサヒ、サッポロの3社で寡占状態の日本市場では、万年四番手メーカーとして、ここ数十年に渡って甘んじ続けてきました。
ところが、サントリーが発売した「ザ・プレミアム・モルツ」が歴史的大ヒットとなり、「金麦」・「ジョッキ生」も続き三強の一角サッポロを抜き、ビールシェア第三位に浮上してきました。
ワインを製造販売するために且屋を起こした鳥井信治郎氏が、自社の主力商品「赤玉ポートワイン」の赤玉マークが太陽のイメージだったので「SUN」、鳥井を英語風にして、「TORY」にしてサントリーと改名、ウィスキーでトップシェアになり、ビール、ソフト飲料も加えて総合飲料メーカーとなりました。
清涼飲料水分野では、福寿園との提携の他にも、近年ペプシコーラの日本販売権を買収取得したり、今年夏にはキリングループとサントリーグループの経営統合の話まで進めています。
対抗するアサヒも、バヤリースの専売権取得に続き、カゴメと提携というビックニュースが流れています。
サッポロもポッカコーポレーションと提携をするなど、自社自販機にビールの他に魅力ある提携商品を揃えて主導権を握りたいと考えているようです。
また、コンビニや量販などのルートでも、酒類だけでない多種の売れ筋ドリンクを沢山持つことで、流通の優位性を高めたい考えです。
辻利と組んだJTは、三公社のひとつである日本専売公社の名前で、国策企業としてスタートしました。
他の公社である国鉄(現JR)より先に、第一段として1985年4月に電電公社(現NTT)と同時に民営化されました。
既にたばこは健康を害するもので、社会悪になりかねないとの意識があったため、将来的喫煙人口が減るのは決定的な情勢だった上、政府による価格統制があり値上げもできず、税金も高いなど将来的に先細りの企業との見方が支配的でした。
また、民営化時点で主軸のたばこも塩も専売権が剥奪され、自由化されることが決まっていました。
「ラーク」「フィリップモリス」「キャメル」など制限されていた輸入たばこが大量に入ってきてシェアを奪われたり、塩も国内生産、輸入とも自由化されるので売上げダウンとなるのは決定的だったのです。
そこでJTは多角化を始め、ソフトドリンク市場のジャパンビバレッジをつくり、パンの店サンジェルマンや、香川の加ト吉水産を買収して食品事業を強化したり、製薬会社も買収して医療品部門にも参入しています。
また、小売大手では、ローソンとマツモトキヨシも提携を先頃発表し、今後の動きが注目されています。
 
《小石なら転がろう》
 
ここまで述べてきた通り、看板もある老舗企業や大企業でさえも事業の変革を決断している中、我々のような中小零細と呼ばれる規模の企業がそのビジネスモデルを変化させなければ生き残れないと思います。
この数年、経営状況が厳しくなった企業は、必要な変化を先延ばしにしてきた企業が多いように見えます。
商品や販売方法、顧客などを変えなくても、前年比数%程度で売上げ減少が滞まり、利益も確保できる場合、経営者はその収益を失う不安感から、新たな挑戦や既存事業の変革を見送りがちになる傾向があります。
そうなると、顧客や市場の動きを凝視して積極的に変革していくという外向き姿勢が無くなり、自己利益確保のための組織内のリストラや過度の節約等、内向き消極的な改善にのみ終始してしまう可能性があります。
確かに変化にはリスクがあり、その方向を経営者が見誤れば、最悪の事態も招きかねません。
だからといって、変化を避け続ければ、変化しない事が日常化し、いつのまにか変化できない組織体質ができあがってしまうものです。
変化せずに我慢することが、短期的には危険性回避と感じても、長期的に考えると変化を拒むことが結果的に最大の危機につながります。
瞬間的に大きく転換するのではなく、短期的にはそれほど変わっていない様に見える程度の変化を続けることで、長期的に見ると右にあったものが左へ大きく移動しているかの様に変化させるのが理想といわれます。
お客様が心の豊かさも求めて来店されるのがサービス業であるサロンの立場です。
以前はマニュアル教育により、「金太郎あめ」がどこで切っても同じ顔がでるのと同様、画一化、均一化されたサービスができるような接客訓練をされていました。
現在は、プレミアム・モルツやプレミアムコーヒーのように「プレミアム」がキーワードといわれます。
お客様の私だけの喜び、特別感、上質感を導き出せなければ、次回のご来店が難しくなってきます。
「金太郎あめ」の様な、当たり前の固定化されたサービスは、没個性的で面白くない、退屈な対応で接遇不足とされる時代なのです。
既に、完璧主義で業績が上がる時代は終わったのです。
技術と接遇工程を省いたり、材料を節約し過ぎたり、お客様と直接かかわる部分の切捨てや削減等、内向きコストダウンを図ろうと過ぎると、サービス業として重要なプレミアム感を放棄したことになり、経営問題に発展する恐れもあります。
大切なことは、お客様に喜んでいただけるための積極的な改善を進めなければ、生存すら危うい時代であると認識することです。
そして、沢山の過去の貯えという苔を生やしている石のみが、動かずにじっと我慢できるという事実です。
資産、資金余力が十分でない企業(石)は自ら積極的に転がって、苔が生えなくても、ピカピカに光って見える魅力的な石を目指す必要があると思いますが、いかがでしょうか。

今回は潟純Cキューブのメールマガジン「Y―LETTER」より、同社代表取締役・安田佳生氏のコメントを参考にしました。

 

 

 
M−press .151  2009.8.20 
ビューティクリエーターのための情報誌
株式会社マックス企画室
『一寸の虫にも五分の魂』
― 中小零細企業の生きる道を考える ―
 
たとえどんな小さい弱い者にも、それ相当の立派な意地や考えがあります。
だから、どんな相手でも決してなめてかかってはならない、あなどるなということを意味する諺です。
一寸は約3cmで、そんな体長の虫にさえ、体の半分の大きさに該当する1.5cmの魂があるものだという意味から発生しました。
近い諺では、「なめくじにも角がある」、「やせ腕にも骨」などがあります。
痩せて非力な腕にも、堅い骨が通っているの意味から、たとえ微力な者でも、それなりの意地や誇りを持っているので、侮ってはならないことえを言った諺です。
英語では、「Even a worm will turn.」(みみずでさえ、向かってくる)と表現するようです。
百年に一度の不況と言われますが、見方によっては中小零細企業に有利な面もあるようにも見えます。
小さい者こその優位点を活かす方法を、今回は考えてみたいと思います。
 
《大組織の罠》
 
原稿を書いている現在は、立候補者受付けさえ始まっていないのに、既に選挙戦の真っ只中という状況のようにすら見えます。
今回の総選挙のテーマに、官僚支配からの脱却を掲げる政党が複数あるようです。
「官僚主義」とか「お役所仕事」といった言葉がありますが、あまり良い意味では使われていないようです。
例えば、「自分の役割分担の仕事しかせず、周囲の部門と連携協力できない」(縦割り行政)、「前例があることのみが出来ることで、新しいことに対して前向きに踏み込んだり、新たに考えて作り出すことが苦手」(前例主義)、「責任は組織全体で取るとしながら、誰も責任を取らなくて済むよう、責任の所在をあいまいにするような組織にしてある」、「手続きや決定に時間がかかり過ぎて時代の変化に追いついていけない」、「仕事の領域を減らすのではなく権限を拡大させて、認可や試験、調査等の名目の外部団体をつくり、権益確保して自分たちの天下り先をつくる」などが、報道で伝えられる官僚主義の悪弊です。
しかし、これって民間の組織にもありませんか?
多かれ少なかれ、近いことがあるかも知れません。
それは人間が今ある状態に安住しやすく、新たなことを始めるためには覚悟が必要で、新たな行動にはストレスがあるため、無意識のうちに、心が防御本能を出してしまうからです。
原始時代から、集団で狩りをしたり、他部族と争っていた人間は、先頭を切って前に出て行く勇者が、怪我をしたり、死んだりする確率が高いことを知っていたから、生存要求として積極的に前に出ることをためらう潜在意識が人間に根付いたと主張する学者もいます。
小学生の頃、皆と同じことをするのが普通で、新しく突出しすぎたことをする子供を変人扱いや異端児扱いしてしまいがちなのは、このような本能が根底にあるからなのかも知れません。
欧米では逆に、このように先頭を切って新しいことをしていく人を賞賛する傾向があります。
以前もこの欄で触れた「最初のペンギン」(The First Penguin.)です。
ペンギンは鳥なので海中は苦手だったが、えさの魚を取る為に海中で高速で泳げるように進化してきました。
しかし、海中には外敵がいっぱい存在します。
集団で岸にペンギンが大勢いるのに、海に飛び込みそうでもなかなか飛び込まないのは、外敵が怖くて誰も飛び込めない状況なのだそうです。
その中で、最初の一羽が勇気をもって海に飛び込む、すると他のペンギンは次々と怒涛のように飛び込んでいけるのです。
組織が大きくなればなる程、「最初のペンギン」が出てきずらくなると言われます。
皆様のサロンには最初のペンギンはいますでしょうか。
 
《トップダウンとボトムアップ》
 
最近はあまり耳にしなくなりましたが、「ワンマン社長」という言葉があります。
大部分の決定事項を社長自ら決めていく姿勢をとっている場合をいいます。
ある一定規模まではワンマン社長でも行き着くが、それを超えた規模の会社になるとこのスタイルでは成り立たないという人もいます。
自ら起業し、巨大企業にまで成長させた松下幸之助氏(パナソニック)や、稲盛和夫氏(京セラ)等も、起業当初はワンマン社長と呼ばれる時期もあったのかも知れませんが、現在は彼らを「強力なリーダーシップ」と呼びはしても、「ワンマン社長」と呼ぶ人は非常に少ないと思われます。
方向性や理念を強烈に示して、組織に徹底させながら推進するといったリーダーシップは発揮しても、主要な決定の大部分までを自らしていくワンマン経営では、大きい組織を動かす事ができないものなのです。
もうひとつ、「トップダウン」という言葉もあります。
組織の上部から下部に指示命令を伝え、徹底するやり方です。
対して「ボトムアップ」とは、組織の下部全員で把握した情報を、組織の上層部に向かって上申していき、方向性を決めていくやり方です。
先程のお役所の仕事の話に戻ると、生活者(=納税者)の必要なことをお役所の窓口が掴み、そういったニーズを組織上層部に上げていき、国会や地方議会で法律や政令、条例に反映させていくといった、住民サービスに対応できるボトムアップ機能が必要なのです。
次に、決定した法律や政令に対して、組織を挙げて実現していく責任を果たすために、トップダウンで遂行するといった具合です。
ボトムアップとトップダウンの両方が必要なのです。
しかし、既に皆様お気づきのとおり、この順番はスピードに欠け、一定の時間がかかってしまうやり方です。
お役所の場合は、国会や地方議会の会期もあるので余計に時間を要しますが、大企業も営業所→支店→本社→取締役会→業界団体調整など大組織になるほど、決定に至る時間が余分に必要な面も否めません。
逆に零細企業の優れた一面は、決断スピードが速く、実行に向けての小回りもきくという面だと思うのです。
消費低迷を釣りに例えると、たくさんいたはずの魚がちっとも釣れなくなり、釣り舟の船頭が、小さな舟で少しでも魚がいそうなポイントに、小回りをきかせて次々と移動させるような、スピードと機動力が中小企業にはあると思えるのです。
逆に大きな船では魚